瞬きを繰り返し、口をあんぐりと開けたままのアリーシャを見ながら、オルキデアは話を続ける。
「母上に恋人と言ってしまった以上、何も関係が無いままではいられない。
そこでだ。君を恋人か、俺と結婚した妻としたい。後者の場合は書類も用意するつもりだ。君と籍を入れてしまえば、母上が新たに縁談相手を見つけてきても、婚姻を結べないからな」
さすがのティシュトリアもオルキデアから無理矢理、恋人か妻を引き離さないだろう。
悪い噂が立ってしまえば、オルキデアやラナンキュラス家の将来や貴族としての立場を失うだけではなく、ティシュトリアまでもが貴族社会から追い出されて、居場所が無くなってしまう。
噂好きな貴族社会では、そんな噂はあっとい
う間に広がるだろうーー特に誰かの色恋沙汰に関するものは。
アリーシャの様子を伺うと、目を大きく見開いたまま固まっていた。その姿にオルキデアは苦笑する。
(それもそうか。今後の人生に関わるかもしれないからな)
驚くのも無理はないかと考えながら、オルキデアはそっと息を吐く。
ペルフェクトは一夫一妻制の国。
書類上でも誰かと結婚してしまえば、相手と離縁するか、死別するまで、新たに伴侶を迎える事は出来ない。
結婚が嫌なら、離婚前提の一時的な結婚をして、目的が果たされるまで結婚が出来ないようにする。目的を達成した後は、これまでの関係性に戻ればいい。
そう考えての提案だったが、どうやらアリーシャには想像以上の内容だったらしい。
「俺が嫌かもしれないが、母上が諦めるか、俺が別の想い人役を見つけるまでの一時凌ぎだ。
それが終わったら君を解放する。報酬を渡して、この国での身分も用意すると約束しよう。今後生活していく中で必要となる住まいの手配や仕事先もな」
「嫌だなんて、そんなこと……」
ようやくアリーシャは口を開くと、掠れ声で話し出した。
オルキデアは膝の上で指を組む。
「衣食住は困らせないが、うちは名ばかりの貴族だから、
だが今後は捕虜としてではなく、恋人か妻として丁重に扱おう。君が嫌がる事や傷つく事をしなければ、肉体関係も持たないと約束する。
どうだ? 引き受けてくれないか?」
「……そんな大事なお役目、私でいいんですか?」
「……ああ。君がいいんだ」
この役目は、何の後ろ盾もない者がいい。
加えて、ティシュトリアが納得させられるくらいのある程度、貴族らしい振る舞いが出来ると良かった。
ティシュトリアが得意とするハルモニア語が出来ると更に良い。
この国でハルモニア語が話せる女性というのは、ある程度、教養を持っているという意味でもあるからだ。
それらを踏まえると、やはりアリーシャが適任だろう。
この国でのアリーシャは、何の後ろ盾もないが、シュタルクヘルト家で培った貴族に相当する振る舞いが出来て、自国のシュタルクヘルト語や母親の母国語であるペルフェクト語だけではなく、ハルモニア語も分かるらしい。
これ以上ないくらい、この条件に当てはまっていた。
オルキデアはそう言う意味で言ったのだが、アリーシャは何故かハッとしたように顔を上げた。
菫色の両目を大きく見開くと、しばらくオルキデアをじっと見つめたのだった。
やがて覚悟を決めたのか、口元を引き締めると「わかりました」と頷く。
「それなら、私はオルキデア様と婚姻関係を結んで妻になります。恋人よりも伴侶の方が、きっとお役に立てる範囲が広いと思うので」
「確かにそっちの方が恋人より都合は良いが……。でもいいのか? 仮とはいえ、書類上は俺の妻だった記録が残ってしまうぞ」
「構いません」
利害関係が一致した結婚とはいえ、一度オルキデアのラナンキュラス家に籍を入れてしまえば、その後離婚しても、ラナンキュラス家に籍を入れていた記録が残ってしまう。
オルキデアは気にしないが、アリーシャが気にするのではないかと気掛かりであった。
それもあって、オルキデアはアリーシャに恋人か妻か選択させたのだった。