例の戦いから6日後、エクレア総合病院にて。
「おっ、眼ぇ醒めた? ミリアの意識、戻ったみたいだよ」
「あ、ホントだ」
リゲル君とお見舞いに私が顔を出した頃、ミリアが眼を醒ました。
きーさんの変身したメガネを一応しておいて正解だった。
「体調はどうですか?」
「………………」
「看護師さん呼んできますね」
ミリアの命は、一度はかなり危なかったそうだけれど、ララさんの治療によって回復するまでに至ったのだ。
看護師さんが彼女の体調を確認した後、ララさんが来る。
彼女はミリアの診察をしてくれたけれど、本人は気まずかったのか、その間も黙っていた。
「とりあえず体調に問題はないと言っていいでしょう。拘束は倫理に反しますが、他害の恐れがあるため許してください」
「……………………」
カンジ悪いなぁと思っていたけれど、ララさんは全く構わず診察を終わらせてしまった。
「やっぱこういう患者さんは多いですか?」
「治療を拒否される方は、いるにはいますね」
「ミリア、せめてララさんにはお礼言いましょうよ」
彼女はそれを聞いてなお、そっぽ向いた。
何だ、最初は意識が戻って朦朧しているのもあるかと思ったけれど、普通に無視していただけらしい。
私は懐からペン(最高司令官のやつ)を取り出すと、ミリアの手に軽く突き刺した。
「ぎゃーーーっ!」
「何だ、ちゃんと喋れるじゃないですか」
元気な声を聞けて、少し安心した。
代わりにララさんがドン引きしているけれど。
「え、エリアルさん、流石にそれは────」
「いやぁ、つい」
流石にマズかったかな。
私が困っていると、見かねたリゲル君が助け船を出してくれた。
「そうだエリー。ミリアの意識が戻ったら、誰か呼ばなきゃいけないって言ってなかった?」
「あぁそうだ。ララさんすみません、お忙しいところ申し訳ありませんが、
「あぁ、分かりました……」
彼女は了承すると、さっさと部屋を出ていってしまった。
※ ※ ※ ※ ※
「そう言えばエリー、渡した力はどう? “魔眼避け”」
「もうと~っくに消えてますよ。だから今きーさんにメガネになってもらってるんですし」
リゲル君に施して貰った例の“魔眼”はメガネと違い一過性のものだった。
今ミリアと眼を合わせれば彼の兄の記憶は消えてしまうだろう。
「あんな事できるなら、言ってくれればもう少し前提に動けたんですけどね」
「うへへへ、まぁうまく行ったからいいじゃないか」
さては本人も、成功に自信がなかったな?
後日なんともなかったから良かったけれど、例のメガネには貴重な物を材料としていたので、彼自身予行練習はできなかっただろう。
そりゃあ眼のレンズに魔力を流し込むなんて事をぶっつけ本番でやるなんて、思い付いてもやらないし。
「あれ、私下手したら失明してたんじゃ────」
「………………」
そっと眼を逸らすリゲル君。
そう考えると、人の身体でよくあんな事出来たものだ。
「もう二度と、私の体を無闇に触らないでください……」
「僕だってやりたくてやったんじゃないんだけど」
「っと、来たみたいですね」
そんなバカなことをしていたら、ララさんが呼びに行ってくれた人が来た。
「こんにちは、皆さんお元気そうね」
「うわっ、ハーパー最高司令官!? こここ、こんにちは!」
リゲル君が珍しく焦っているのは、見ていてスッとした。
こんな大物が来ると思っていなかったのか、ミリアも驚いている。
「どうして最高司令官がここに────あ、いや。そう言えば君も最高司令官殿だけど」
「止めてください。ハーパーさんがミリアの眼を裏返してくれるそうなので呼んだんですよ」
「え、マジで? 罰ってこと?」
のほほんとリゲル君が言う。
「私がエリーさんに頼まれたの。今からミリアさんの眼を裏返します」
「えっ」
今までだんまりだった本人が、体を震わせた。
私の冗談として聞いていたつもりが、ハーパーさんまで同意して焦ったらしい。
「眼を、裏返します」
「えっいや、待って! ハーパーさん!? 本気じゃないよね!?」
「本気です」
多分ハーパーさんは本気だ。
「やっぱり裏切り者への制裁なの!? そんなの許されるわけ! あ、いや他に何でもするからそれだけは! ごめんなさい殺さないでっ!!」
「うわぁ、命乞い始めたよ」
「エリーもリゲル君も見てないでなんか言ってよ! やったこと全部謝るから! ねぇ! ねぇええっ!」
お前はそれでいいのか────こないだまで私たちを殺しに来てた脱走兵が懇願してるのを見るのは、とても哀れだった。
リゲル君はお腹を抱えて笑っているけれど、流石に私は見ていられなかった。
「ハーパーさん、その前に。ミリアの眼球を裏返す前に。先に少しお聞きしていいですか?」
「────え? あぁいいですよ。【白練】がそこまで言うなら」
「止めてくださいって」
椅子を持ってきて、私達はミリアのベッド横に座る。
狭い病室なので、結構ギチギチで息苦しかった。
ちなみにミリア本人は、さっきのが余程怖かったのかすすり泣いていた。
「ミリアぁ、泣き止んでくれないと話進められないんですけど」
「うぅ、お漏らししちゃった……」
目覚めたばかりでおむつをしてあるハズなのでそれはいいのだけれど、少し脅かしすぎたらしい。放っておくか。
「ハーパーさん、お忙しいところ引き留めてすみません。
私から聞きたいのは2点。ミリアをこうなるように誘導した人物は誰なのかと、アデク隊長の行方です」
「え?」
怪訝な顔をしたのは、リゲル君だった。
「誘導した人って言うのは、ノースコルの構成員じゃないかい? ミリア本人に聞いた方が早いでしょ。
アデクさん事だって、今聞くことじゃ────」
「少し黙っててください」
「はい」
私だって、ハーパーさんにこんな事を唐突に聞くのは、不躾だとは思う。
けれど私の推測が正しければ、これは今、私達が知っておくべき事なのだ。
案の定、ハーパーさんは溜め息をつくように眼をつむった。
「はぁ、貴女はそこまで、お見通しなのですね……」
考えてみれば、彼女とこうして腰を据えて話すのは初めてかもしれない。
ハーパーさん────私が脅されて最高司令官になったとき、認識阻害の呪いをかけた張本人だ。
そして彼女はメガネをしていない。それでもミリアと目線を合わせ記憶が消えないのは、多分自前で“魔眼”を防いでいるんだろう。
決して出来ないことではないけれど、かなり高度な魔術が必要だと言うのは、セルマが言っていた。
「流石に見通してるワケでは、ありませんけれど。全て状況からの希望的観測なので……」
軍を長く支えてきたハーパーさんはいざ国を守るためなら、冷酷な手段も厭わないのは知っているし、少なくとも油断すべき相手ではない。
けれど長年付き合ってきたアデク隊長からも慕われているように、私達への慈悲深さも持っていてくれていると、私は信じている。
「どうして私が何か知っていると思ったのか、教えてちょうだい」
「まず私が気になったのは、ミリアがアデク隊長やリーエルさんから、逃走できた理由です」
あの夜の事は、ある意味のトラウマとして、強烈に覚えている。
お風呂屋さんの帰り、私の目の前でミリアが勧告を受け、路地にて2人に挟まれた。
その後、ミリアは行方不明に。再び会うときコイツは敵だった。
「ミリア、あの日何があったか教えてください」
「あ、えっと、私あの日の事よく覚えてないんだよね。アデクさんとリーエルさんに捕まりそうになったのまでは覚えてるけど。
それからは逃げるのに必死で、記憶が曖昧って言うかぁ……」
照れたように言うミリア。
再三思うけれど、それでいいのかよ────
「アデク隊長も、同じことを言っていました。あの日の記憶がない、何故か任務を失敗した、と」
「えっ……?」
恐らく真相には薄々気付いていても、彼はウソは言っていないハズだ。
アデク隊長に情報共有されていない辺り、リーエルさんも大方同じだろう。
つまりあの日、3人のその場の記憶を消しつつ、ミリアを逃亡させた人物がいる可能性がある。
しかもリーエルさんとアデク隊長、目撃者も多い街中で、2人の包囲網を掻い潜ってだ────
「それともうひとつ、アルバムについてです」
私がレオン・ノリスの正体に思い至った、例のアルバムだ。
結局ミリアが燃やしてしまったけれど、私はあれがなければ、未だに真相のさえ掴めていなかっただろう。
「あのアルバムがあそこにあったの、本来ならおかしいんです。
ミリアのものは殆ど軍に押収されたのに、あれだけがあそこに残っていた」
「え、マジ? 私の財産エリーが保管してくれてるんじゃなかったの??」
私は貸倉庫屋じゃないんだ、そんなところまで面倒見る余裕はなかった。
「つまり軍内部に私が真相にたどり着くよう仕向けた人がいる。
その人は軍の事情を詳しく把握している上に、証拠品のアルバムを持ち出せて、幹部2人からミリアを逃がせる人物だった……」
2つを行ったのが別の人物だと言う線も考えたけれど、私は────
「私はそれが、同一人物であってほしいと思いました」
「どうして?」
「その2つを出来るのは、ハーパーさんだけだからです」
ハーパーさんならアデク隊長達幹部の隙を突いて記憶を消すことは出来なくても、本人達の合意を得ることはできるハズだ。
アンドル最高司令官とアデク隊長にはまだあの頃わだかまりがあったうえに、術師ではないため記憶も消すのは難しかっただろう。
「そう、貴女の考えは正しいわ。私がミリア・ノリスを逃がし、その場で同意を得て全員の記憶を消したの。
そして、レオン・ノリスの手がかりとなるものを、彼女の部屋に戻した」
「やっぱり」
問題は、何故ハーパーさんがそんなことをしたのかだ。
実際ミリアを逃がしたことで、その後彼女の国王暗殺未遂と言う事件にまで発展している。
彼女がそんなことをするメリットはないように思える。
「えっ、どうして!? ハーパー最高司令官、どうして私にそんなことを────」
さっきまで沈黙を貫いていたことなど忘れてしまったのか、ミリアはベッドをガタガタと揺らす。
「それは、国王からの
「ぶっ!」
呑気にお茶を含んでいたリゲル君が、盛大に吹き出した。
慌てて床を拭く彼を無視して、私はもう一度問う。
「国王様からの指令────やっぱり、ですか」
「やっぱり?」
まだ少しムセながらリゲル君が聞いてきた。
「以前、国王に呼び出されて言われたんです。暗殺未遂は、もっと前の段階で止めることができたかもしれないことだ、と」
つまり彼は、ミリアの裏切りについてはそれより前から把握していたのだ。
なぜ一個人の動向を国王が知っていたのか、なぜ止められなかったのか。
詳しくは分からなかったけれど、国王自身が裏で糸を引いている可能性は高いと踏んでいた。
「ハーパーさん、国王がレオン・ノリスを保護しようとした理由を教えていただきますか?
彼自身は優秀な戦士ではあったそうですけれど、国王自身が命の危険に晒してまで、なぜ彼を保護しようと?」
ミリアには悪い言い方になってしまうけれど、捕虜となった軍人なら、他にもいる。
私の元の隊だったバルザム隊など、私と隊長を除いて全員が行方不明だ。
この中で、レオン・ノリスとミリア・ノリスの兄妹だけを重要視する理由が何かある。
「申し訳ありませんが、そこまでは私にも。確実なことはそれ以上言えません」
「そう、ですか……」
その言葉に嘘はない、と信じたい。
少なくともハーパーさんは、この場で私達に誠実に向き合ってくれているのだろう。
アンドル最高司令官なら一蹴しただろう私達の事情にも、少なからず気を遣ってくれている。
「なるほど、つまりミリアを軍で捕まえてしまえば、レオン・ノリスの人質としての利用価値がなくなり、彼は殺されるかもしれない。
だから、敵に寝返ったのを承知した上で、ミリアを逃がす他なかったと」
「えぇ、私も国王様からその指示を受けたのは、アデクとリーエルに、ミリアの捕獲を依頼した直後だった。
止めるのがもう少し早ければ、貴女は軍にいられたかもしれないのに────」
その後ハーパーさんは、私が少しずつ真相にたどり着くように、わざとアルバムだけを持ち出して、ミリアの部屋に戻したのだ。
ようやく、ずっと疑問だった点と点が、私の中で繋がり始めた。
「まぁ、結局お兄ちゃんは殺されちゃうんだけどね。
私、エリー達に捕まっちゃったから────」
「イヤな言い方」
チクチクと言ってくるミリア。当然、恨まれてますよね。
事実、彼の生存に関しては、諦めるしかなかった。
私の出来る範囲では、レオン・ノリスの所在と救出までは手配できなかったのだ。
見知らぬ彼の命を、私は切り捨てたんだ。
そう、
「それに関しては、心配の必要はないわ」
「どう言うことですか?」
ハーパーさんは少し間を置いてから、ゆっくりと言う。
「もうひとつの質問についての返答にもなるけれど、一昨日アデクから連絡があったわ。レオン・ノリスの救出に成功したと」
「っ────!?」
やはりハーパーさんは独自に、彼の居場所と奪還の道を探っていたのか。
ミリアを捕らえる作戦を実行すること自体は、ハーパーさんには少し前から伝えていた。
それを受けて、このタイミングで動かせる幹部であるアデク隊長を差し向けるしかないと踏んだのだろう。
「えっ、あっ…………」
この上ない朗報。しかし当のミリアは未だに、唖然としていた。まだ混乱しているらしい。
「は、ハーパーさん、そ、それって本当なんですか……?
疑うわけじゃないけれど、そんな、だって────」
「最高司令官として、保証するわ。逃亡時負傷があったようだから療養後に帰還となるそうだけれど。
彼は近いうちに、必ず貴女の元に帰る」
「っ………………!」
息を飲む声に、一瞬その場が沈黙に包まれる。
横目で顔を覗き見ると、顔には涙が伝っていた。
彼女は3年、レオン・ノリスを取り戻すために、心を殺し続けていたんだ。
もうその必要がなくなって、緊張のダムが決壊したんだろう。
「だって、私、こんな…………」
「っと。その後の事は、若い方々で。では、予定通り、眼を裏返すわよ」
「あ、はい。分かりました……」
分かったのかよ。
失禁するほどビビってたクセに、色んな事がありすぎてどうでもよくなってるみたいだ。
「じゃあ、行くわよ」
「はい…………」
ハーパーさんは持参した杖でミリアを軽く小突いた後、何かをぶつぶつと唱えた。
そしてさほど時間が経たないうちに、その手を下ろす。
「終わりよ。眼を開けてみて」
「────あれ?」
ミリアは不思議そうに周りをキョロキョロする。
「眼球を裏返すんじゃなかったんですか?」
「エリアルさんにそう説明して欲しいと頼まれただけで、物理的にはしませんよ、そんなこと」
ヤロウ許さねぇみたいな感じでこっちを睨んでくる。
だってあまりにも態度が悪かったからつい。
「そうではなく、“魔眼”を裏返したの。貴女にかけられた呪いを、解除ではなく
「えっ…………?」
ミリアにかけられていた呪い────眼を合わせた者のレオン・ノリスに関する記憶を消し去る効果を、ハーパーさんは反転させた。
未だに意味の理解できていないミリアを差し置いて、私は“魔眼”対策のメガネを取って、彼女に顔を寄せる。
「ちょ、ちょっと、ダメだって……」
「いいから」
ミリアの顎を掴んで、目を合わせる。指が涙で濡れる。
思えばコイツとこうしてまじまじと眼を合わせるのは、随分と久しぶりな気がする。
ようやく戻ってきたんだ、ようやく取り戻したんだ。
これからミリアは罪を償う事になるだろうけれど、最期にこうして彼女と親友に戻れた。
また眼を見て話すことが出来るようになった。
全部がよかったとは言えないけれど、今だけは最高司令官の立場を忘れて、私はミリアを抱き締める。
「レオンさんのこと、ようやく思い出しました。お帰りなさい。お帰りなさい、ミリア!」
「っ────! うん、うんっ!」
「もうどこかになんて行かないで」
今日はもう少しだけ、彼女の温もりを感じていたい気分だった。