タムは涙も流せなかった。
目が、のどが、心が、
みんなみんな乾いてからからになった気がした。
後ろから足音が近づき、タムの肩に手を置いた。
「行くぞ、居続けたら乾く」
ネフロスは簡潔にそう言った。
タムはうなずいた。
パキラが、ネフロスが、311号室を出る。
タムはもう一度だけ振り返った。
ベッドには、ベアーグラスだった、乾いた塊がある。
赤い袋がそのそばにおいてある。
これでよかったんだろうか。
タムはやりきれなかった。
彼らは受付まで戻ってきた。
ネフロスが、受付のファイアーボールに声をかけた。
「311号室のベアーグラスだが…」
ファイアーボールは、目を閉じた。
「乾きましたね」
ネフロスはうなずいた。
ファイアーボールは、少し悲しげな表情になった。
「いくつ乾ききったものを見続けていても、やっぱり慣れませんね」
「害虫も駆除してある。だから…」
「害虫とベアーグラスを別々に埋葬、それでよろしいでしょうか」
「ああ、頼む」
「棺桶屋に手続きを取ります。本日はありがとうございました」
ファイアーボールは、赤い、ぶわっとはじけた頭で、深々と礼をした。
彼らは、乾きの治療院から表へ出た。
扉から出ただけで、身体が、空気から水を含んだ気がした。
ゆっくり門まで歩く。
空気はこんなに湿っていただろうか。
太陽はこんなにぼんやりとしていただろうか。
太陽は?
門を出て、ふと気がつき、タムは空を見上げた。
空は夜ではない。太陽は見えない。
「一雨くるな」
ネフロスがつぶやいた。
タムのおでこに雫があたった。
ポツリポツリと雫は増え、
やがて、さぁ…と、優しい雨になった。
「乾いたから…丁度いいよ」
パキラが静かに言った。
ネフロスがうなずいたが、二人とも表情は晴れなかった。
ぼんやりと空を見ている。
裏側の世界に、魂が空へ帰るとか、そういう概念はあるんだろうか。
ベアーグラスは乾いた。
その水が、雨恵の町に降り注ぐ。
彼らはその身に雨を受ける。
水を受け継ぐように。
やがて、乾きの治療院の表門に、箱をいくつも紐でくくりつけて背負った、
黒いローブの男が現れた。
タムはその目を見た。
赤い果実のように真ん丸で輝いていた。
乾きの治療院から、ファイアーボールが出てくる。
「コケモモさん、お待ちしていました」
「弔うのは?」
「311号室。害虫と別でお願いします」
「うむ」
コケモモは重々しくうなずいた。
タムはあれが棺桶屋だろうと、なんとなく思った。
乾いたベアーグラスは、きっと箱で十分なのだ。
雨はさぁさぁと降り続いている。
やがて、コケモモが乾きの治療院から出てきた。
ファイアーボールが、深々と礼をして、コケモモを見送った。
コケモモの黒いローブは、外に出ると水を吸い、ある種の色を帯びた。
来る時と同じように、箱を紐でくくって背負っている。
きっと中には、乾いたベアーグラスがいるのだ。
コケモモはネフロス、パキラ、タムの前で立ち止まった。
ローブでその赤い目を隠したまま、コケモモは歌った。
「その水は雨へ、その身は土へ、その魂はめぐり、やがてめぐりあうことを」
それは祈りに似ていると思った。
「土から生まれし身体なれば、また土に帰り、水で育てし身体なれば、また雨に帰り」
タムはじっと祈りに聞き入った。
「魂はめぐり、風に導かれ、またであおう。壊れた時計は魂とともにある。確かに」
タムは目を閉じ、うなずいた。
コケモモの重たくなったローブがゆっくり霧雨にけぶって清流通り四番街を歩いていった。
「祈り…か」
ネフロスが口を開いた。
「何度祈っても、やっぱり慣れない。ファイアーボールの気持ちもわかる気がする」
パキラもうなずいた。
「めぐりあえるとしても…別れはやっぱりつらいよ」
さぁさぁと降る雨の中、
タムは、ベアーグラスを元気に出来たか考えた。
「あれで…よかったんでしょうか」
ネフロスは、タムの湿った髪をぐしゃぐしゃにした。
「お前はよくやった。約束できたじゃないか」
「…やくそく」
「約束できたなら、また、会える。裏側の世界の祈りの一つだ」
「祈り」
「帰るぞ。そのうち雨も止む」
ネフロスが歩き出した。
パキラも続いた。
タムも続いた。
雨はしょっぱい気がした。