揺れる馬車がグラース家に到着したのは、深夜だった。
私は気づいたら眠ってしまっていて、ルイにまさに叩き起こされた。
「着いたぞ、起きろ」
「ふ、ふぇ!?」
「歩けるか?」
「は、はひ、大丈夫です!」
私はしっかり寝てしまっていたようだ。
まさかこんなに爆睡してしまうなんて、恥ずかしい。
久しぶりに戻ったグラース家では、マリアさんとハンスが迎えてくれた。
こんなにこの家を懐かしいと思うなんて、思わなかったな。
最初はお嫁に来ることが、ちょっと憂うつだったのに。
「セシリア」
「はい」
「どうした?」
差し出された手。
それを見て、私はその手が私の手を待っているのだ、と気づく。
そうか、この人は私に手を。
その手を握ると、本当に家に帰ってきたんだ、という感覚がした。
「何か軽く食べるか、セシリア」
「いえ、私はもうこのまま休みます」
「そうか」
心なしかちょっと寂しそう、と感じたのは、間違えじゃないだろう。
私は、ルイにちょっと尋ねてみた。
「……お茶をご一緒しませんか、寝る前の」
「いいのか?」
「はい」
「マリアにいい茶を頼もう」
「ここにあるお茶はみんな、いいものばかりですよ」
2人で並んで屋敷に戻る。
私は、彼とこうやって歩けるのが幸せだと思った。
こんなに些細なことが、こんなに幸せに感じる日が来るなんて。
ルイはあまり顔に出さないようにしているようだけれど、とても喜んでいるのが分かった。
マリアさんは私たちのお茶の準備をしてくれて、温かいハーブティーを飲む。
ルイは、実家では語れなかったお兄様の昔の話を、もう少しだけしてくれた。
一緒に遠征に出た時に、1人だけ川に落ちたこと。
剣の腕は立つのに、手入れが下手で周囲から怒られていたこと。
あの人は、本当に剣の腕が立つだけで、それ以外のことは私の知っている兄のままだった。
「ユーマは、何かいい話を持ってきてくれるでしょうか」
「そうだな……」
「お兄様に好きな人がいたなんて、想像もしていませんでした。社交界では、馬鹿なところばかりが目立ってしまっていて」
「それは、アイツが悪いぞ。なんというか、礼儀の1つもできないような男だからな。あのまま剣を振っていればよかったものを」
ルイは、お兄様が騎士団を辞めたことが、とても悔しいようだった。
許しはしたものの、才能のある存在が辞めていくのは痛いものがあるのだろう。
騎士団にとっても、優秀な存在がいなくなることは、とても痛手だったのだと思う。
それでも、お兄様の意志を尊重してくれたルイには、頭が下がった。
きっと自分はそれで不利益になると分かっていも、相手の気持ちを尊重してくれたのだから。
「ルイは、お兄様が好きなんですね」
「好き……と言うには、少し違うと思うが」
「いえ、妹として兄が好かれているというのは、こんなに嬉しいものなんだと思いました。今まで、こういうことってそんなになかったから」
「あんな男だからな」
「そうなんです、あんな兄、なので。でも、幸せになって欲しくないわけじゃないんですよ。いつか、お兄様のことをちゃんと理解してくれる素敵な女性が、側に来てくれないかな、と」
お兄様は、昔からつかみどころのない人だった。
でも、悪い人でないことは分かっている。
いつもどこで何をしているのか、何をしてきたのか、後の噂でしか聞かないのだ。
貴族のご令嬢からは低評価ばかり。
そんな兄でも、心の底から愛した人がいるのなら。
なんだか、本当に純粋なラブストーリーのような気がしてならない。
「でも、これからは俺が義弟になるからな。俺の方が弱い立場になるかもしれん」
「ルイにも家族が増えるんですね。もちろん私にも増えますけれど」
「家族が、増える……」
「あ、すみません、変な意味では。その、あんな兄がルイの義兄を務めるのは大変だと思いますけれど」
「いや、いい。アイツがいてくれるなら、まるで弟が側にいてくれるような気がするからな」
彼の言う弟は、戦争で死んだ実の弟のことだろう。
ルイの見た目にはまったく似ていなくて、お母様にそっくりだった、と言っていた。
「……ふふ、ルイの弟は、私の弟みたいですね。赤毛のお母様にそっくりといっていたじゃないですか」
「そうだな、確かに。アイツはお前にそっくりだ。俺の弟というより、セシリアの弟と言った方が自然かもしれない」
ルイは、笑った。
弟のことを思って話をして、笑ってくれた。
この人の哀しみはとても深いものだろうけれど、その深さを私が少しでも和らげてあげることはできないだろうか。
2人でたくさん話をして、そろそろ寝る時間になった。
その時、ルイは真剣な顔で言う。
「セシリア」
「はい」
「結婚式が終わって、正式な夫婦になったら、寝室を一緒にするからな。今はまだ、別々だが」
寝室。
寝る場所。
あ、そういうことか!
私は恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。
「そ、それは、夫婦になりますので、当然、かと」
「まあ、お前の部屋がなくなるわけではないからな。好きなだけ好きな部屋を使うといい」
「え、いいんですか?」
「どうした、急に?」
「いえ、実は使いたい部屋があって……!」
私は、翌朝に詳しく説明する、と言って寝ることにした。
もう今夜は遅すぎる。
しっかりと眠り、朝が来て、ルイは子どもたちを相手に剣の稽古をしていた。
私は女の子たちを集めて、縫物の練習をさせる。
まだ縫物ができない子には、糸を編ませた。
「奥様、これはどうしたらいいんですか?」
「この糸をこっちに出すのよ。そうするとできるわ」
「わ、本当!」
素直な子どもたちを相手に、私は妹を思い出す。
両親がほとんど家を空けていたから、私があの子を育てたようなものだ。
子どもの面倒は見慣れている、と思っていたけれど、人数が増えたり、様々な個性があるから、なかなかに大変ね。
ルイは、と見てみれば、何人か騎士団候補のようなつもりで指導をしている子がいるようだった。
稀にではあるけれど、騎士団候補生として学園への進学を援助することもあるみたい。
そうやって学園に通う子もいるのだと、私は初めて知った。
日本でいうところの、奨学金のようなものだろうか。
卒業と同時に卒業試験のような形で騎士団への入団試験を受け、無事に合格すると入団となる。
この世界の騎士団は、特殊なケースを除いて入団方法は2通りのみ。
1つは通常どおり学園に通い、卒業後の進路として騎士団を選択肢、入団試験を受けるケース。
もう1つは、学園に行く以前から騎士団の支援を受けて、騎士団候補生として学園に通い、卒業試験と入団試験を同時に行うケース。
似てはいるけれど、後者の方が圧倒的に数が少ない。
お兄様は前者のケースであり、その中でも稀に見る剣の才能があったみたい。
でも、騎士団としては早いうちから入団を決め、支援をしていくことで確実な団員を獲得していきたいという考えはある用だった。
この国で子どもの数は限られているし、転生前の世界のようにスクールなんてものは存在しない。
貴族の為に家庭教師や音楽やダンスなどを専門に教える人はいるけれど、特別なスクールはなかった。
塾なんて形で勉強を教えてくれるところはない。
だから、子どもたちは学園もしくは村や町の小さな学校に通うことができなければ、読み書きも何もできないのだ。
そういう世界観なのだけれど、少しでも改善してあげたいと思ってしまうのは、私が転生者だからだろうか、それとも貴族だから?
「奥様、お花が編めました!」
「上手ね。それをもっと続けてくれる?」
「はい!」
この子たちの未来は、どんなものなのか。
それを想像しながら、私は少し不安もあった。
すべてを助けてあげることはできないし、ずっと側にいてあげられない。
それは、こうやって結婚して、アリシアと離れてよく分かった。
「セシリア!」
「どうしたの、ルイ」
ルイに呼ばれて、私は顔を上げる。
汗を光らせた彼は、とてもいい顔をしていた。
「食事にしよう」
「分かりました」
私は、返事をして準備に向かった。