「ダンスはどうにかなるのよ。蓮くんも標準的な運動能力はあるしね。……問題は、歌」
一通りダンスの欠点を指摘してから、ママはピアノの前に戻った。
「一度ふたりで歌ってみて」
今度掛けられたのは、ボーカル除去されたバージョンの「Magical Hues」だった。
「本気で歌ってよ!」
ママが録音の準備を始める。本気で、ってガチ本気で歌っていいんだろうか……。
私はちょっと悩みつつも、「いつもの本気」を出して歌った。私の声が入り始めた途端、ぎょっとしたような顔で蓮くんがこっちを見たけど仕方なし。
「あー、ダメー、やっぱりダメね」
「ダメですか……」
「やっぱりダメかー」
一曲通して歌ったところで、すかさず入るママのダメ出し。私はほぼ予想通りの反応だったのでショックは少ないけど、蓮くんがあからさまにがっくりしてる。
「まず蓮くん、ユズに負けすぎ。声量も声の伸びも何もかも足りてない。これはボイトレを積み重ねないといけないから、まあ仕方がないわ。それとユズ、あんたは協調性が足りてない。ふたりとも『一緒に歌おう』という意識が欠片もない。歌詞だけメロディに乗せて歌うのなら誰だってできる。感情を乗せなさい。歌詞が持つ物語を声で紡ぎなさい。ユズはいくらかマシだとしても、蓮くんはまだ圧倒的に表現力が足りない。
いい? これから私が歌うのを見てて」
立ち上がったママは一度目を伏せて、アカペラで歌い出す。曲はアメイジング・グレイス。多分誰でも一度は聞いたことのある賛美歌だ。
防音室に響き渡る伸びやかなソプラノの圧倒的な声量。時にささやくように、時に全身で神に訴えかけるように、ママは神様を讃える歌を歌い上げる。
ビブラートの掛かった高音は幸せそうな歌声で、転調してからは更に声を響かせ、手を天に向かって差し伸べながらその目は神様を見つめているようだった。
「Was blind, but now I see――」
たっぷりと余韻を残して歌い終えたとき、蓮くんは呆然とした顔で自分で自分の腕を押さえていた。
「ドヤァ」
「ああっ! せっかく感動してたのに、今ので割と台無しになった! ……すげえ、まだ鳥肌立ってる。なのにドヤァって、それはない……」
歌い終わった途端、聖母のようだったママが元の強火オタクママに戻ったので、蓮くんは情緒が混乱している模様です。私は、もう慣れてる!
「どう感じた? 率直に言って」
「えーと、その、なんつーか、凄い多幸感っていうか。心の底から神様を信じて愛してるんだって伝わってきて」
「そうね、そういう気持ちで歌ってる。私は無宗教だけど」
「そーなんですか!?」
そうなんだよね……アメグレなんてメジャーな歌だし、賛美歌としてじゃなくてもみんな知ってる歌だもん。アメリカでは「第二の国歌」とまで言われてるし、いろんな歌手が歌ってる。
もう、そこに宗教はあんまり関係ないのだ。特に日本人にとっては。
「これが、表現力というものよ。ふたりに足りてないもの――歌詞の理解と、曲にメリハリを付けること、それと、例え音を狂わせてでもいいから感情を乗せることね。今回は急だし、ミュージカル並みの歌唱力は求めてない。だけど、それができれば人間は歌ひとつだけで言葉が通じなくても人の心を揺らすことができるの」
ママの言葉に、蓮くんは凄く真剣にうんうんと頷いている。
今、いいこと言ってるんだよね。蓮くんも「凄く大事なこと言われてる」って理解してる。
でも私は知ってるんだ……今、ママは推しくんのことを考えてる! ママの推しくん、凄い歌がうまいから!
ミュージカル見ながらママが号泣してる姿を何度見たことか!
「蓮くんは歌詞についてちょっと考え直してみて。ユズはこっち来てこれを見て」
「はい?」
ピアノの前に呼ばれて見せられたのは、手書きの楽譜! しかも、これは「Magical Hues」の主メロじゃない。ハモりパートだ!
「んもー、みーたんに編曲頼んだら、『いい加減9年も歌ってるんだからハモりパートくらい作れるでしょ』って言われて昨日の夜から必死に自力で作ったのよー。和音取ってるだけだからそんなに難しくはなかったけどね」
「えー!? ママが編曲したの!?」
「編曲!? そんなことまでできるんですか!?」
「初めてやった! さっきふたりが来るまで弾いてたのは、そのハモりがちゃんと合ってるかを確認してたのよ。一応音としては違和感ないけど、歌ったらどうかまではまだ試してなくて。みーたん――うちのクワイアの編曲担当なんだけどね、みーたんに有償でもいいから頼んじゃえと思ってたら、『有償でも断る』って言われちゃって」
「クワイア?」
「聖歌隊のこと。ゴスペルの場合の合唱団みたいな物よ。はい、じゃあ蓮くんは歌詞を深く掘り下げるのに戻って、ユズは音取りするからちゃんと聞いて」
「待って、録音する」
私が慌ててスマホのボイスレコーダーを入れると、それを確かめてママが旋律だけを単音で弾いていく。うっ……これは、元の曲からすると難易度が2倍くらいになっている!
「どう? できそう?」
「できるけど、できるけど解せぬわ……元歌より難しくなってるのに私裏メロだなんて」
思わずぼやいたら、ママが椅子に座ったままくるっと回転して、私の顔を真っ正面から見つめてきた。
「ユズは何がしたいの? 蓮くんとアイドルとしてどっちが上か張り合いたいの?」
「そんなことは思ってないけど――」
「思ってる。私の方が歌もダンスも上手いのにって思ってるでしょ。なのに主メロじゃないから拗ねてるのよ」
「あ……」
そうか、蓮くんより大変なのに私が主役じゃないって確かに思ってた……。
でも、私自身はアイドルになりたいわけじゃない。歌うのも踊るのも好きだけどそれは単なる趣味で、私の将来の目標は動物に関わる仕事をすること。
SE-REN(仮)をやるのは、あくまで蓮くんと聖弥さんの手助けのためだ。
「わかった。私が蓮くんを支えればいいんだね?」
「今回のユズの役目はまさしくそうよ。だから、自分が自分がっていう歌い方はやめなさい。蓮くんの声をよく聞いてそれに合わせて歌うの。蓮くんと聖弥くんはお互いにそうして歌ってたわ。だから技術が拙くても、『聴いちゃう歌』になってたの」
「すいません……俺もさっきそういうことスパーンと忘れてて、ゆ~かの声に圧倒されてかき消されないように対抗することしか考えられなくて」
ばつが悪そうに蓮くんがうなだれる。いや、これに関しては完全に私が悪いわ。
「ごめん、元々蓮くんのサポートをする役目だったのに、そんなことすっかり頭から消えてた。――今度はちゃんと蓮くんを引き立てるように歌うから」
多分、彼に向かってこんなに真面目に向き合ったのは初めてなんじゃないだろうか。
私が真剣に言って頭を下げたら、蓮くんも頷いてくれた。
「俺も、聖弥じゃなくてゆ~かと歌ってるんだってこと忘れないようにして歌う」
「ママ、もう一度歌うから、曲を掛けて」
「えっ!? おまえ、1回聴いただけであのハモり憶えたのか?」
「いやまさか! 楽譜見ながら歌うよ、さすがに」
準備よく用意されていた楽譜のコピーを渡されて、私は蓮くんと向かい合って立った。合唱の練習の時には、お互いの声を聴くために輪になって歌う。それがうんと小さい単位になっただけ。
音楽が流れる。私は蓮くんの声量に合わせてそれを支えるように、高音のハーモニーを歌う。楽譜を見ながら丁寧に、蓮くんの声を確かめながら。
歌い終わったとき、ママの拍手が防音室に響いた。