それきり黙ってしまったアリーシャを連れて、北扉に向かう。
「そろそろ北扉が見えます。貴女は顔を見られないように、帽子で顔を隠して下さい」
小声で話すクシャースラの言葉に、アリーシャは帽子を深く被る。
これなら相手が覗き込まれない限り、帽子のつばで顔は見えないだろう。
アリーシャを見下ろすと、すぐに正面を向いて自ら警備の控え室に向かう。
控え室の前にはクシャースラが軍部に入る時に会った者とは別の兵が立っていた。
さすがに交代時に誰がどういう格好でここを通ったかまでは引き継いでいないとは思うが、念には念を入れて、あらかじめ見張りの交代時間を調べておいた。
敬礼をする兵に返礼しながら、クシャースラは話しかける。
「用事は終わった。妻を連れて、今日は帰宅する」
「承知しました。奥様……ですね?」
兵の視線を感じて、アリーシャは俯く。セシリアと並んだ時に気付いたが、背丈は似ていてもアリーシャの方がセシリアよりも細身であった。
そこはセシリアが調整して中に詰め物をすることで似た体型にしてくれたらしいが、豊満な胸までは隠しきれなかったらしい。セシリアよりもひと回り大きくなっていた。
それでもオルキデアの執務室で見ていた時よりも小さく見えるので、こちらもセシリアが整えてくれたのだろう。
すかさずクシャースラはアリーシャの肩を支えて、兵の視線を遮る。
「あまりジロジロ見ないでやってくれ……。おれが妬いてしまう」
「これは大変失礼をいたしました。以前、お見かけした時とは雰囲気が違っていましたので……」
「おれのセシ……妻と会ったことがあるのか?」
「ええ。女房の誕生日に花を買おうと花屋に立ち寄った際にお会いしました。いつもは違う花屋で働いているそうですが、その日は店主が不在で代わりに店番をしていたと」
結婚前からセシリアは花屋の仕事の一環として、下町に点在する花屋の手伝いに行っていた。セシリアによると、下町の花屋はそれぞれ繋がりがあり、祭りや催しの際の花の調達や急な大量注文が入った際に不足した花の工面、怪我や仕入れ、配達などで店を閉める際の営業の協力をしているとのことであった。
「そうだったのか……。すまない。どうも待たせている間に、妻は体調を崩してしまったようだ。それもあって今日はもう帰宅しようかと」
まさかセシリアを知っているとは思わず、クシャースラは適当に理由を作る。
「そうでしたか。医官を呼ばなくていいですか? 常駐している者を呼んできますが……」
「演習で人手が少ない中で頼むほどじゃないさ。家に帰って休めばすぐに治る」
「承知しました。気を付けてご帰宅下さい」
「ああ、ご苦労」
クシャースラは兵からアリーシャを庇うように肩を支えたまま、空いている方の手で敬礼する。
兵から見えない場所まで来ると、ようやく息を吐いてアリーシャを離したのだった。
「失礼しました。演技とはいえ、肩に触れてしまって」
「いえ。私の方こそ、ありがとうございます」
二人は建物から出ると軍部の駐車場にやってくる。演習日ということもあっていつもより停まっている軍用車両が少ない中、クシャースラはとある黒塗りの車に近づくと運転席の窓をノックする。
窓が開くと、オルキデアの部下のラカイユの顔が見えたのだった。
「お待ちしておりました。オウェングス少将、アリーシャ嬢」
「ラカイユ。よろしく頼む」
周囲を確認してからクシャースラは後部座席のドアを開けると、先にアリーシャを乗せる。
「どうぞ。誰もいない内に乗って下さい」
「ありがとうございます」
そう言ってアリーシャに手を貸した時だった。後ろから足音が聞こえてきたかと思うと、声が聞こえてきたのであった。
「オウェングス少将。お待ちください。丁度医官が近くにおりましたので、良ければ奥方を……」
振り返れば、走って来たのは先程の見張りの兵であった。兵の申し出を断ろうと口を開いた時に身体がアリーシャにぶつかってしまったらしい。
「あっ……!」
アリーシャの声に振り向くと、アリーシャの帽子がクシャースラの前を通り過ぎて地面に落ちてしまった。すかさずアリーシャはクシャースラから離れると、帽子を拾いに行ったのだった。
「良かった……。帽子が汚れなくて」
軽く手で払った帽子を被り直すアリーシャに追いついた時、そこにはクシャースラと同じようにアリーシャに追いついた者がいた。
二人を追いかけてきた見張りの兵であった。