厨房からはすでにいい香りが漂っていた。
そうか、マリアさんが、と思って中を覗くと知らない男性が立っている。
その横にマリアさんもいた。
「えっと、マリアさん?」
「あら、奥様!」
「こちらの方は?」
「結婚式の料理を一緒に作ってくださる、料理人のケンジーさんですよ」
ちょっとふっくらしたお腹に、白いエプロン。
コックの姿をしたオジサマ風の人。
彼は私を見ると深く頭を下げた。
「奥様、この度はおめでとうございます」
「あ、ありがとう……」
「結婚式の料理をお手伝いできて、大変嬉しいです!」
ケンジーさんはいい人だったし、料理の知識や技術がとてもある。
上手だし、何でも作れる。
なんて、凄いの?と何度も思ってしまった。
マリアさんとケンジーさん、2人と一緒に料理をしている時間は、とても楽しい。
どうして、こんなに楽しいの?と思う。
そっか、自分が好きなことを好きなようにしているから、かな。
ケンジーさんは料理人だけれど、お祝いの席で料理を出しているから、お祝いのお菓子なども作るれるようだ。
「煮込み料理は朝からよりも、前の晩からがいいですね」
「そうですねぇ。仕入れが間に合うかしら」
「その調整も私の方でしますよ!お祝いの席では、特別な材料を準備する必要性がありますからね。時期によってはなかなか手に入らないものも、あります」
べ、勉強になる!
確かに、季節に合わせて考えないと、手に入らない材料もあるわ。
それは私のレシピ本にも注意点で書くべきかな?
「代用できる食材もありますので……」
「そうか!」
代用できるパターンや食材のリストもいるってことよね!
転生前で言うなら、アレンジってところを分かりやすく載せておくのよ……!
「お、奥様?」
私の頭の中は誰にも分からない。
だから、マリアさんは心配そうに私を見てくる。
「あ、何でもないわ、大丈夫!」
「そうですかぁ?」
「はい!ケンジーさん、食材のことですが……」
私が彼にそう尋ねた時、視線を感じた。
嫌な視線だなぁ、これは……。
「あら、坊ちゃま。厨房へ来るなんて、珍しい……」
「マリア!セシリアは俺の妻だぞ!料理人と話をさせて何になる!」
ルイだ。
ルイはどうも嫉妬しやすいというか、理解できるまでに時間がかかるというか……。
誤解しやすいタイプなんじゃなかろうか。
お義父様の人たらしスキル見たら、ひっくり返りそうな気がする。
もしかして、知らない、とか?
でも同じ騎士団にいて、実父の人たらしを見たことがないってことはないだろう!
「勉強になります!!」
私はルイに向かって叫んだ。
だって、本当に勉強になるんだもの!
ルイは目を丸くして、それから震え、顔を真っ赤にした。
「妻になる女が他所の男に何を学ぶことがあるーッ!?」
「料理や食材の流通について学んでおります!!」
大声には大声で返した。
マリアさんは間に入ってくれて、ルイをなだめてくれる。
「坊ちゃま!奥様は結婚式の為に、頑張っておられるんですよぉ!」
「マリア!セシリアを部屋に連れていけ!」
自由にさせてくれるんじゃなかったの?
私は大きなため息をつく。
この人は、どうしてこんなに元気なんだろうか。
もう、信じられない!
私はルイの指示に従って、部屋に戻る。
でも彼のあの態度はそろそろどうにかして欲しい。
いつもこうなのだ。
これで結婚式は本当に大丈夫なんだろうか?
私は部屋に戻り、それからペンと紙を持って、作業をする為、更に移動する。
最近はどこに行くにも、紙とペンを握っていて、レシピが浮かべば書くようにしていた。
ルイが美味しいと言ってくれた物は、基本的に書き留めるようにしている。
彼はいつもよく食べるから、本当は何が美味しいのか、はっきり分からないことも多い。
レシピの絵はなかなか進んでいなかった。
この絵を描くことで、文字は必要なくなるのかな、と思うけれど、私の画力ではなかなか難しい。
だから、とにかく今は、思い浮かぶものを全部書き留めることに必死だ。
妹に、手紙を書くと返事はすぐに返ってきた。
可愛い妹が、どんなドレス姿になるのか、とても気になる。
フリルがいっぱいで、色合いは……そんなことを考えていたら、レシピの内容が妹の好きなものばかりになっていく。
すっかり、お姉ちゃんの気持ちになってしまった。
このレシピは、貴族が見るというよりは、一般の人たちに見てもらいたいのに。
私は、妹の為に書いてしまったレシピを別にして、また他の物を書いていく。
ニンジンをたっぷり使った温かいサラダ。
貴重な卵や肉類は控えめだけれど、使うなら美味しく。
茹でたジャガイモは季節になればたくさんあるから。
私は、まだここでの生活を少ししかしていないけれど、食べ物を通じてたくさんの季節を知ることができた。
なんだか、家にいた頃には分からなかったことばかり。
それはそれでよかったのだけれど、ここでの生活は、まるで自然の流れと一緒に流れていくよう。
騎士団長の家だとはとても思えなかった。
魔女を討ち取る為に、騎士団はいつも必死になっている。
でも、実際には魔女だけではなくて、多くの戦争にも駆り出されているのだ。
最後の戦争、と思いたいけれど、先の戦争では多くの騎士団員が死んだと聞いている。
騎士団はその時に人数が減り、それ以来、ルイが指揮を執っているのだ。
彼にとって、騎士団は家族のようなものなんじゃないかな……。
ポタリ、と紙にインクが落ちて、染みを作ってしまう。
私は慌てて、紙を丸めた。
結婚式の前に、落ち込みたくない。
ああ、アリシアに会いたいなぁ。
そんなことを思いながら、私はまた紙を開く。
「奥様!いらっしゃいますか?」
「はい、マリアさん、どうしました?」
「坊ちゃまは、マリアからしっかりお伝えしておきましたからね。今は、反省して部屋にいると思います。最近の坊ちゃまは浮かれてて困りますねぇ」
「う、浮かれているんでしょうか……?」
あれで、浮かれているのだろうか?
浮かれるようなことがあるかな、と考えると、結婚式しか予定はないのだけど。
「そ、そんなに、ルイは結婚式を待ち望んでいますか?」
「ええ、それはもう!」
「そ、そうなんですね。まあ国王も来られますし……」
「私も国王陛下にお会いするのは、久しぶりですねぇ」
マリアさんの言葉に、私は首を傾げた。
久しぶり、とは、会ったことのある相手に対して発する言葉だ。
グラース家のメイドであるマリアさんが、国王に会ったことがある?
「マリアさんは、国王にお会いしたことがあるんですか?」
「あら、ありますよ。うふふ!」
「え、その、失礼ですけど、なんで?」
「さあ、どうしてでしょう?うふふ!」
マリアさんは結局、何も教えてくれなかった。
この家!
怪しすぎる……!
ただの騎士団長の家じゃない!
「奥様は、坊ちゃまの大切な人です」
トポトポと温かい音を立てて、お茶を淹れてくれるマリアさん。
そのお茶はとても美味しくて、私は大好きだ。
「坊ちゃまの大切な人は、マリアにとっても大切ですからね」
「ありがとう、ございます……」
「だから、奥様は坊ちゃまをお慕いしつつ、自由に過ごされてくださいな」
それはまるで、母のように。
優しい、と私は思ってしまう。
けれどもそれは、私が一度も得たことのない母という偶像の結果だ。
私は、母がいたけれど、今もいるけれど、こんな風に扱われたことがない。
転生前は、ただの働き手として。
転生後は、ただの可愛い赤毛の人形として。
そこにいただけ。
だから、母の優しさは、ただの想像でしかないのだ。
私が死んだ時、母は泣いてくれただろうか……急に死んだ娘の為に、少しでも涙をこぼしてくれただろうか。
そんなことを思うけれど、今は分からない。
「奥様、お茶を飲まれたら坊ちゃまにお顔を見せてくださいね」
「え、はい……」
「喜ばれますよぉ!」
でも私は、ルイが幸せであれば、その周りの人の方がもっと幸せなんじゃないか、とマリアさんの笑顔を見て、思った。