酔っぱらった客に帰るように告げたのは、気丈にも店番をしていた十代後半の妹だった。
「無理に今日、お買い上げなさらなくても構いません。今日のところは、これでお帰りください」
「断る! この店にある酒を全部、ためしに飲んでから帰る!」
酔っているのに、舌を噛まないことが不思議だ。駄々っ子のように言い張る。
それをなんとか抑えようとしていた若い武士が何度も謝りながら、主の手から
その場にいた誰もが困り果てていると、若い武士からの拘束を振りほどこうと、男は小太刀を抜いて、めちゃくちゃに振り始めた。
慌てて周囲の者が離れたが、店番をしていた妹だけが、離れる瞬間を逃し、斬りつけられてしまった。運が悪く、胸を斬られてしまい、妹は即死だった。
先ほどまで騒がしかった店が、一瞬にして静まり返る。
それでも酒に呑まれている男は、なにごとかを叫びながら、店を出ていった。
「話は以上になります」
女は固い声で告げた。
「ありがとうございます」
「それから、これを」
女は懐から、小判十両を差し出した。
霊斬はその代わりに、修理した短刀を差し出した。
霊斬は頭を下げて金を受け取ると、袖に仕舞った。
「では、決行後にお会いしましょう」
女はそれを聞くと、短刀を大事そうに仕舞い、店を後にした。
決行日当日、霊斬はいつもの着物から、黒の長着に同色の馬乗り袴、黒の足袋、同色の
その道中で、忍び装束姿の千砂に会い、一緒に伊佐木家へ向かった。
到着すると、霊斬は正面から、千砂は屋根裏から侵入する。
「曲者だ~!」
という大声を聞きながら、霊斬は動じることなく倒す。五人ほどの敵が姿を見せる。全員刀を抜き、腕を斬られた仲間を横目に、徐々に距離を詰めてくる。自分もこんな目に遭うのかという思いがあるからか、誰も斬りかかってこようとしなかった。
霊斬は素早く動いて距離を詰めると、全員の右腕に狙いを定め、次々に斬りつける。
「ぐあっ!」
予想していなかった痛みに呻き、五人は動きを止める。
その間を縫うように駆け抜け、霊斬は奥の部屋を目指した。
奥の部屋へ続く襖に手をかけた瞬間、首に冷たい感触があり、霊斬は動きを止めた。視線を動かすと、霊斬と同い年くらいの男に刀を突きつけられていた。
「簡単にはいかせん」
男は言いながら、刀を引いた。
霊斬は黒刀を持ち直し、男の右腕を狙って振り下ろした。しかし、その攻撃は男の刀に阻まれる。
霊斬は忌々しげに舌打ちをしながら、距離を取り、再度突っ込んでいく。阻まれるも、強引に黒刀を振り下ろした。壁となっていた刀は男の手を離れる。無防備になった右腕をざっくりと斬り裂いた。鮮血が飛び散る。
「ぐうっ!」
「これ以上貴様に、構っている時はない」
霊斬は冷ややかに吐き捨てると、襖に手をかけた。
霊斬がちらりと天井に視線を投げると、様子を見ている千砂と目が合う。それを無視し、言葉を発した。
「待たせたな」
「全員、倒したのか」
尋ねる史郎の声は元気がなかった。まるで、置き去りにされた子どもだ。
「ああ」
霊斬はうなずく。
「あれは事故だ。あれは、事故だ」
と史郎は何度も口にした。
その様子を見ていた霊斬は、溜息を吐いた。
「貴様がどんな思いでいるのかは知らん。だがな、人が一人、死んだ。その事実から目を背けるな!」
霊斬は怒鳴った。
「この家を壊しに、きたのか?」
「まあ、そんなところだ」
霊斬は答えた。
「なら、もう、どうでもいいな」
史郎は上着を脱ぐ。
その様子を見ていた霊斬は、ゆっくりと歩き出す。
史郎が最期に見たのは、霊斬の背中だった。
鈍い音が聞こえ、どさっと重いものが倒れる音がした。
霊斬はそれらの音を聞くと、屋敷を後にした。
史郎の最期を見届けた千砂は、複雑な思いを抱えたまま、後に続いた。
それから三日後、依頼人の女が店に姿を見せた。
「伊佐木史郎はどうなりましたか?」
「自害いたしました」
霊斬は静かな声で告げた。
「あなたがなにか、そうさせるような言葉を言ったのですか?」
「いいえ。私はただ、ひとつの命が失われたことから、目を逸らすなと、告げたまでにございます」
霊斬は即座に否定した。
「そうですか」
女は懐から小判十両を取り出すと、静かに差し出した。
霊斬は無言でそれを袖に仕舞う。
「では、またのお越しを、お待ちしております」
その言葉を最後に、女は一礼して、店を去った。
それからしばらくして、霊斬は隠れ家に足を運んだ。
「千砂、いるか?」
「いるよ」
千砂は霊斬を見ると、中に招き入れた。
「……対象者が自害するとはね」
千砂が重い口を開いた。
「ああ、俺も驚いた」
霊斬が同意する。
「もう、人が死ぬところなんて見たくないよ」
「嫌な思いをさせたな。悪かった」
「気にしないでおくれ」
霊斬は無言で隠れ家を去った。