米問屋が見える斜向かいの店の間、物置と化した場所に身を滑り込ませた。壁に寄りかかり、様子を
多くの人が出入りする米問屋の客の中で、一人、僅かながら雰囲気の違う若い男を見つける。
見た目では静かな印象を受ける男だが、その裏に殺気という刃を持っていそうな……。
勘でしかないが、無視できない。
霊斬は男の後に続いて、店に入った。
その直後、悲鳴が上がる。
「きゃー!」
慌てて視線を走らせる。と、小太刀の刀身をこの店の主の首に突きつけている若い男と、先ほど叫んだであろう、主と同い年くらいの女。数名の客と、手代達が動きを止めていた。
――真昼間からとはな。普通、夜だろうに。
霊斬は内心で溜息を吐きながらも、念のためにひとつ策を考える。大したものではないが、この状況を変えられる。
「おい、用があるのは主だけだろう? 他の奴らは外に出してやったらどうだ?」
「うるさい!」
若い男は、主でなく霊斬に刃を向ける。その隙に主が拘束を脱する。
忌々しげに舌打ちをした若い男は、霊斬に向かって小太刀を振りかざし、突進してくる。
それをひらりと躱すと、置いてあった米俵に激突した若い男はそのまま気絶してしまう。
――馬鹿にもほどがある。
霊斬は盛大な溜息を吐く。すると岡っ引きが顔を出す。
「あれ? 刀を振り回している奴がいるって言うんできたんだが、遅かったか?」
「むしろ、ちょうどいいです、親分。米俵に激突して気絶している男ですよ」
「そうかい。あんた、怪我、してないか?」
岡っ引きはその男を縄で縛りながら聞いた。
「私を含め、怪我人はいません」
「そりゃなによりだ」
岡っ引きは男を半ば引き
霊斬は店の者達に一礼すると、店を去った。
その様子を物陰から顔を覗かせる千砂に気づいた霊斬だったが、気づかないふりをして米問屋を去った。
店の床に寝転んで考え事をしていると、戸を叩く音が聞こえてくる。
「開いている」
霊斬が低い声で応じると、千砂が店の中に入ってきた。
「昼間の騒ぎ、見させてもらったよ」
「そうか」
「素人相手だったから、あんたには楽だったかい?」
千砂がにやりと笑いながら尋ねた。
「まさか。素人相手が一番面倒だ。今回は自滅してくれたが」
「あれには笑ったよ」
千砂が笑みを深くする。
「俺は呆れた」
笑う千砂に対し、霊斬は溜息を吐いた。
「とにかく、依頼人は守れたわけだね?」
「そうだな。今夜、桐野家にいってくれるか?」
「分かったよ」
千砂はそれだけ告げると店を後にした。
それからだいぶ経った夜中、千砂は忍び装束に身を包み、桐野家へ向かった。
「なんじゃと! しくじった?」
そんな大声に導かれ、千砂は主の部屋へ足を向けた。天井の板を外し、覗き見る。
若い男と老年の男が、向かい合って座っていた。
「……はい」
「小判を惜しみなく払えば、良かったか……」
「
「なら、なんだというのだ?」
「手練れの人斬りを引き入れれば良かったように思います。そのような者、幻鷲を
「あやつはもう人斬りから身を引いた男だ。かつてどれだけ殺めたかとて、今人斬りでなければ使い物にならん」
「そうかもしれませんね……」
若い男はそう言うしかなかった。
「誰が邪魔をした?」
「幻鷲にございます」
「なぜだ? あやつにはなにも関係がないはずでは?」
「はい。幻鷲の動きだけが気がかりでございます。しばらく見張りますか?」
「そうだな」
「かしこまりました」
若い男は頭を下げると、部屋を出ていった。
千砂はしばらくその場に留まったが、早く霊斬に知らせなければと思い、そのまま店へ向かった。
日付が変わる時刻、千砂は霊斬の店の戸を叩いた。
「どうした?」
戸の隙間から、霊斬が顔を覗かせる。
「遅くに悪いね。すぐに知らせなきゃいけないことがある」
千砂が口早に告げると、霊斬は戸をさらに開け、身を引く。
千砂は周囲に一度視線を走らせると、店に足を踏み入れた。
彼女がなにかを警戒しているのを悟った霊斬は、周辺に視線を走らせて、戸を素早く閉めた。
「それで?」
霊斬は空の徳利二本を持って、そこから
「ずいぶん呑んでるじゃないか」
「それよりなんだ?」
霊斬が急かす。
「あんたが元人斬りであること、桐野光郎は知ってたよ。それと、あんたのところにしばらく見張りがつくことになった」
「そうか、分かった。その間はそば屋にいかないことにする」
千砂はうなずくと、静かに店を去った。
千砂が去ってから、霊斬は一人、酒を呑みながら呟いた。
「しばらく、息が詰まりそうだ」
それから空が少し明るくなってくるまで呑み続けた霊斬は、寝床へ向かった。
翌朝、二日酔いで頭の痛い霊斬は、店を出て伸びをする。
そして、普段ない気配を感じて、溜息を吐いた。
店の近くに一人、店の斜向かいに一人、見張りと
――もうきていたのか。
霊斬は内心でそう思いながら、店の中へと戻っていった。