繭と来斗が部屋でテレビを観ている間、シェリー達はカケルに本題を切り出した。
薬学界に広い情報網を持つ彼は、シェリーに見覚えがあるらしく、不躾なまでに目を向けてきた。
「やっぱり、何か研究されている方ですか?」
おそらく彼は、遠い過去の記事を見たのだ。当時のシェリーは、メディアの取材も受けていた。
「カケルくん、注射剤は分かりそう?」
友人達との通話を終えたカケルに、翡翠が報告を促した。
緊張感が、シェリーと翡翠、モモカを包む。
結果から言えば、カケルは注射剤の在り処を掴んだ。モモカは、ネット上のどこを探しても見付からないそれが、人々に忘れ去られたような場所に保管されているのではないかと見当をつけている。
ただし、シェリー達は彼から情報を聞き出せなかった。
「製造年月から計算して、破損や持ち出しに遭っていなければ、使用期限も問題ない。でもただでは教えられない」
「何か手伝えってこと?やる」
「子供達の面倒を見て欲しい。一週間だ。家のこともやってくれると助かるよ」
それには翡翠が目角を立てた。兄のように慕っていたという青年に、おそらく初めての対決姿勢だ。
「いくら身内じゃないからって、利害関係を考えるなんて、見損なった!」
「翡翠、座って。情報を掴んでもらえただけでも前進したわ」
「シェリーも怒りなよ。悠長に家事代行なんて出来る?そんな余裕ある?」
翡翠の目が、彼女の袖を掴んだシェリーに移った。
さっきまで無邪気に笑っていた顔が、悲壮感でいっぱいだ。黒目がちな目は赤く、神経の昂ぶりを物語っている。
彼女は、きっとシェリーと同じくらい、本当はカケルも突き放したくないはずだ。
「一週間、引き受けるわ」
「シェリー?!」
「冷凍睡眠を決めた時、残された時間は一ヶ月あった。目覚めて三日目。一週間ならどうにかなる」
「…………」
カケルは、シェリーに大袈裟すぎるくらいの謝意を示した。必ず有力な情報を提供すると言って、胸板を叩く彼。渋々、翡翠も頷いた。
* * * * * * *
シェリー達が家事代行を引き受けて、二日が経った。
カケルは午前中に出かけていって、日没前に帰宅する。畑の手入れは家事の一環で、生業は別にあるらしい。
「今日の玉ねぎ、苦い。これじゃあ来斗くん達、よけるよね?」
「どれくらい?……なるほど。翡翠。こっち、続きお願い。十分経ったら声かけて」
「何するの?」
「苦味を抜くわ」
翡翠が顔をしかめた玉ねぎを、酢水に浸す。そのボウルを隅に置いて、シェリーは先にスープの調理に取りかかった。
昨日までピーマンの種を除くのも三十分かかった翡翠も、テキパキと調味料を合わせている。
「料理って、奥が深いね。お屋敷にいた人達を見ていたから、私も出来るつもりになっていたけど」
「見ていた分、きっと、ためになってるわ。コックは見習い中、上司の仕事を見て盗めと教えられるらしいし」
「じゃあ、シェリーの仕事を見ていようっと。そうだ。さっき床下収納庫の汚れがすごくて。カケルくんに通信したら、出来れば取って欲しいって。いい方法ある?」
十分経って、シェリーは玉ねぎをざるに揚げた。翡翠の指が伸びてきた。スライスした一本を咀嚼して、ごくんと喉を鳴らした彼女が、魔法でも見た子供のように目を見開いて、指で丸を作った。
「シェリーお姉ちゃん、翡翠お姉ちゃん!ご飯まだー?僕、冒険王ごっこがしたい!」
「また冒険王ごっこ?来斗ばっかり!お姉ちゃん達は、キメ色ヒーローズ、知ってる?」
「はいはーい、ご飯食べてからね。言うこと聞かないとぉ……地図の欠片はオレ様がもらったァァ!!」
「わーっ、ワールドバスターだ!冒険王……ビーム!」
翡翠達がごっこ遊びを始めた傍らで、シェリーは料理を進めながら、モモカの開いた空中プロジェクターに「キメ色ヒーローズ」の検索結果を映し出す。
「キメ、の語源はときめきとキメてる……か。特定のキャラクターや人物に対する愛着を表現する言葉。昔で言えば、推しということね」
「シェリー、繭ちゃんのやりたいアニメのボスは、こいつなのです。モノマネするのです!」
「お……」
「「「え?」」」
「お前達みんな、モノクロにぃぃぃ……なれっ!!」
シェリーに振り返った一同が、拍手喝采した。
* * * * * * *
「あんなにしつこかった汚れが落ちてる……。大変だっただろう。アイツらも遊び疲れて寝てしまったよ。こんなに静かな夜八時は、久し振りだ」
「二人とも遊び盛りだものね。童心に返れて、私も楽しい」
「シェリーのモノマネは、似すぎてビックリしたけどね。料理しながらネット検索していたと思ったら、グレイルに憑依されていたんだもん」
「繭の好きなアニメのボスか。盛りキャリなシェリーさんにピッタリじゃないか」
また、この時代独自の言葉だ。
シェリーはモモカをちらと見た。
すると彼女は数秒、ピピピ、とコンピューター音を鳴らして、シェリーの肩に飛び乗った。バリキャリという意味に近いのです、と囁きが続く。
ややあって、カップを載せたトレイを運んで、カケルがソファに戻ってきた。
「お疲れ様」
彼が翡翠の隣に腰を下ろすと、シェリーも二人と手を合わせる。
「いただきます」
カフェラテを口に含んだシェリーは、自分の味覚を疑った。想像していたのとはかけ離れていた。
思わず不思議な顔を浮かべたシェリーに、カケルが気まずそうに笑った。
「薄かったですか?翡翠のお友達だから、てっきり苦いのはお好きじゃないかと……」
「いいえ。ミルクが強くて、よく眠れそうです」
「カケルくんってば、いつまでもお子様扱いしてー。もう少し濃くても飲めるようになったよ」
ブラックコーヒーを喉に流す旧友に、翡翠が唇を尖らせている。
そう言えば、この家には砂糖がなかった。食事の準備は人工甘味料でこと足りるにしても、幼い子供のいる家庭らしくない。