ミリアと眼が合っても、私の記憶は消えていない。
あの日私が彼女の部屋でアルバムを見つけてからの、レオン・ノリスに関する記憶は、まだ全て覚えているハズだ。
大丈夫、少なくとも記憶に整合性はとれている。
〈きーさん、大丈夫ですよね? そっちから思い出して異常とかありませんか?〉
〈だいじょーぶだよ────多分、だと思う、分かんないけど〉
〈不安になる表現……〉
まぁ、今は立って戦えるだけでいい。
一番避けたかったのは、眼を合わせて「戦う動機」まで忘れてしまうこと。
ミリアが兄のために裏切ったことを知った今、対策もなく眼を合わせていれば、この場で何をすれば良いかまで忘れて、私は戦えなくなっていたかもしれない。
「殴ってちょっとスッキリしました」
「勝手なことを……ぐぶっ」
鼻血が止まるのを諦めたミリアは、そのままグラグラと立ち上がる。
「どうして記憶が────いや、分かるよ原因は。その眼のせいだ!!」
「そう、です」
リゲル君が作った“魔眼封じメガネ”。
それは聖なる力に、超高純度の光の魔力、世界樹の葉の3つから出来たものだった。
貴重なものばかりなので、そもそも材料がなくて量産は出来ないという話だったけれど、私もリゲル君に託されてようやく思い至った。
私の連れてきた仲間達なら、それらを生成できるんだ────
世界樹の葉はイスカの能力で、超高純度の光の魔力はロイドの“聖霊天衣”で賄える。
そして最後の聖なる力というのはよく分からないけれど、多分リゲル君自身が使えると言っていた、王族に伝わるとか言う、不浄の牙を抜く力がそれに当たるのだろう。
リゲル君はこうなることも予見して、それらを集めていたんだ。それもこの戦いの中で。
そして集められた3種の力をリゲル君は体内で混ぜ込み────私の
「もう、私と眼を合わせても記憶は消えませんよ」
「だったら、殺すっ! 殺してやる!」
「えっ」
正直その行動は予想してなかった。
いや、まぁそうか。そうなるか。ショックだなー。
彼女はこちらへ走り出すと叫ぶ。
「“聖霊天衣”っ────あれっ?」
「ん??」
しかし何も起きず、その魔力での飛行をアテにしていたミリアは、地面に思いっきり顔からすっ転んだ。
「ぶべっ!」
「うわぁ痛そう。そりゃあ、あんな自爆した後にそんな魔力残ってませんてば」
「こんのぉ!!」
正直失敗してくれて助かった。
「ならこっちの番ですよ! “聖霊天衣”っ────あれっ?」
「は??」
しかし私も何も起きず、妙に涼しい風が過ぎ去る。
「アンタもかよ! だったら好機だっ!」
ミリアが体重を乗せて、私に馬乗りになってきた。
「うわっ! ぐっ、やめっ!」
「このっ、このっ!」
がすがすと殴るその拳には、力が全然入っていない。
私は彼女を押し退け、突き飛ばす。
「がっ!」
「止めて、くださいよ……痛いっつーの……」
「なにをっ!」
それでもフラフラと向かってくる彼女に砂を撒いたら、一瞬怯んだ。
私はそこにタックルをし、逆に馬乗りになる。
「どけ! どけぇ!」
「や、暴れないでください!」
その後も髪の毛を引っ張ったり、噛みついたり。
限界だった私たちの、子供の喧嘩のような戦いが続いた。
「ふーっ、ふーっ!」
「はぁはぁ……おぇっ、ぎもぢわるぃ……」
お互いまともに立つこともままならない。
日もかなり高いところまで昇ってきた。
このままどちらかが倒れるまで殴り合うつもりは、ない────!
「うっ、このぉ! いい加減倒れろおっ!」
「ぶぐっ……!」
殴りかかってきたミリアの拳が、腹に当たる。
胃液が込み上げ、吐きそうになる。
けれど私はそのままミリアを抱き締めると、一緒にその場へ倒れ混んだ。
「つ、捕まえた……!」
「げっ」
もがいて逃げ出そうとするが、私はその手を離さなかった。
というか、もう離せない。
「わ、なに、ヘンタイ────ってか身体冷たっ!?」
「私だってスキでやってるわけじゃないんですよ。なるべく早く済ませたいんで、動かないでくださいね」
「っ!?」
その瞬間、彼女は気付いた。
抜けられないのは、単に私が力ずくでクリンチしているからじゃない。
いま私は、氷を使って自分の腕をミリアごと縛り付けていた────
「さぁ、少しずつ体温を下げていきますよ……
どのぐらい冷やせば、寒さで失神しますかね……?」
「ひっ……!」
ガタガタとミリアが震え始めるのが分かった。
元々温暖な島出身のミリアには、この氷責めはよく応えそうだ。
「そんなの────さ、さっきまでギリギリだったアンタの魔力が、持つハズが…………!」
「ご心配なく、その辺もリカバリーしてるので……」
「まさかっ……!」
何とか動く首で彼女が見た方向には、確かに答えがあった。
起き上がったセルマから、きーさんが魔力を受け取っている姿が。
「ま、魔力共有で補給を……!? そんなのって……!」
さっき少し嘘をついてしまったけれど、元々“聖霊天衣”する魔力自体は足りていた。
けれど、それじゃあ多分彼女は捕えられないと踏んだ私は、殴り合っている裏できーさんに合図を送り、さらに追加の魔力を受け取っていた。
もう今度こそ、絶対に、ミリアを逃がさないために。
「うぅぅぅぅああぁっ!!」
「こら、暴れないっ……!」
尚も抜け出そうと暴れていたミリアだったけれど、段々と力が入らなくなって行く。
元々体力なんて残っていない、それだけに体温が奪われるのも早かった。
「もう少しだけ我慢してくださいね」
「うっ、うっ、うぅぅ………………」
手がダランと垂れ下がり、ついにミリアは完全に沈黙した。
僅かに漏れる息からも、意思は感じられない。
勝った、のか────
※ ※ ※ ※ ※
「おいエリアル、しっかりしろ! お前まで寝るな!」
「エリーさんっ……!」
いつの間にか起き上がったクレアとスピカちゃんの声で、飛びかけていた私の意識が僅かに戻ってきた。
どうやらセルマのおかげでみんな、順調に意識を戻してるみたいだった。
「わ、私は自分の魔力で凍りませんから、ミリアを……低体温症で死んじゃう…………」
「いまロイドさんとリゲルさんが、通信機でララさん達救急隊の手配をしてくれてるわ。
自分もその間の応急処置は尽くすから!」
「イスカ、ありがとう……」
ミリアが助かる確率が低いのは、何となく分かる。
そしてどうなっても、私はこの選択をいつか後悔するだろう。
「エリー、お疲れさま」
随分と眠くなってきた。この声は多分イスカだ。
「ごめんなさい、私────」
「謝らないで。エリーも僕らも、友達のために、やれることをやり尽くしたんだから」
「はい……」
うっすら眼を開けると、まだミリアの顔が見えた。
こんな時にこんな事、言うのは変かもしれないけれど。
その時、私は一言だけ、口に出してしまった。
「お帰りなさい…………」
ここから待ち受ける彼女の運命が、どうか少しでも良いものであるようにと。
私は願いながら、眼を閉じた。