「オウェングス少将、そちらの女性は奥方ではありませんよね……」
強張るような怪しむ声色にクシャースラの背中を嫌な汗が流れる。セシリアの顔を知っている兵だけあって、下手な嘘はつけないだろう。そしてここで上手く切り抜けなければ、他の兵を呼ばれてしまうと察する。
「か、彼女は……その……」
訝しむような視線を向けられている中、どうにか理由を考えているとアリーシャが兵の前に出る。
「……仰る通り、私はオウェングス少将の奥方ではありません」
「では貴女はどなたでしょうか。返答次第では、不審な者として捕らえなければなりません」
「何をされ……」
クシャースラは止めようとするが、アリーシャは帽子を取ると頭を下げたのだった。
「私の夫はオルキデア・アシャ・ラナンキュラス少将です。私はラナンキュラス少将の妻のアリーシャです。職場に泊まり込んで帰って来ない夫を心配して会いにきました」
「ラナンキュラス少将の? 失礼ですが、ラナンキュラス少将は独り身と聞いています。それに今日は捕虜の移送で軍部を離れていると……」
「噂を聞いたんです。夫が帰宅しないのも、妻である私のことを公表しないのも、私に内緒で親密な関係を持っている女性がいるからだと……その人を妻にして、いずれは私を追い出そうとしているからだと!」
今にも泣き出しそうな顔をしながら、アリーシャは流暢なペルフェクト語で滔々と続ける。
「それで夫の友人であるオウェングス少将に頼んで、夫に会いに来ました。直接会いに来たら夫に逃げられてしまうと思ったので、オウェングス少将の奥方の振りをしました。けれども気付かれてしまったのか、夫は聞いていた時間より早く捕虜の移送で出掛けてしまったようです」
地面についてしまうそうなくらいにますます頭を深く下げると、アリーシャは身を固くする。
「嘘をついて申し訳ございません。オウェングス少将は悪くありません。悪いのは私です……。どうか夫が戻ったら言ってください。早く家に戻って説明するようにと。誤解を解いて、私のことを皆さんに話して欲しいと。……私も夫の帰りを待つ日々を過ごすのがもう辛いんです。寂しくて、悲しくて、毎日が孤独で。噂だけが広まったことで、知り合いには同情的に見られて、両親には心配を掛けさせてしまって、とても苦しいんです」
口を押えて泣き出したアリーシャを困ったように見ていた兵だったが、やがて呆れたのか肩の力を抜くと表情を柔らかくした。
「私も妻帯者です。貴女の話を聞いていると、まるで自分のことを言われているようで返す言葉もありません。勿論、私はラナンキュラス少将のように複数の女性関係を持っている訳ではありませんが……。私も連絡も無しに仕事で数日間自宅に帰らなかったら、女房に酷く怒られたことがあります」
兵は元の顔に戻ると、次いでクシャースラに視線を移す。
「今回のことはここだけの話として黙しておきます。オウェングス少将も同様です」
「助かる」
礼としてクシャースラは懐からチップを出そうとするが、兵はそれを固辞する。
「とんでもありません。それにしてもラナンキュラス少将も困ったものですね。こんな魅力的な奥方がいながら、他の女性に懸想をされているとは」
二人に敬礼した兵が立ち去ると、ようやくクシャースラはアリーシャを車に乗せる。最後に自分が乗ってドアを閉めると、待ちかねていたラカイユが車を走らせたのだった。
軍部を出たところで、クシャースラは外を見ながら尋ねる。
「見張りは?」
「今のところはいません」
バックミラーを見ながら、ラカイユが即座に返事をする。
「念の為、予定通り遠回りをしてくれ」
「承知しました」
軍部の角を左折をすると、すぐに信号待ちで止まる。その間に帽子を脱いで物珍しそうに外を眺めていたアリーシャに声を掛けたのだった。
「ありがとうございました。アリーシャ嬢。おかげで助かりました。貴女には役者の才能がありますね」
アリーシャの作り話に加えて、オルキデアの好色漢にも助かった。いつもはその漁色に眉を顰めていただけだったが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
この話を知った本人には後で責められるかもしれないが、それは親友の自業自得なのでクシャースラが気に病む必要はない。
「そんなことはありません。あの……クシャースラ様」
アリーシャは首を傾げると、隣に座るクシャースラに視線を向けてくる。
「オルキデア様から何も聞かされていないのですが、これからどこに移送されるのでしょうか?」
「そういえば、まだお話ししていなかったですね」
アリーシャの移送先については、オルキデアとクシャースラの間で先に決めてしまったので、アリーシャにはまだ伝えていなかったことを思い出す。
当座のアリーシャの生活拠点ともなる移送先について、オルキデアとクシャースラ共にとある場所を考えていた。二人が同じ場所を考えていたことや、他に候補となる場所が思いつかなかったこともあって、移送先はすぐに決まったのだった。
「変な場所には連れて行きません。ご安心下さい。アリーシャ嬢とオルキデアが夫婦として住むのに相応しい場所ですよ」
「相応しい場所……?」
不思議そうな顔をするアリーシャに「それから」と付け加える。
「おれたちも便宜上、ずっと言っていましたが……。軍部から出た以上、貴女はもう捕虜ではなく、オルキデアの伴侶であるアリーシャ・ラナンキュラスです。ですのでこれは移送ではなく、そうですね……。引っ越し、と言いましょうか」