ネフロスと緑は鳥篭屋を目指した。
通り過ぎたそこを、少しだけ戻る。
影法師のような、裏側の世界の住人が通り過ぎていく。
いくつか店の前を通り過ぎる。
そして、鳥篭屋の前に彼らはやってきた。
まずは、ショーウィンドーを見る。
時計らしきものはない。
並んでいるのは鳥篭だ。
「鳥篭ですね」
「ここは鳥篭屋だからな」
「壊れた時計ないですね」
「いや、中にならあるだろう」
ネフロスは鳥篭屋のガラス戸を、ガラガラと横に開けた。
遅れて、緑が引っ張り込まれる。
薄暗い鳥篭屋の中には、
大小素材からして様々の鳥篭が並んだり、吊られたりしていた。
緑は呆けたように鳥篭を見ていた。
自分の部屋を鳥篭だらけにするのも楽しいかもしれないと思った。
そして、また、引っ張られた。
「あ」
「あ、じゃない。とにかく、壊れた時計探すんだ」
ネフロスに引っ張られて、狭い店内の奥へと進む。
緑は小走りについていく。
古びたレジの横に、影法師がいることを緑は認めた。
「ここの壊れた時計、いくつ在庫ある?」
ネフロスが影法師に向かって問いかける。
影法師はなにやら言葉を言ったらしいが、緑は理解できなかった。
裏側の世界の言葉なのかもしれない。
「ん、そうか」
ネフロスは納得した。
鳥篭屋の影法師が、レジ近くにある手回しの歯車を回した。
きこきこと音がなり、
天井に吊られた鳥篭が、いくつかゆっくり移動した。
そして、ひとつ、鳥篭が下りてくる。
「ここの在庫の壊れた時計だ」
ネフロスが説明した。
鉄製の鳥篭の中に、時計が一つ。
古びているのにきらきらしている。
懐中時計だ。
「取り出して確認しな」
緑はそっと、鳥篭に近づく。
そして、鳥篭から壊れた時計を解き放った。
壊れた時計は、一瞬、緑を包むようにゆがみ、
緑はその瞬間目を閉じた。
壊れた時計は、すぐに壊れた時計の姿に戻った。
緑は壊れた懐中時計を開く。
蓋の裏に文字が彫ってある。
「アジアンタム…」
緑が読み上げた。
瞬間、緑は裏側の世界の名前を手に入れ、
裏側の世界の住人になった。
「それがお前の裏側の世界での名前だ」
ネフロスの声が、さっきよりはっきりと聞こえる。
「タムとでも略するか?」
ネフロスが手を離して、にやりと笑った。
「タム」
「そう、お前はこれから裏側ではアジアンタム、タムだ」
「タム」
タムはうれしくなって繰り返した。
声が微妙に高い気がする。
鳥篭屋の主人は、もう、影法師ではない。
おばさんが歯車を回して、また、鳥篭の配置を元に戻している。
「裏側の世界の住人…か」
「格好もそれっぽいじゃないか」
ネフロスが指摘した。
見れば、タムは今までのジーンズとシャツという格好の上に、
ポケットがいっぱいの、緑色の大きなジャケットを羽織っている。
タムはそれがひどく気に入った。
タムは自分だけの壊れた時計見た。
秒針も長針も短針も、
好き勝手自由気ままに動いているのに、
中に見える歯車やぜんまいは、生真面目に刻みを入れている。
タムは最高の時計だと思った。
「さて、お前の時計は見つかった」
ネフロスは腰に手を当てて、偉そうな格好をした。
「これでいつでも裏側の世界に来れる」
タムはうれしくなったが、同時に疑問もわいた。
「どうして裏側の世界に、僕が?」
ネフロスは、頭をかいた。そして、
「出来れば俺たちの仕事を手伝ってもらいたいんだ、人手不足でな」
「どんな仕事?」
タムがたずねる。
「なんでも屋って感じだ」
「ふぅん」
タムはちょっと考え込んだが、
「いいですね、僕でよければ」
「危険かもしれないぞ」
「なんでも屋って言うのが気に入ったんです」
タムはにっこり微笑んだ。
「ねぇ、裏側の世界のこと、もっと教えてください」
タムが鳥篭屋の扉を開く。
ネフロスがつかつかとついていく。
「俺たちのアジトに行きがてら、ある程度は教えるさ」
タムは通りに出た。
そこにはたくさんの裏側の世界の住人がいた。
その一人になれたことを、タムはうれしく思った。
「おいこら、こっちだ」
歩き出したネフロスを、タムはあわてて追いかけた。