「ふぅん、どうやら、ここはなにかの研究施設だったみたいだねぇ。アルコールの匂いが、わずかに壁の中に染み付いて残っているのが分かるよ……」
同じ頃、アイラは別の建物の内部でハルやガルディンと同じ目的をもって調査を続けていた。今アイラが調べている部屋は、どうやら実験室の類のようだった。
「この匂い、そしてこの雰囲気。昔の頃を思い出しそうだねぇ。でも、今は感傷に浸っている場合じゃない。早く、手がかりを見つけないと」
アイラは政府の科学者だった頃を振り返り、その記憶を呼び起こしていた。しかし、すぐに自分の目的を思い出し、調査を再開した。
こういう実験室であれば、なにかしらの手がかりが隠されている可能性は十分にある。直接手がかりを得ることはできなくても、間接的に手がかりにつながるようなものでも見つけることができれば儲けものだと、アイラは考えていた。
「それにしても、この集落はどういう目的で造られたんだろうねぇ。かなり大きな都市だったみたいだけど、ここまでもぬけの殻っていうのも、ちょっと不気味な話だねぇ」
アイラは実験室の内部を調べながら、この集落が造られた目的について推理を立てようとしていた。
相当大規模な都市だったことは想像に難くないが、この都市が放棄されたのは地上がこうなる前か、それともこうなった後なのか。
今回の調査で、その部分を明らかにすることができれば、地上の謎を紐解く確かな一歩となるはずである。となれば、アイラに課せられた責任は想像以上に大きい。
「うぅん。さてと、これはどうしたものかねぇ。ここまでなにもないと、よっぽど大事な情報がここに隠されていたことを疑っちゃうねぇ。それとも、政府がアタシたちよりも先に情報を持っていってしまったのかも」
しかし、アイラが欲するものは現状一つも発見することはできなかった。ここまで都市の構造をキレイに残したまま、内部の情報だけを持ち出して放棄した、ということなのだろうか。
もしそうであれば、この都市がどのような機能を果たしていたのか、ますます気になるところである。
政府に先を越された可能性も考慮しなければならないが、今はあまり気にすべきところではない。アイラはしらみつぶしに実験室の中を調べていった。
「……んっ? なんだい、こりゃあ……?」
その時。ある机の裏側を調べていたアイラが、手に不自然な感触を覚えた。なにか小さな突起物のようなものが指に当たった、そんな感触だった。
「この裏側に、なにかありそうだね……。んっ? こ、こりゃあ、ぼ、ボタン……?」
手の感触を頼りに位置を確かめたアイラは、身体を下に倒して机の裏側を覗き込んだ。暗くてよく見えなかったため、携帯用の照明で突起物のあった部分を照らすと、そこには一つのボタンらしきものがあった。
「こんなところに、なんでボタンが……? この机のロック、ってわけじゃないだろうし……、ちょっと気になるねぇ……」
普段であればあり得ない位置に設置されている謎のボタン。アイラの中に今も宿っている科学者としての好奇心が騒ぎ出していた。
このボタンにはなにか秘密がある。隠し通路が現れるのか、それとも別の仕掛けが作動するのか。そして、気が付けばアイラはそのボタンをおもむろに押していた。
「……よっと。あ、あれ……? こ、これは……?」
アイラがボタンを押した直後、机の真下にある椅子をしまうためのスペースの床が、静かな音を立てて開かれていくのが見て取れた。
突然の出来事に呆然としているアイラの目の前で、自動的に開かれていく床。そして、そこに現れたのは人が十分に入れる大きさの穴だった。
「こんなところに隠し通路があったなんて。こいつは驚きだねぇ。でも、これの動力源は一体なんなんだい……?」
アイラも先程のハルと同様、この部屋の照明が機能していないことをすでに確認している。ということは、今床が開いたのは、それとは別の動力源が使われた、ということにしかならない。
「まぁ、いいか。こうして隠れていたんなら、ここを調べないわけにはいかないねぇ」
とはいえ、せっかく発見した手がかりへの道を、このまま放置しておくわけにもいかない。アイラは意を決し、机をどかして穴の中に入っていった。
穴の中にははしごのような足を乗せる台が等間隔で取り付けられていた。真下の様子は携帯用の照明で照らそうとしてもよく見えず、それがこの穴の深さを雄弁に物語っていた。
「この穴、どこまで続いているんだろうねぇ。あまり深く潜り過ぎると、リーダーやハルと連絡が取れなくなりそうだしな……」
はしごを下りながら、アイラは通信機の状態を確かめていた。最新型の通信機を用意してきてはいるものの、あまり距離が離れすぎると通信状態が不安定になってしまう恐れがある。
それは、ハルとガルディンにとっても自分の位置を知る方法がなくなる、ということを意味する。その部分に注意を払いながら、はしごを下りる時の無機質な金属音を聞きつつ、アイラは穴の奥へと進んでいった。
「よし、ここで終わりみたいだね。えぇと、向こうの方に通路がありそうだ」
やがて、穴の最奥部に到着したアイラは、照明を使って道があるところを確認した。長い通路が伸びている様子を見るなり、アイラはその通路を進み始めた。
「この通路、もしかしたら緊急避難用のシェルターだったのかも知れないね。壁もかなり頑丈に造られているようだし、地下に造れば大抵のことはしのげるだろうしね」
アイラは、通路の両脇にある壁に触れながら、照明を頼りに先へと進んでいった。ここがもし本当に緊急避難用のシェルターだったとしたら、現在の地下シェルターともなんらかの関係性があるかも知れない。
そうして照明で足元を照らしながら通路を進んでいくと、アイラの目の前に一つの扉が現れた。
「どうやら、ここで終わりってわけだね。この扉の向こうになにがあるのか……」
その扉は、重厚な雰囲気を匂わせていたものの、セキュリティロックは掛けられていないようだった。となれば、物理的なカギが掛けられているかどうかを確認すれば、この扉を開けることができるかもすぐに分かる。
アイラがドアノブに手を掛けると、扉はいとも簡単に開いた。まるで、アイラが来るのを待っていたかのように。
「なんだい、カギが掛かっていないのかい。いくら放棄された後とはいえ、なんだか不用心だねぇ」
若干拍子抜けした思いを抱きながら、アイラは扉を開けた。中は真っ暗でなにも見えない。アイラはすかさず携帯用の照明を使い、部屋の中を照らしていった。
「んんっ? この部屋、もしかして、コンピュータールーム、かい……?」
そこでアイラが目撃したもの。それは無数のコンピューター端末が理路整然とした形で設置された光景だった。
規則正しく並べられた端末とディスプレイは、どれも真っ暗でなにも映し出されてはいなかったが、かつてここがなんらかの目的を帯びて人々が働いていたであろうことを想像するのは、アイラにとって容易なことだった。
「いやぁ、こいつは驚いたねぇ。どれも機能していないみたいだけど、これだけの数のコンピューターが設置されているのを見るのは、アタシも初めてだよ」
照明で部屋の内部をくまなく照らしながら、アイラは改めてこの部屋の光景に驚嘆の念を浮かべていた。
政府の科学者だったアイラにとっても、これほどの規模のコンピュータールームを目の当たりにするのは初めての経験だった。
「となると、この部屋のどこかに、中枢となるコンピューターがありそうなものなんだけど……、あっ、あれかい……?」
さらにアイラが部屋の周囲を照らしていくと、奥の方に一際巨大なコンピューター端末が設置されているのを発見した。
「よし、おあつらえむきに見つかったね。それじゃ、ちょいと仕事を始めるかね」
アイラはそのコンピューター端末に近づくと、用意していた携帯端末を取り出し、そこから一本のケーブルを伸ばしていった。
「とりあえず、一時的に電源を付けることはできそうだ。さて、こいつのデータに、上手いことアクセスできればいいんだけど……」
ケーブルの先端を巨大なコンピューター端末の端子の一つにつなげたアイラは、その端末に通電されたことを確認すると、携帯端末を操作して内部のデータへのアクセスを試みた。しかし、すぐにアイラの表情が曇っていくのが見て取れた。
「やっぱり、ダメか。パスワードでロックされている。この端末でも解析することは不可能じゃないんだけど、さすがに時間がかかりそうだねぇ」
携帯端末に表示された画面は、データのアクセス制限を示すものだった。それを解除するパスワードが必要になるが、その解析にはかなりの時間がかかることが予想される。
「とはいっても、ここで諦めるわけには行かない。解析モードに切り替えて、と……」
だが、現時点で手がかりが隠されている可能性があるのはこのコンピューター端末しかない以上、あまり悠長なことも言っていられない。アイラは携帯端末を解析モードに切り替えると同時に、通信機を操作し、あるところに連絡を入れようとした。
「もしもし、私だ」
「リーダー、私です、アイラです。すぐに、私がいるところに来てほしいのですが」
通信機からはガルディンの声が聞こえてきた。その声を聞いたアイラはガルディンに対し、すぐに自分のところに来てほしいと言った。
「よし、分かった。キミのいる位置はすでに把握している。そこで待っていてくれ」
「ありがとうございます。できるだけ早くお願いします」
そこで通信を切ったアイラは、改めて携帯端末の視線を向けた。解析モードに入っている携帯端末は、巨大なコンピューター端末のパスワードを解析するためにその計算能力をフル稼働させているようだった。
「パスワードでロックされているということは、少なくともここに入っているデータはかなり重要なデータってことだろうね。となると、やっぱりリーダーの手も必要になる」
アイラは携帯端末の様子を見ながら、ガルディンが到着するのを待っていた。通信機が良好に稼働していることが明らかになっただけでも、十分な好材料だった。
そうしてしばらくしていると、部屋の入口から照明が飛び込んでくるのが見えた。アイラが振り返ると、そこにはガルディンの姿があった。
「あっ、リーダー」
「待たせたな、アイラ。しかし、キミがまさかこのような隠し部屋を見つけていたとは思わなかった。通信機の反応を見ても、最初は本当かと疑ってしまったよ」
ガルディンと合流したアイラは、近付いてくる彼に対して、解析中の携帯端末の様子を見せた。
「リーダー、これを見てください。これは……」
そこで、アイラが事の経緯を簡潔に説明した。この巨大なコンピューター端末に、なにか秘密が隠されている可能性がある。
「……なるほど。だとすればこの隠し部屋にも納得がいくな。その机も、恐らくはかなり役職の高い者が利用していたんだろう」
「私もそう思います。でなければ、わざわざあのような隠し方をするとは思えませんし……、あっ、解析が終わったみたいです」
その時。携帯端末が解析完了を知らせるダイアログを表示した。それと同時に、巨大なコンピューター端末にアクセスするためのパスワードが自動で入力されていった。
解析能力の効果はてきめんで、パスワードロックを一発で解除することができた。もっとも、内部的には天文学的にも及ぶ分析と試算を続けていたのであろうが。
「そうか。これで、中身を見ることができるな。どれどれ……?」
「……えっ? こ、これって……?」
そこに表示された内容に、アイラもガルディンも一様に首を傾げた。それは、内容そのものが理解できないというより、その内容に対する不可思議性の高さから発せられたものだった。