「大僧正! 大僧正!」
「……むぅ……なんだ……」
「よかった! 気が付かれたのですね」
ももこが屋敷を出て丸一日が経とうとしてた。
たった一日しか経っていないが、ももこの魅了の呪いに起因する「ももこ様病」は、ももこが屋敷を出たことによって急速にその効果が弱まっていた。
信者達は次々と目を覚まし、一番重症であった大僧正も今目覚めたのだった。
「うむ……そうか、私はももこ様病に倒れてそのまま……おい、今は何日だ? 倒れてからどのくらい経っておる?」
「はっきりとは分かりませんが、恐らく一日、もしくはそれ以上経過していると思います。しかし二日は経っていないかと」
「そうか……まぁそれはそうであろう。二日、三日となれば無事ではいられなかったかもしれん……ももこ様病……ももこ様が愛おしすぎて病にかかるなど、ももこ様の前では恥ずかしくて口が裂けても言えんが……恐ろしい病だな」
「大僧正、とりあえず水をお持ちいたしました」
「ああ、すまないな。信者の様子は? それとももこ様のご様子は? きっと今回のことで心を痛めていらっしゃるだろう……」
「先ほど、ミモモさんを除く全ての信者の意識が戻ったことを確認しております。ミモモさんもじきにお目覚めになるかと。ももこ様のところへは担当の者を今手配──」
その時、会話の途中で大僧正の執務室の扉が乱暴に開かれた。
「大僧正!! ももこ様が、ももこ様がっっ!!」
「どうした!? ももこ様に何があったのか!?」
「ももこ様がお部屋にいらっしゃいません! 周囲の空き部屋にもお姿が見当たらず……」
スルリと、大僧正の手から水の入ったコップが滑り落ち、乾いた音をたてて床に転がった。
「なん……だと!?」
大僧正は即座に全信者を集め、ももこの捜索を開始した。
屋敷はおろか、屋敷の外の森の中まで捜索された。
しかし、ももこの姿はどこにも見当たらなかった。
陽は傾き、そして沈みかけた頃、一旦情報を持ち寄るということで全員が玄関ホールに集められた。
ももこの捜索開始から、四時間が経過していた。
「大僧正……見つかりません……」
白装束達はへたり込み、そしてうな垂れていた。
全力で捜索したにも関わらず、消息すら掴めていないのだ。
「うむ……まだ探していない場所と言えば地下二階だが……ももこ様があそこへ立ち入られるということは考えられん……これだけ屋敷を探しても見つけられんということは、やはり外……もう少し捜索範囲を広げるべきか……」
受け答えははっきりとしているが、大僧正が誰よりも疲弊し、また精神をすり減らしていた。
冷や汗は止まらず、不安になるたびに零れた涙で目を赤く腫らしていた。
また、ももこ様病が第四段階になってから丸二日間、何も食べていない。
小刻みに震える体、真っ青な顔色。
大僧正の体調も、精神状態も、人生の中で最悪の状態であった。
「皆、うな垂れている場合ではない! なんとしてもももこ様をお探しするのだ! 今頃お一人で不安がっておられるはずだ……」
大僧正のその言葉に、白装束達は顔を上げた。
「そうだ、大僧正の仰るとおりだ……」
「ももこ様……どうかご無事で……」
「今我々が向かいます!」
「よいか皆の者! この屋敷の周辺をもう一度徹底的に探した後、捜索範囲を拡大する! 大丈夫、もう見つかるはずだ! 調理部はももこ様が帰られたときに、すぐにお食事ができるように準備をしておくように!」
「おおおっ!」
「もう一回探そう!」
「よし、部署ごとに班を作れ! お前はこっちだ!」
白装束達が再び立ち上がった。
先ほどまでの絶望的な雰囲気が少し和らいだ。
ももこのことを想えばこそである。
大僧正は檄を飛ばした後、足元がふらついた。
当然大僧正の体調不良を白装束達は知っている。
自分達も大僧正と大差はない。
しかし大僧正に「大丈夫か」と声をかける者はいなかった。
今はももこ。
ももこなのだ。
ももここそ何よりも優先されるべきことである。
それが邪神教信者達の共通の行動理念であるからだった。
再びももこ捜索のため、外へ出ようとしたまさにその時であった。
一人の白装束の声が玄関ホールに響き渡った。
「みんな待ってくれ! ミモモばあさんが目を覚ました! 皆に伝えなきゃいけないことがあるって!」
大僧正をはじめ全員が声の聞こえた背後にある階段に注目する。
そこには、声を上げた白装束に肩を貸してもらってひょこひょこと階段を降りるミモモがいた。
「ミモモばぁ! 目が覚めましたか!」
「大僧正……急いで……伝えなきゃなんねぇことが……あるだ……ももこ様は、ももこ様は……」
「ミモモばぁ、何かご存知なのか? ももこ様は一体どちらへ!?」
大僧正はミモモに詰め寄った。
覗き込んだミモモの目に涙が浮かんでいる。
「ももこ様はぁ……ワシらのために……天子に連れ去られちまっただぁ……」
「て……天子……私達の為とは一体……!?」
「すまねぇだ……すまねぇだ……ワシがついとって……ううううぅぅ!!」
そう言うとミモモはその場に泣き崩れてしまった。
大きな声を上げて許しを乞うている。
外に出ようとしていた白装束達も話を聞こうと、ミモモの元に集まっていた。
「ミモモばぁ、余程の事があったのだな。ゆっくりでいい。どうか気持ちを落ち着けて話をしてくれ」
「すまねぇ……ううぅ……ワシらの病は、ももこ様の魅了っつぅ能力のせいだっつって、天子の騎士がふたぁり、ももこ様を連れていっちまっただぁ……優しいももこ様のことだべ……きっとワシらの為にっつうてご自分からこの屋敷を……うううううぅぅ!」
殺気が玄関ホールに満ちた。
その殺気は、ミモモの話を聞いた邪神教信者全員のものである。
大僧正とミモモ以外はフードを被っているため表情は分からない。
しかしその場にいた全員が髪が逆立つほど興奮し、肌の表面が沸騰してしまうほどの怒りを覚えていた。
あまりの怒りの大きさに、体が震えて誰も声を発せずにいた。
ミモモの泣き声だけがこだまする中、ポツリと声を絞り出したものがいた。
大僧正である。
「お前達の中には……家族を国に攫われた者もいる……私は……私は……分かっていたつもりであったが……これほどの苦痛であったとは……身を引き裂かれ、不安で狂いそうになり、天地が分からなくなるほどだ……ももこ様を連れて行った犯人をズタズタにしてやりたい……だが……だが、そんなことよりも、ももこ様が心配だ……ももこ様さえご無事であれば他にはもう何も望まない……何も……いらない……!!」
白装束の方を振り返った大僧正は、目から血涙を流し、唇を強く噛みすぎて口からも流血していた。
「お優しいももこ様はミモモばぁの言う通り、我らの為を思ってご自分で決断なされたのだろう……ももこ様病が魅了の力だと、ももこ様が思われたのならば、そうされてもおかしくはない……しかし……しかし!! それはももこ様がこの屋敷を出ていかれる理由にはならない……ましてや天子が連れて行くなど言語道断……必ずお探しして、安全を確保し、説得してからこの屋敷にお戻りいただく!! いいかっっ!!」
「うおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!!!」
血を飛ばしながら大僧正は檄を飛ばし、そして白装束達全員がそれに咆哮をもって答えた。
そして大僧正は一歩前へ出て更に声を飛ばした。
「ももこ様をお迎えに上がる前にお前達に聞いておきたいことがあるっっっ!!!!」
白装束達は再び静まり返った。
今すぐにでも屋敷を飛び出してももこを探しに行きたい気持ちを抑える。
「……お前達、今でもももこ様が好きか?」
「「「「大好きですっっっ!!!!」」」」
白装束達の声が重なった。
即答であった。
「ももこ様を愛しているか?」
「「「「心の底から愛してますっっっ!!!!」」」」
白装束達の答えを聞いて、大僧正の表情がとても穏やかなものになった。
それはもう、昇天しそうなほどの、まるで仏のような表情であった。
そして静かに語りだした。
「皆、気付いておるか……? 今……ももこ様は屋敷におられない。魅了の効果はなくなった。ももこ様病の症状が嘘のようになくなってしまったのもそのためなのだろう」
白装束達は個々に頷きをもって大僧正の言葉に相槌をうった。
「ももこ様がこちらにご顕在なされて四ヶ月……我々は今と同じく、幾度となくももこ様のことで心を一つにしてきた。私が檄を飛ばすのももう何度目か……。今言ったように、ももこ様の魅了の効果はもうない。しかしどうだ……ももこ様を想う気持ちに変化はあったか? 私はないぞ……ももこ様が愛おしくてたまらない。そしてその気持ちが誇らしい。同時に、魅了がないにも関わらず私の檄に応えてくれるお前たちのことも誇らしい」
白装束達はいつの間にか拳を強く握りしめていた。
大僧正の言葉で気が付いたのだ。
呪いが解けている状態であるはずなのに、相変わらずももこを尊く思うその気持ちに。
「やはり邪神の魅了など関係なかったのだな。私は安心した……お前達、ももこ様に人生を捧げ、一生お仕えできるか?」
「「「「一生お仕えいたしますっっっ!!!!」」」」
そして大僧正は歩き出した。
その歩みは徐々に足早になり、白装束達の間を縫って玄関へと向かっていた。
「行くぞお前達!! ももこ様をお迎えに上がる! ただし武器などは持ってこないように! 捜索に当たって誰一人傷付けてはならんし傷付いてもならん……ももこ様は争いを好まれない!! これは我らに課せられた使命だっっっ!!」
「「「「言われなくとも承知していますっっっ!!!!」」」」
「ももこ様、今お迎えに上がりますぞっっ!!!!」
「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」」」」
こうして邪神教信者達は情報収集部と調理部だけを残し、天子の居場所であるポポニャン神聖国の首都を目指すのであった。