シズ・エラントーシャという女は自分の心が弱いことを知っている。
と言っても、物事をすぐに投げ出したりだとか、他人に流されやすいという意思を指しているわけではない。
――あたしが悪いんです。
これはシズの口癖であり、彼女にとっての解決方法かつ心の防衛手段だった。
自分が悪ければ、相手は悪くない。
もう少し言えば、相手を悪く思わずに済むということである。
そうとも、シズは知っていた。
自分が誰かを憎んでしまえば、その憎しみに囚われ続け一生相手を許すことが出来ないほど心が弱いと。
だからこそ、何か悪いことが発生すれば誰の責任であるかを聞く前に自分が悪いことにする。
ある意味、聖女としての素質を誰よりも有していると言えるだろう。
この世界で起きる不幸や不吉を、自分こそがと背負おうとする姿勢は。
心の内訳は本人にしかわからない。
だが、シズという女は魔女であっても誰より聖女と呼ばれるに相応しい女だった。
こと、あらゆる十字架を背負う、そのものとして。
「ん……」
「あ、おはようございます。気分は如何ですか?」
「こ、こは……あなた、は……?」
特に世話を頼まれたわけではなかったが、面倒見の良いアリサはシズの休んでいるフォウルの私室で夜を過ごした。
これを機会にせっかくだからと、フォウルの部屋を漁って趣味嗜好を調査したりもしたが、残念ながら何もピンと来るものは見当たらず、大人しくシズの様子を観察するに留めている。
「ここはハフストっていう村です。お連れの方が言うには、魔力切れで昏倒されたらしいですけど……覚えていますか?」
「まりょく、ぎれ……? こんと――そ、そうです! フォウさんはっ!?」
布団を跳ね上げて、勢いよく起き上がるシズだ。
「お、落ち着いて下さい! フォウという人はあのシスターさんですよね? お礼に魔物を退治しに行ってきますって出ていかれてから、まだ帰ってきていませんよ」
「魔物っ!? いえ、それよりも! フォウさんは無事……無事に生きているのですね!?」
「え、ええ、はい。少なくとも、あなたをここに連れてきたのはあの人ですし、お強いのですよね? なら、今も大丈夫だと、思います」
何を急にと困惑するアリサだったが、とりあえず事実を言っておく。
頭を悩ませていた魔物をヴォーグだと検討つけた上で、なんでも無いように出ていったことから返り討ちにされてしまうことも無いだろうと。
「無事、無事……よか、った……よかった、です、よぅ……」
「え、えぇっ!? ど、どうしましたか? ま、まだ何処か痛いところでもありますか? お、お医者さんはちょっと村にいないですけど、だ、誰か詳しい人を連れてきましょうか?」
「いえ、いえ、いえぇ……ありがとう、ございます……」
そのかいあってか、少なくとも安心はしてもらえたのだろう。
急にボロボロと涙をこぼし始めたシズをどうすればと焦ったアリサだったが、この様子なら大丈夫と胸を撫で下ろす。
「……大事な、人なんですね」
「大事な、人?」
「え? 違いましたか? そのフォウさんって言う人は、えぇとシズさん、でしたか? あなたにとってとても大切な人なんだなーって」
自分の状態よりも真っ先にフォウのことを案じたシズをみれば、そう思うのも当然だろう。
「あ……あわ、あわわわっ」
「こ、今度はどうしました!? 顔、真っ赤ですよ!? 魔力切れって大変なんですね!?」
「ちがっ、ちがいます、違うのです! あぁいや、違うこともなくて! フォウさんはとっても大事な人で!? あわわわわっ!?」
手をバタバタと振り回しながら誰に対しての弁明なのかもわからず、アリサは慌てながらもどうしろとと頭を抱える。
ただ、シズはもう落ち着けなかった。
魔力を暴走させて爆発を生んでしまったことは覚えている。
つまりは、また自分は誰かを傷つけてしまったと。
当然だ、何度かコントロールを失って魔力を爆発させてしまった経験がある。
その結果、周りにいた人間がどうなったかさえも。
それが、無事。
無事どころか、気を失った自分を村へと運び込み休息を取らせ、その上自分はお世話になったお礼をすべく魔物退治に出ている。
「――かみ、さま」
「はい?」
「その、フォウ、さんは、あたしにとって、神様、みたいな人です」
故に悟った。
今までと何一つ違う結果を齎した、フォウという女性のことを、神様だと。
「そ、そう、ですか」
「はい。フォウさんは神様です。あるいは、聖女や女神と言った言葉は、あの人のためにあるようなもので……って、すみません。お礼がまだでしたね、申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました」
「い、いえ、お気になさらず」
アリサは控えめに言ってもドン引きした。
むしろ、引かない理由がない。
アルティア信仰に明るくないアリサではあるが、もし狂信者という存在がいたのなら、それは目の前の人を指すのだろうと。
「ありがとうございます。その、フォウ……様は、いつ頃お戻りになられると仰っていましたか?」
「え、えぇと、朝方には戻るって、言ってましたけど――うん?」
「――アリサちゃん! ちょ、ちょっと来てっ!? あのシスターさんが帰ってきたんだけど……あーもう、とにかく助けて!?」
「は、はいぃっ!?」
今度は何だと、慌ただしく部屋を後にするアリサの後ろから。
「我が主、フォウ様……あたしは、シズは。あなたの御心に、従います」
「……ひぇっ」
危うい言葉が、聞こえたような気がした。