約3年前のあの日、蒸し暑い夜だったとイスカと話したのを覚えている。
軍に入隊して3ヶ月が過ぎた頃、深夜に突然私のアパートの扉を、誰かが強く叩いた。
「はいはい、なんですか……?」
どーせ、ミリアのイタズラだろうと思って、部屋の扉へと向かった。
たまに彼女が、こうして昼夜を問わず部屋に来ることはあったので、別に不思議もなかった。
明日も早いので無視しようとも思ったけれど、寝ていたところをたたき起こされて文句のひとつでも言ってやらないと気が済まない。
「ねぇ、ちょっと時間を考えて────」
「すまないが、緊急事態だ」
開けた瞬間、飛び上がりそうなほど驚いた。
その声の主はミリアではなく、軍服を着た女性だったのだ。
「リーエル隊のフェリシアだ。ヴェルド隊のエリアル・テイラーで間違いないな?」
「えぇ、そうですけど……」
よく見ると、彼女の後ろには何人かの男性軍人、そして当のミリアもいた。
同じように呼び出されたのだろうか────
「な、何ですか? こんな夜遅くに……」
「理由は後だ、とりあえず本部まで一緒に来い」
軽くミリアの方を見ると、小さく頷く。
とりあえず、従った方がいいと思った。
「わ、分かりました……」
※ ※ ※ ※ ※
軍本部まで連れてこられた私は、ミリアとは別々にされ、狭い部屋に入れられた。
途中ミリアと話すことは愚か、何か質問したり喋ったりすることさえ許されなかった。
でも私やミリアのような入隊したばかりのぺーぺーに、一体何をさせようと言うのか。
最近の私たちが軍人としてしたことと言えばもっぱら、訓練所に通って少し街の外に出ては物資運搬なんかの任務をして。
軍の本部に来ることなど最初、入隊の手続きくらいの時だったはずだ。
軍の幹部であると言うヴェルド教官でさえ、私たちの訓練や事務作業のため、大きな任務に出ることは最近は少ないと言っていた。
でもこの部屋の雰囲気には、少しだけ覚えがある。
実際に来たことはないにせよ、部屋の感じや空気感で、何となく察するものがある。
小さな机がひとつ、向かい合った椅子がふたつだけの、こじんまりとした圧迫感のある部屋。
そして頑丈そうな扉に、厚い壁に、窓にあるのは鉄格子。
被疑者を事情聴取するための部屋だ────
「座れ。どちらかは任せる」
「は、はい……」
フェリシアさんと言う人は、そのままその部屋に残った。
他の軍人さんは、外で見張りをしている。
「キョロキョロするな」
「あ、はい。すみません」
「疑われるようなことをするなという意味だ、私の眼だけ見ていろ」
フェリシアさんは軽く眼を細めると、私の眼をジッと見返した。
どうしていいか分からず、言われた通り目線で返す私と、沈黙することものの数秒。
ようやく、彼女が口を開く。
「ヴェルド・コゼット幹部が殺害された」
「────────え?」
急な話題。その言葉が理解が追い付かなかった私は、立場も忘れて、マヌケに聞き返すことしかできなかった。
「ヴェルド・コゼット幹部が、今晩、殺害された。何か心当たりは?」
「な、無いです。無い、です……」
ヴェルド教官が殺された────その言葉が、私はまだ信じられず下を向く。
殺されたって、何で?
それに、いつ??
彼は恨まれるような人柄では無いはずだ。
忙しい立場もあるけれど、なるべく私たちの事を見てくれていたという自覚はある。
相談があれば聞いてくれたし、足りないところがあれば補えるよう考えてもくれた。
そんな彼が、しかも先程まで私たちと一緒にいたという彼が、殺されただなんて。
そんな、そんな────────
「あ……」
「どうした?」
「あれって、もしかして……」
あの時は特に気にも留めなかった出来事が、頭の中でその本性を現し、私の人生を左右しかねないほどの重要なシーンであったことを、示唆してくる。
「何かあったのか!?」
「いやでも……」
「言え! 隠しても後で後悔するのは自分だぞ!」
圧に押され、一瞬怯む。
それから、ぽつぽつと口が滑って、ようやく言葉が出てきた。
「夜に────夜の7時半頃に、訓練所で、訓練が終わって、帰ったんです、ミリアと……
その時、叫び声みたいなのが聞こえた気がして……」
「なぜその時それを言わなかった!」
「っ!!」
そうだ、全くこの人の言う通りだ。
あの時私が誰かに伝えていれば、隣にいたミリアにでも疑問を呟いていれば、ヴェルド教官は殺されることもなかったかもしれない。
私のせいで、彼は殺されたのか────
「いや、すまない。取り乱した。今日は声を押さえているが、ついいつものクセで大声が出てしまう……
ゆっくりでいいから、なるべく詳しい状況を教えてくれ」
そうか。あの叫び声、あの胸騒ぎは、やっぱりヴェルド教官のものだったのか。
そう考えると頭の回転が鈍る。
早く犯人を見つけるためにも、今すぐにでも私が喋らなければならないのに。
言葉がでない。早く、早く早く、何かを────
「あ……」
「おい、大丈夫かおい! エリアル・テイラー! おいっ!」
私は意識を失った。
※ ※ ※ ※ ※
眼が醒めると、ベッドだけが置かれた簡素な部屋で、私は寝かされていた。
見渡すと隣でフェリシアさんが椅子に座り、腕を組んでこちらを見ている。
「気分はどうだ。気絶する前の事を覚えているか」
「えぇ、はい……」
「悪いが時間が惜しい。続けられるか?」
聴取のことだと気づくのに、少し時間がかかった。
まだ頭が上手く回っていない────
「ごめんなさい、すぐ戻ります」
どのくらいここでこうしていたのだろう。
私が弱いせいで、捜索にロスを作ってしまった。
「いや、そのままでいい。ここでやる。
どこでやっても同じだ、リラックス出来る場所の方がいい」
「はい」
「話すのはキツかろう。こちらからの質問に答えてもらう」
フェリシアさんのひとつひとつ、ハッキリとした指示は、私もありがたかった。
今何かを喋っても、まとめて伝えられる自信がない。
それにこの人の言う通り、あの狭い事情調査部屋より、ここの方がいくらか落ち着けるには落ち着ける。
「先ずは先程貴様は、訓練場を出たのが7時半頃だと言ったな。それは間違いないか?」
「えっと、はい。出るとき時計を見ました、7時40分でした」
気絶してしまう前で良く思い出せないけれど、その事実は間違いない事だった。
「そんな遅い時間まで訓練をしていたのか?」
「今日は午後から教官がついてくれていたので、少し遅くなりました」
終わったのは確か、7時半少し前で私とミリアは話ながらロッカーで荷物をまとめてその時間に帰ったのだった。
教官の言いつけは守り、自衛のため訓練服は着替えずに。
そして私たちが帰る頃には訓練所は、タバコを吸っている教官だった。
「その時、彼はなんと?」
「消灯と施錠はしておくから、先に帰るようにと」
「そうか。そして帰り際、叫び声を聞いたと?」
叫び声────いや、そう言われると自信がなくなってくる。
何か聞こえたのは確かだが、流石にその場で叫び声と認識はしなかった。
「その時確かに声は聞こえましたが、叫んだ声と断定までは出来ないです」
「そうだったか……」
フェリシアさんは、手元の紙に静かにメモを取っていく。
そして黙っていると自然と、ヴェルド教官と分かれたときのことも思い出してしまう。
今私はベッドの上だけれど、ミリアはまだあの狭い事情聴取の部屋で尋問を受けているのだろう。
そして恐らくそれは、他のメンバーも同じで、それぞれがこうして別の隊の人たちに、事件について問いただされているのだ。
「あの、フェリシアさん。私たちは疑われているんです、よね?」
「いや。公的にも私的にも、疑いの目は薄い」
「えっ……?」
思いの外素直な答えに、私は少し驚いた。
てっきり疑っているからこそ、ここに私たちは呼ばれたのだと思っていた。
「あくまでも形だけだ。貴様らのような子供に仮にも幹部が殺せるなどとは、思ってない」
「あの、聞いといてなんですけど、それって────」
「別に聞かれても構わん。聴取自体は公平に行っている」
「そう、ですか……」
その後もフェリシアさんの尋問は続いた。
ヴェルド教官と別れる前にあったこと、入隊してからの怪しい人物の目撃、帰ってからの行動等。
「分かった、以上にしよう」
そして終わる頃には、窓の外が明るくなっていた。
フェリシアさんは聴取した紙を外で待機していた男性に渡すと、また椅子に座り直した。
「どうだ、体調は」
「もう大丈夫です」
本当はあまり余裕もなかったけれど、今は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
「なら貴様はもう帰れ。一応は監視対象だから、暫くは自宅待機。
通告があるまで一歩も出るな。以上だ」
「あの、お役に立てずすみませんでした……」
フェリシアさんは少し顔を伏せる。
「貴様に目撃されているような輩相手なら、あの男は殺されてなどいない」
聞こえるかどうかと言うほど小さく呟いただけだったけれど、私の耳にはイヤと言うほどその音が叩き込まれた。
そうか、私はいてもいなくても、変わらなかったのか────
「さっきは大声を出してすまなかったな」
「いえ……」
「エリアル・テイラー。昨日会っていた人間がもう、この世にいないと言うことは、これからも往々にしてあると思え」
「これが、ですか?」
これからも、こんなことが。
それはまだ入隊3ヶ月という経験の浅い私には、酷な言葉だった。
いや、例えいくら経験を積もうとも、その事実はきっと私を苦しめるのだと。
フェリシアさんの眼は、語っていた。
「軍に勤めていれば、そういう喪失はある。絶対にだ。
そしてだれかを殺める経験も、あるだろう」
「はい……」
「だが、ひとつ。憎しみや悦楽で人を殺めることは、なるべくするな。
そうなってしまえば、人は人に戻れなくなる」
フェリシアさんの真剣な眼に、私は吸い寄せられるようだった。
その言葉は、経験から来るものか?
それともそうなってしまった人を見てきた目測か?
どちらにせよ、私はその言葉の真意を、その時はまだハッキリと知ることはなかった。
「なぜ、それを私に?」
「一番責任を感じているのが、貴様だからだ。今回の件、貴様に非はない」
その時私は、フェリシアさんに悪いことをしたのだ。
そう言い切ってくれた彼女の言葉も心に届かず、ただ自分の犯してしまった間違いに、心を落としていた。
「大丈夫だ! もし何かあればうちの隊を頼れ!」
「ありがとうございました」
私はそれだけ言うと、足早にそこから立ち去った。