跳ね返す力がだんだんと弱まっていくのが伝わってくる。それに合わせ角度を変えると、右今の刀は畳に落ちた。
それを見もせず、霊斬は右肩から腕までざっくりと斬り裂いた。返り血が飛ぶ。
「ぐうう……! 我らのことを
右今はたまらず、畳に膝を落とし、疲弊しきった声を出す。
霊斬は血のついた黒刀をそのままに、右今を睨む。
その姿は、人斬りと間違われても仕方がない。
「己を守るために、罪のない鍛冶職人を、亡き者にしたわけか」
霊斬は溜息を吐く。
ピーッと笛の音が聞こえる。
まだ刀をつかもうとしていたので、右足で払うように柄を蹴飛ばす。
霊斬は黒刀についた血を殺ぎ落とす。
流れるような動作で鞘に仕舞うと、その場から去った。
その様子を見ていた千砂は天井の板を嵌め直すと、屋敷を出る。
霊斬はその足で、四柳の診療所へ向かった。周りは夜の帳に包まれている。
「こんな時刻になんの用だ!」
「俺だ」
「なんだ、お前か」
相手が分かると先ほどの怒りを引っ込める。四柳は奥の部屋に霊斬を通した。
霊斬が横になるのを待って、刀傷を診る四柳が呟く。
「相変わらず酷いな。人斬りか、お前は」
「人は斬っていない」
霊斬が即座に言い返す。
「まぁ、いい。少し黙ってろ」
四柳は薬草や縫うのに必要なものを準備し、助手二人を呼びつける。身体を押さえるように命じると、治療を始めた。
それから少しして。いつもどおりの恰好をした千砂が、診療所を訪れる。けれど、声はかけなかった。
脇腹の二か所の傷を縫うと、汗を拭う。
霊斬は連続した痛みが一時引いたことを感づき、深く息を吐く。
「もう少し続くが、堪えろよ」
「おう」
霊斬が応じると、四柳は自分に喝を入れるため頬を張る。治療を再開。
それからすべての傷を縫い終える。
薬草のついた布を貼り、その上から晒し木綿を巻く。
すべての治療を終えるまで、かなりかかった。
霊斬は上着を脱がされ、半裸で横になる。
四柳は晒し木綿を巻いた左腕を出した状態で布団をかけた。
「……終わったぞ」
「頭が割れるかと思ったぞ」
「そんなことが言えるなら、大丈夫だな」
四柳は苦笑した。
前の部屋へ続く襖を開けると、声を上げる。
「嬢ちゃん。きていたなら、声をかけてくれりゃあいいのに」
「治療の邪魔、したくなかったんでね」
「そうかい」
霊斬の掠れた声が、聞こえてくる。
「四柳」
「どうした」
「俺が初めてここを訪れたとき、一両払ったのを憶えているか?」
「ああ、今でも持ってる」
その言葉を受け、霊斬は苦笑する。
「千砂には……話したんだな」
千砂の顔色で見抜いた。
「駄目だったか?」
「いや、構わない」
即答だった。
――それなら話は早い。
霊斬は内心で思った。顔をしかめた後、大きく息を吸う。
「霊斬、今はあまり喋らん方がいい」
「喋らせろ」
霊斬は怒ったように、ぼそっと言う。
「分かった」
四柳は言っても聞かない霊斬の性格を理解しているのだろう。大人しく引き下がった。
「初めてここにきたとき、俺は――」
霊斬は当時のことを語り始めた。
まだ若かった幻鷲は、稼ぎやすい仕事を探し、江戸を彷徨い歩いていた。
生きるために盗賊まがいのことや、用心棒なんかも請け負った。当時仕事のなかった幻鷲はある武士に剣の腕を買われ、人斬りになった。
人を斬ることに
今まで仕事でしくじったことはない。だが幻鷲自身が負傷したことだけが、唯一の瑕。
幻鷲は一仕事終え、報酬を受け取りに戻る。
「暗殺終了いたしました」
幻鷲は片膝を立てて、頭を下げた。
「ならばよい。報酬じゃ」
武士は小判二両を投げて寄越す。
それを拾い、幻鷲は音もなく去った。
次の仕事がいつくるか分からない。支障をきたさないために、仕方なく四柳の診療所に向かった。
「治療を頼みたい」
幻鷲は言うと、頭を下げた。
「上がれ。手当ては時との勝負だ」
四柳は言うと、奥の部屋へ向かう。
着物を脱いだ幻鷲は、真っ直ぐな視線を四柳に向ける。
四柳は無言で傷の手当てをする。
それが終わると、治療代として小判一両を払った。
「そうだったのか……」
話を聞き終えた四柳は呟いた。
千砂は言葉を発さないまでも、驚いた表情をしている。
その様子を見た霊斬は二人から視線を外すと、痛みに顔をしかめた。
「よく話してくれたな。ゆっくり休め」
「ああ。どれくらいで治る?」
「一月すれば完治する。今日はここに泊まっていけ」
「分かった」
うなずいた霊斬は眠りにつく。
「しかし、霊斬の話には驚いたな」
霊斬の寝顔を見ながら、四柳が言う。
「そうだね。今と真逆じゃないか」
「いったいどんな人生を歩めば、ああなるんだろうな」
「そうだねぇ」
千砂は相槌を打つことしかできなかった。