即答したアリーシャに、今度はオルキデアが面食らってしまう番だった。
「そうか。それなら、契約成立だな」
まさか、こうもあっさり承諾してくれるとは思わなかった。余程、国に帰りたくないのだろうか。
「書類は後ほど用意しよう。妻となったからには、今まで以上に君を守ろう。これからもよろしく頼む」
オルキデアが自分の分の紅茶を飲んでいると、「あの!」とアリーシャが緊張の面持ちで話し出す。
「私は何をしたらいいでしょうか? 契約とはいえ、オルキデア様の奥さん……妻となりましたが」
テーブルにカップを置くと、「そうだな……」とオルキデアは考える。
「母上がやって来るまで、これといってやる事は無いな。
だが、そろそろ君を他の場所に移そうと思う。さすがに他の兵が怪しんできてな。この部屋に君を置き続けるのも、そろそろ限界だ」
「ひとまずは」と、オルキデアは付け加える。オルキデア一人ではアリーシャを外に連れ出すのは容易ではない。部下たちの力を借りても、人不足という点で心許ない。
やはりクシャースラとセシリアの協力が必要になりそうだった。
「他の場所……。病院ですか? 郊外にあるという」
オルキデアは苦笑する。どうやら、その話をアリーシャも聞いていたらしい。
「あれは、母上の追求を免れる為の嘘だ。本当に連れて行くつもりはないさ」
もしアリーシャが普通のシュタルクヘルト人であり、未だに記憶を取り戻さなければ、その病院に入院させていただろう。
だが、アリーシャはシュタルクヘルトと関わりの深い人物だ。
正体を隠して入院させても、いずれは病院を通じて軍や国にバレてしまうだろう。
「入院させるつもりは無いから安心しろ。……その話は忘れてくれ」
こくりとアリーシャは頷く。不安そうに息を詰めていたアリーシャの肩から力が抜けた様に見えたのだった。
「記憶が戻らなければ、そのまま君を国に帰すつもりだった。その為の協力をクシャースラに頼んだ。
だが記憶を取り戻し、俺と契約結婚した以上、別の協力が必要になるな」
「別の協力?」
「ああ。ただ単に、ここから出すわけには行かないからな」
母上が縁談を諦めるには、母上を納得させられるだけの出自や背景がアリーシャには必要だろう。「アリーシャ」としての出自と背景ーー身分や経歴が。まさか、シュタルクヘルト家の人間とそのまま言う訳にもいかない。
その代わりとなるものを用意する必要がある。
「忙しくなるな」
「もし私にもお手伝い出来る事があれば言って下さい。微力ながら力になります」
「助かる。ところで腹が減ってないか。食堂に夕食を取りに行こうと思うんだが……」
いつの間にか、時刻は夕方になろうとしていた。オルキデアの言葉にアリーシャもハッとした顔になる。
「もうそんな時間なんですね。じゃあ、私が取りに行きます」
「いや、俺が行く。まだ母上に叩かれた頬が痛むだろう。そんな君に二人分の食事を持たせる訳にはいかない」
「でも……」
「俺が取りに行っている間、アリーシャはテーブルの上を片付けてくれないか。君は片付けが上手いからな。俺が片付けをするより、君が片付けた方が早そうだ」
「分かりました」
オルキデアはカップを空にすると、ソファーから立ち上がる。夕食を食べたら、早速クシャースラに連絡して作戦が変更になった事や、新たに必要になった準備を依頼しなければならない。急な変更なので、きっと親友の小声もついてくるだろう。
それでもそれが億劫に感じないのは、長年悩まされ続けてきた母親との関係に一つの区切りがつきそうだからか、それともさっきまで部屋に閉じ籠もっていたアリーシャがようやく部屋から出て来てくれたからなのか。
それはオルキデアにも分からなかった。