「よっ、ほっ、とう」
空中に出現しては消えていく魔法陣を足場に、私は空を跳ねるように移動していた。
視界の端、所謂簡易ステータスが表示される場所には現在私が居る高さも表示されている。
高度6000メートル……周囲には白と青の色しかなく、下を見れば地面が遥かに遠い位置にあった。
……落ちたら即死だろうねぇこれ。こわぁ。
落下した所でダメージを食らうような柔な魔術構成にはしていないが、それはそれ。
恐ろしいものは恐ろしいのだ。
「お、そろそろゴールかな」
何の理由も無しに空を跳んではいない。
徐々に見えてきた地面に対し、私は一気に跳び乗った。
空中に浮かぶ、庭園のような場所。
辺りを見渡せば林檎などの果実が実っているのが分かった。
そんな事をしていると、私の上に影が差す。
私が延々空を跳び続けてきた理由。それは、
『ソラを駆け、我が神域まで辿り着いた勇敢なる者よ。名は?』
「クロエです」
『クロエ……成る程、その身に宿る魔力。魔術師か』
そこには巨大な竜が居た。
白く巨大な身体を持ち、紅く燃えるような瞳をこちらへと向ける竜は何処か楽しげに空気を震わせる。
『汝、魔術師クロエ。我が神域に辿り着いた事を歓迎しよう。して、何が欲しい。富か?力か?それとも……』
「勿論、貴方の魂を。……神竜ラードーン」
『やはり、やはりか……良かろう。だが、我の魂は真なる強者のみに与えられる。汝に我を討ち倒すことが出来るか……!?』
【ダンジョンボスが出現しました】
【ボス:『庭園の護竜ラードーン』】
【ボス討伐戦を開始します】
簡素なログが流れ、空気が一変する。
だが、戦いの始まりはもっと単純だった。
ラードーンは私の数百倍も有ろうかというその巨体を用い、ただ自身の大理石のような美しい爪を振るう。
どれだけの膂力が込められているのか分からないそれは、音速を超え私に襲いかかった……とはいえ。
これだけでやられるほど、私は弱くは無い。
『ぬぅ……面白い。汝、魔術師は魔術師でも陣使いか』
ガキン、という硬い音が真横で鳴り。
そこにちらと視線を向ければ、デフォルメされたゴブリンの意匠がされた魔法陣がラードーンの爪を受け止めていた。
私の被害は……近くで爆音が鳴った以外存在しない。
「あは、やっぱり珍しいんですね。コレ」
『我の覚えている範囲で扱っている人間は汝が初めてだ。そして我の一撃を耐えた、という意味でもな』
「それは恐悦至極」
……うわぁ、良く受け止められたなぁ。
正直な話、確実に目の前に居る巨大な白竜はソロで挑むような相手ではないのだろう。
しかしながら、私はここに来る必要……というよりは。お願いをされてしまったのだから仕方ない。
「……恨むからね……」
時は、少し前。
時間にして1日前に遡る。
――――――――――
「……嬢ちゃんが久々に声かけてきたから何かと思えばよぉ……」
「いやぁすいません。知り合いの中で鍛冶系って言ったら貴方しか居なくて」
「だからって……いや、良い。今や嬢ちゃんは一介の社長だからな」
「やめてくださいよ」
【始まりの街】。その一角である、プレイヤー達からは職人区画と言われるようになったエリア。
そこに一軒の真新しい鍛冶屋が存在している。
一等地というべきプレイヤーやNPC達が良く通る位置ではないものの、それでも人通りは少なくない道に面したその鍛冶屋では、今も鉄を打つ音が木霊していた。
「で、グリルクロスさん。どうです?」
「結論から言やぁ……こりゃ今のここの設備じゃ無理だ。誰に作ってもらったんだ?」
「メウラさんですね」
「……一等地の生産トップ層じゃねぇか」
「ちょっと縁がありまして」
私の目の前に座り、鉄を打ちながらも会話を続けてくれる漫画などに出てきそうなドワーフの男性……とあるゲームで知り合った生産系のプレイヤーであるグリルクロスはその手を止め、私へと向き直った。
「俺の所に持ってくるのは良い。だがこれは……」
「やっぱりだめですか」
「言った通り設備がねぇ。恐らく、現状どこの鍛冶屋に行っても同じじゃねぇか?ほれ、試しで叩いてみたんだが……」
彼の手の先。ヤットコに挟まれ炉の熱によって熱されたそれは、新品のように傷一つない。
否、本当に熱されているのかどうかも怪しいくらいに、白銀に輝いていた。
小さく、しかしながら怪しく光を返すそれは、ナイフに使われる程度の小さめの刀身だ。
「うげ、叩いてた側が潰れてる」
「そういうこった。どうやったってこりゃ加工出来ねぇ」
グリルクロスが持つ鍛冶用の槌。耐熱性があり、頑丈なそれは……今は見る影もない程にその頭の部分がひしゃげていた。
彼の言う『設備がない』というのは、つまりはこのナイフを加工するのに耐えられる物がない、というそのままの意味だ。
「元々はどこで拾ってきた素材だ?」
「アレは確か……特殊エリアのダンジョンですね。一応ここから、グリルクロスさんも行ける類のエリアですけど……行きます?」
「行かん。こんなナイフが出来上がる素材が落ちてる所に行ったとして、俺に何かできるとは思えん」
白銀のナイフの銘はない。
だが、これを作り上げたメウラという生産プレイヤーは『強化されたら自然と名が付くタイプだろう』と予想をしていた。
だから私はコレに名を付けていない。
『名は体を表す』という言葉がある。
それは魔術の絡む世界ではより顕著に表れてしまう。
名があるからこそ身体があり、身体があるからこそ名が存在している。
今はまだ何も名の無い、ただただ頑丈であるだけの白銀のナイフもいずれ名を受け、自身の存在を名に沿った形で変化させるのだろう。
「それに、嬢ちゃんも分かってたんだろ?強化できねぇって」
「まぁ……警告文出ますからね」
Arseareというゲーム内では、アイテムなどを強化する方法は多岐に渉る。
それこそグリルクロスのような鍛冶による強化は一般的で、魔術による強化、NPCによる強化、時間経過による強化など、本当に馬鹿かと思うレベルで多い。
だがそんな中、このナイフはシステム的な制約によって数々の強化方法を拒否してきた。
それが、
「【第5フィールド以降に出現するダンジョンボスの魂が必要です】ってなんだそりゃって感じですよね」
「少なくとも俺にゃ無理だろうよ。恐らくこういう生産系施設を強化していくとそういう問題にぶち当たるんだろうが……流石に俺にとっちゃ問題を先取りしすぎだ」
「あは、グリルクロスさん今どこでしたっけ」
「第3だ。嬢ちゃんは?」
「一応第4を安定してソロで。……パーティですかねぇ」
「……嬢ちゃんはパーティ組めるのか?」
「組めませんねぇ……」
現状、少し特殊な事情によってパーティが組めないようになっている私からすると、第5フィールドというのはどこもハードルが高い。
ダンジョンの難度が高い、というだけではない。
単純にダンジョンの存在しているフィールドの環境が悪すぎるのだ。
マグマが宙に河を作っているような草原や、氷の木が無数に生えた森、水没した海中都市に、どこまで続いているのか分からない崖。
環境に対する対応策をとらねば、歩いているだけでも死ぬ魔境。
そんな場所に生成されているダンジョン内がまともな環境なわけもない。
「そういや、嬢ちゃん知ってるか?」
「なんです?」
「ここいらに最近、第5フィールドの方から流れてきたダンジョンがあるらしいって噂だ」
「流れてきた?」
ダンジョンは基本的には生成された場所から動くことはない。
生物のように意思があるわけでも、動き回るための足があるわけでもないからだ。
「あぁ、流れてきたらしいぞ。ダンジョン名は『空浮かぶ古庭』だと」
「成程。『空浮かぶ』の特性でダンジョン自体が浮いてると。……え、挑んだ人いるんです?」
「居るらしい。どうにも特殊な挑戦条件らしくてな?ボスの討伐が失敗しても準エリアボスにはならないらしい。ボス自身が『我は挑戦者を待つ』ってセリフを吐いたらしいな」
「会話できるタイプですか……」
「やっぱり面倒か?」
「面倒ですね。それに元々が第5って所を考えると、まず純粋な高難度ってわけじゃない。多分ですけど、そのダンジョンってなんか特殊なルールとかあったりしません?」
私がそう聞けば、グリルクロスはかっかっかと楽しそうに笑う。
「流石にそっち側の仕事をやってると分かるか。……ボスエリアしか無いらしいぞ。このダンジョン」
「うわぁ。入った瞬間即戦闘ってわけですね」
「それに1回しか挑戦権が無いらしい。1回失敗したら再攻略は不可。加えて」
「まだあるんですか……?」
「あぁ。というか話を振った理由にもなるルールが1つな。……ソロ限定だ、そうだ」
「……成程」
現状ソロしか選択肢がない私にとって、そのルールは制約にすらなり得ない。
だが、問題はそこではなく。
「ダンジョン内の環境は?」
「普通、だそうだ。まぁ尤も『空浮かぶ』の時点で高高度対策は必要だろうがな」
「でしょうね。……仕方ない、行くかぁ。座標貰っても?」
私がグリルクロスからナイフを受け取り、ダンジョンに向かう準備を始めると彼は苦笑いしながら問いかけてくる。
「それは良いが……なんでそこまでしてそのナイフを強化したい?後回しじゃいかんのか」
「あは、嫌だなぁグリルクロスさん」
その問いはMMOなんていうゲームをやっているプレイヤーにとって、上を目指している廃人と呼ばれる人種にとっては愚問でしかない。
「現状のエンドコンテンツを進めないだなんて廃人名乗れませんよ」
「おっと、そりゃそうだ。こいつぁ下らねぇ事を聞いちまったな。……でも勝てる見込みはあるのか?こっちに来てから日が浅いが、嬢ちゃんが強いのは分かる。だが……」
「あは、今の私は限定的な条件が揃ってるなら格上でも殺し切れるんですよ?……まぁお土産話をお楽しみに」
そうして、私は鍛冶屋を後にした。
目指すは、空に浮かんでいるという高難度ダンジョン。
「よし、ミッション開始」