ミリア・ノリスには、兄がいる。エクレア軍に所属する兄が。
名はレオン・ノリス、まだ生きているのであれば28歳。ミリアよりも10歳年上。
彼は軍に入ってからも、故郷である南方の島エリアルに時折帰ってきては、妹を可愛がっていた
もちろん私もそこに住んでいて、彼とは顔馴染みだったはずなのだが────
しかしレオンに関する記憶は私からは消えていて、それを知ったのは彼女の部屋のアルバムからだった。
ミリアの部屋に最初侵入した際、多分私はそのアルバムを見つけ、
彼女が兄がいるという記憶を植え付けられ、架空の兄を人質にされて裏切りを余儀なくされている、と。
それは違った、大間違いだった。
一度記憶を消され、再びあの部屋に赴いた時、私は真実を知る。
本当に記憶をいじられているのは、私たちの方だった。
ミリアはノースコルに兄を人質にとられた上に「目を合わせた人間から、兄に関する記憶を奪う」という呪いをかけられたまま、2年間諜報活動をさせられていたのだ。
目を合わせる人全てから、自分の家族の記憶が消えていく生活────
彼が軍で特殊部隊に所属しており、潜伏活動も多かったため、他の軍人との関わりが薄かったことも、状況の悪化に拍車をかけた。
ミリア・ノリスは、どんな気持ちでその期間を過ごしてきたんだろう。
どうして一番近くにいた私が、手遅れになる前に、気付いてあげられなかったんだろう。
壊れて行くアイツを、一番近くで見てきたハズなのに。
考えても時は戻らなかった、悩んでもミリアが帰ってくることはなかった。
全てが不可逆のこの世界で、私一人が彼女の苦しみを知っている。ならば。
ならば償わせて、全てを終わらせてやるのが、私の唯一出来ることだと。
そう決めてここに立ったはずだったのに────
※ ※ ※ ※ ※
「エリー、起きて……」
「────はっ!?」
眼を醒ますと、朝焼けの空に照らされた荒野が広がっていた。
土埃がまだ舞っているその場所に空いているのは、大きなクレーター。
私の側には、リゲル君が転がっていた。
「リゲル君!!」
「エリー、君は無事────ではないね。みんなは……?」
「無事です!!」
みんな意識はないけれど、間違いなく生きている。
息が、気配が、その意思を伝えてくれている。
「ミリア、まさか意識がないのに自爆するなんて……
何があったか知らないけど、それ程までにアイツの意思は固かったってことか。本人は?」
「声は聞こえません。逃げられたか、死んだか。リゲル君、私また……」
爆発の瞬間見えたのは、精霊の力で爆発を押さえ込もうとするロイド、セルマが多重に張ったバリア。
そして私を抱え込んで守ったリゲル君の姿だった。
「別に君が近くにいたから、手が出ちゃっただけさ。猫ちゃんは?」
「何とか無事です。ただ────」
私が抱え込んだので、きーさんは無事だった。
ただ、魔眼対策のメガネは吹き飛ばされて、向こうの方で粉々になっている。
「もうみんな闘えない、か。少し休もう」
「いえ…………」
まだ、諦められない。諦められるわけがない。
アイツだって相当疲弊しているハズ。
その上あんな無茶な魔力を使い方をしたなら、まだ遠くには逃げていないだろう。
バラバラになった死体が転がっていたら────私は考えるのを止める。
フラフラとおぼつかない足で、立ち上がり数歩進む。
「私だけでももう少し追ってみます。追い付けるか分かりませんけど、まだ諦められ…………えっ?」
その時に聞こえた、僅かな声。
その声は、もう去ってしまったハズのミリアの声だった。
周りに姿は見えない、一体どこから────生きていた、という一瞬の喜びが私の判断を鈍らせた。
「エリー、下だ!」
「がっ!!」
地面から飛び出してきた影が、私にぶつかってきた。
勢いで地面を転がる。
「ハァハァ…………地中はやっぱり、声が聞こえにくい?」
「み、ミリア!!」
あの状況から彼女が立ち上がれるとすれば、それは恐らく“精霊天衣”だ。
自らは爆破で全ての魔力を使いきったとしても、契約精霊のバッつんに攻撃が届く前に一体化し、魔力を共有する。
それならば僅かだが身体に力が戻り、まだ動けるのにも一応の納得がつく。
問題は、彼女が気絶から覚醒の直後にそんな芸当をやってのけたこと────
「執念、ですか……」
「………………」
追撃のためこちらに来る、と思ったがミリアは、先ほど私が落としたメガネを、入念に踏みつけた。
とても貴重なものが簡単に、バリバリと壊れる。
「こんなもの、どこで手にいれたか知らないけど、迷惑なんだって言ったよね?」
「聞きましたよ」
「私は家族を守りたいだけなのに、もう一度会いたいだけなのに。
なーんにも知らない他のみんなならともかく、エリーに邪魔されるなんて思ってもみなかったよ」
嘲笑するように渇いた声を出すミリアを見て、私はもう、この場で彼女を説き伏せるのは無理だと感じた。
疲れきって、擦れ切って、自暴自棄になって、心で叫んでいる。
どうにでもなれ、と────
「エリーが私と同じ立場なら、同じことをするんじゃないの?
お兄ちゃんやお姉ちゃんを見捨てて、それでも国に忠誠を誓うの?」
「分かりません。でも、ミリアが私と同じ立場なら、こうしますよね……」
「そうしないのが、エリーだと思ってたよ」
確かに、ミリアが出ていくまでの私だったら、こんな選択はしなかっただろう。
アイツがいなくなっても最初は、生きてくれてさえいればいいと、そう思っていた。
けれどそれじゃあ、ダメだった。
私が最高指令官だからじゃない、国王にせっつかれたからじゃない、この国に大切なものがたくさんあるからってだけでもない。
ミリアが間違った道に進まざるを得ないなら、例え行く末がお互いの破滅でも、それを全力で止めなければ、もう私は友達を名乗れないって思ったから。
「そのメガネは、僕が作って渡したものだ……」
「っ────リゲル、君。貴方も、まだ立つの?」
「あぁミリア。僕は生憎、君が思ってる以上に丈夫でね。
それにそんな扱いされてるの見ちゃあ、黙ってられないよ……」
フラフラと、リゲル君は立ち上がりミリアを睨み付ける。
「それはエリーが君と闘うための切り札だ! 君を償わせるためのものだ! 親友なら、どうしてそれが分からないっ!」
「余計な事を! 余計な、事をっ!」
ミリアが走りだし、リゲル君を蹴りあげた。
「がっ……」
もう彼は限界だ、立ち上がるので精一杯。
それなのにあんな煽りをするなんて────
「その隙を突けって、仲間に言ってるようなもんだよねぇっ!?」
「っ…………!」
気付かれた!
接近する私に向かって、一瞬早くミリアが動く。
私がかけてた
「もう、忘れてっ────!」
「っ…………!」
メガネが地面に落ちるよりも早く、瞬きなどする間もなく。
瞬間、私たちの視線が、確かに直接交わる。
そして怯んだのは、ミリアだった。
「えっ…………」
「おおおぉらぁっ!!」
私の拳が眉間に当たり、ミリアは思ったよりも遠くへ吹き飛んだ。
「ぶぁっ────!」
決して勢いがついていたからなんかじゃない。
確かに眼が合ったその直後から、私は攻撃体勢に入れた。
「なっ!? き、記憶は!?」
「まだありますよ、ちゃんとあります」
鼻血を拭いながらこちらを見るその眼は、心底私を恐れているみたいだった。