大会一回戦でのレースの途中、ヒルベルトさんにも見せられたあの思い出。
3年前、家に帰ったら私の目の前に現れたのは、ロイドとイスカを名乗る偽物だった。
「よぉ、エリアル。勝手に邪魔してるぞ」
「ごめんね~」
2人は確かに見た目は私と同期の、ロイドとイスカだ。
ただそれは見た目だけ、声も似せてはいるけれど、聞こえてくる感覚が、全くもって本人たちとはかけ離れている。
「ぁ、あぁ……あなた逹は、だ、誰ですか……?」
「ほう、なるほど? 固有能力【コネクト・ハート】、個人の識別に対しても有効か」
「でも認識阻害、までは流石に見破れなかったですね。惜しいわ」
瞬間、2人の顔の皮膚がドロドロと熔けて、崩れていく。
いやそれだけじゃない、私の部屋だと思っていた場所も、壁や家具がドロドロと熔け出して、中から別の模様の壁が浮き出てくる。
「こ、これは……」
「認識阻害の魔法です。貴女にかけることで、ここを自身の部屋だと思って、帰ってくるように細工させていただきました。
誰かに入るところを見られては、不味いので、ね」
そういえば、ここまでどうやって来たのか、ここがどこだかも全く思い出せなくなってしまった。
一体何のために、目の前の2人は、私にそんなことを────真っ先に頭を過ったのは、ヴェルド教官を殺した犯人の事だった。
私を口封じのために、ここに誘い込んだに違いない。
「あっ……あっ……」
逃げなきゃ────そう思いつつ必死に下がったけれど、恐怖ですくんだ足は動かなかった。
その間にも部屋全体がドロドロと溶けた光景は消え、目の前の2人と今いる部屋が、本当の姿を見せる。
「あぁ、そんなに怖がらないで。貴女がなにもしなければ、こちらは貴女に危害を加えるつもりはありませんよ」
「ただ4年前、グリーザが拾ったエリアルの迷い子────貴様という『駒』が必要での」
正体を現した。その2人の顔に、私は見覚えがある。
「あ、あなた達は……!」
目の前にいたのは、私が所属する軍の最高司令官の2人だった。
ロイドに化けていたのは、年老いて白い髭を蓄えた男性、アンドル・ジョーンズ最高司令官。
イスカに化けていたのは、背の高い初老の女性、ハーパー・モーガン最高司令官。
本来なら2人とも、直接お会いする事も叶わないような方々だ。
そんな人たちが、なぜ私の部屋に────
「いや、えっ……?」
よく見ると、周りも私の部屋ではない。
先ほど溶けた壁はなくなり、変わりに
質素で古い作りながらも、所々に見える装飾から、ここが特別な場所だと察した。
「最高司令官室────?」
「左様。貴様を暗示にかけ、ここまで来させた。
他の者には内密にしたかった故な」
グリーザさんの事を知っていると言うことには驚いたけれど、2人の立場を考えれば私の素性が筒抜けなのは頷ける。
問題は何故、私がここへ誘われたかと言うことだ。
「どうして私をここへ……? もしかしてまた、先日の件での事情聴取、と言うことでしょうか」
「違うな、その件はもう犯人の目星はついているのだ」
「えっ────!?」
先日暗殺されたヴェルド教官。
犯人は、未だ捕まってはいなかったはずだ。
「じゃあ早く捕らえないと……!」
「早まるな。今この国は、非常に薄い
ヤツを捕らえるということは、それを割ることになると、我々は考えている」
そう言いながらアンドル最高司令官は、一冊の分厚い資料を渡してきた。
一瞬迷ったが、私はそれを受け取り軽く眼を通す。
「これは────!」
「貴様には見せてやる、その権利があるだろう。
我々は内密の調査の結果、その男が犯人で間違いないと結論付けた」
掲載された一枚の写真、バルザム・パースa-2級軍人。
その人は私が最近新しく配属された隊の、隊長だった。
「う、うそ……何で…………」
「彼奴が何故バルザム幹部を暗殺するに至ったか、その動機までは我々には推し量れん。
ただ間違いないことは、彼奴は
そうか、そう言うことだったのか。
あの日教官を襲った犯人は、意外にも近くにいた。
ずっと何食わぬ顔で私の側にいながら、落ち込む私を嘲笑っていたに違いない。
怒りや悲しみや悔しさで、資料を握る手が震えるのを感じた。
この人が、いやコイツがヴェルド教官を────!
「それで私は、何をすれば……?」
「少しは話を聞く気になったか?
良いだろう、これを所持しろ。そしてヤツの監視をするのだ」
アンドル最高司令官は、そう言って手元から一本のペンを取り出した。
黒塗りの本体に、金縁で彩られた、ズシリと重いペン。
「我が軍の最高司令官を示すペンだ」
「は────?」
急転直下な話の展開に、私はつい間抜けな声が漏れる。
それは暗に、私に最高司令官になれと、促しているようなものだった。
「む、無理です! イヤ! 受け取れません!!」
先程の怒りもどこへやら、私は反射的に受け取りを拒否する。
入隊したばかりしたっぱでも分かる、軍の最高司令官と言うのは、当然そう簡単なものではない。
ヴェルド隊にいた頃、血気盛んな先輩達が必死に努力してその座を勝ち取ろうと必死になっていた。
それを私みたいな何も考えていないぽっと出が、受け取って良いハズはないんだ────
「なぜ拒むか、理由を一応聴かせて貰おう」
「御言葉ですが、そもそも隊長を監視するとして、私が最高司令官になる必要はないのでは」
「こちらからも与えるものがなければ、引き受けぬだろう。
それに言ったハズだ、『駒』が必要だと」
ハッキリとそう言われて良い気がするハズもない。
少しイヤな気持ちも、顔に出てしまっただろうか。
「しかし、これだけは貴様には話すしかないか。
これはまだ内密の事だが、バルザムが先日幹部に就任することに決まった。
実力こそ乏しいが、政治家等に顔が利き世渡りに長けたヤツだ」
「は────? 彼がヴェルド教官の後釜になる、ということですか?」
「そうだ、その件に関しては本人も予想外の事態だったようだが」
意外だったのは、最高司令官だけの権限で決められてはいないと言うことだった。
しかしあまつさえ人を殺しておいて、その後釜にその犯人が居座るのはどこでもよく聞くことだ。
「権限でヤツの出世を止めることも、可能だ。だがそれでは、こちらの動きを感づかれる」
確かに最高司令官の権限で急に昇格が止められれば、相手も何かあるのではと警戒を強くするだろう。
「なら、バルザム教官がが幹部になることは、止められないんですね……」
「左様。しかしヤツは離反と諜報の上、仲間殺しの大罪人。
あまつさえワシの
「は、はぁ……」
冷静だったアンドル最高司令官の怒りの言葉に、私は気圧された。
少し引いている私に気づいたのか、彼は低く唸った。
「驚かせたな、すまなかったな。大丈夫か?」
「私は大丈夫ですけれど……」
「とにかくヴェルドは、この国の未来を担う若者というだけでなく、ワシ個人としても必要な人間であった。その仇ならば、殺すより利用した上で復讐を果たしたい。
そして貴様とは失うこの悲しみを共有できると思って、頼んだのだがな……?」
手元のハンカチで目元を拭った彼を見て、少しだけ私は少しだけ、彼の気持ちが分かるような気がした。
アンドル・ジョーンズ最高司令官、彼はその冷徹さと現実主義な判断力から、敵味方問わず恐れられている存在だと聞く。
若い頃から【因業】の異名で呼ばれていた彼は、私には遠い存在だと思っていた。
けれど目の前のヒトは、ひとり部下の死を悲しみ涙を流す老人でしかない。
もしかしたら、私は彼について勘違いをしていたのかも知れない。
私だけが本当の彼を知っているのだ。
だったら彼の復讐に協力することくらい────
「受けとってくれる気になったか?」
「はい……あ、いや……」
ペンを持とうとした直前、私はふとごく最近聞いた、別の人の言葉を思い出した。
一番最初の聴取のときに、フェリシアさんが言っていたのだ。
「憎しみや悦楽で人を殺めることは、なるべくするな。そうなってしまえば、人は人に戻れなくなる」
その言葉の本当の真意や、あの人の今まで感じてきた事まではまだ私には分からないけれど。
何を言いたかったのかは何となく、理解できるような気がする───
「あっ、う……」
確かにヴェルド教官を暗殺した犯人は、憎い。きっと、とても憎いのだ。
たった三ヶ月でも、彼の事が自分の中で大きい存在になっていたのだと、認識させられる。
だから私は、犯人に復讐をしてもいいのかな?
それを果たせたとして、後悔はしないの?
そもそも協力することに、危険はない?
誰かを殺したい程憎むって、こんなに簡単な事なんだっけ────
「ごめんなさい……」
結局私は、そのペンを受けとることが出来なかった。
私の恨みや復讐のために、他人を言い訳に使ってしまっていたことに気づく。
多分この役目は、私でなくてもいいのだ。
「ごめんなさい、やっぱりお手伝いはできません。もっと正義感の強い人を選んでください」
「そうか……」
少し意外そうな眼をアンドル最高司令官はしていた。
「そうか、貴様の選択なら何も言うまい。ハーパーあれを」
「えぇ……」
今まで横で黙って聞いていたハーパー最高司令官が、懐から一枚の紙を取り出した。
何かの契約書みたいだけれど、それに彼女は
「っ─────!?」
瞬間、私の身体に走った痛みや重みと衝撃に、私は床に突っ伏した。
全身が何か黒いヒモ状の物で強く縛られ、うっ血している。
「こ、れは……!?」
「断るのなら、こうするしかない。
ギチギチと全身が圧迫され、呼吸さえ苦しい。
ダメだ、身体も動かない。
まさか私が断ったから、口封じのために殺す気なのか。
確かによく考えればこんな極秘情報を私に握らせておくくらいなら、いっそ殺してしまった方がいいことくらい、よく考えれば分かることだった。
だけどそんな、私はまだこんな所で、死ぬわけには────
「その呪いは、我々の命令に背く軍人を強制的に押さえつける。
そして一定時間で死体さえ残さず、貴様はこの世から消える」
つかつかと歩いてきたアンドル最高司令官は、私を見下ろした。
背中で感じているだけなのにその視線は、皆が言う冷徹そのものだった。
「ひとこと『やる』とだけ言えエリアル・テイラー。さすればその拘束は解いてやろう」
「わ、分かり、ました……やり、ます…………」
そう答えた瞬間私を縛る何かが消え、身体が嘘のように軽くなった。
「無垢なまま付き従えばいいものを……」
その後私は突き放されるように帰された
しかし手には確かに、最高司令官を示す例のペン。
その日から私は駒として、荒んだ2年間を過ごすのだった。