あぁ、帰りたい────
『……………………助けて…………』
心から溢れる不安の声は、誰に聞こえるはずもなかった。
暗い、暗い、真っ暗な夜の森の中を、少女はさ迷っていた。
歩き続けて、もう随分と時間が経ったような気さえする。
月の光もかからない暗い森で、僅かにちらつく星だけが、たまに木々の間から顔を覗かせてはまた消える。
履いていた靴下は既にすり減って、足からは多分血が滴っているにちがいない。
星が視界の端をよぎる度に頭がフラフラとしてきて、踏みしめる度に足はズキズキと痛んで。
耐えられなくなった彼女は、ついにその歩みを止めて、木の根に腰を下ろして俯いた。
この記憶は────そうか、私の昔のものだ。
全てを失ったあの日、私は途方にくれてたった一人、暗くて行く先の見えない森の中を、さ迷っていたのだったか。
たまに遠くから聞こえる梟の鳴き声や、目の前を飛び去る虫の羽音に身体を震わせて、一人孤独に闇の中を歩いていたんだった。
今でも怖い森の中、あの頃の私にとっては恐怖そのものでしかなかった。
それに、一番怖かったのは────
『ひっ……だれ……??』
時折葉音から混じって聞こえてくる、声のようなもの。
それも、森全体から聞こえてくる。
怖い、誰かに見られている、でも誰もいない。
ついに自分で何かすることを諦めた私は、その場にうずくまることしかできなかった。ただ、泣いていた。
だから、あのときの出会いは、私を救いだしてくれたあの瞬間は、今でも忘れない。
きっと、一生、永遠に────
「大丈夫……?」
『えっ……?』
私を覗き込む、2つの人影。そこに立っていたのは、ランタンをもって心配そうにこちらを覗き込む、同い年くらいの少女だった。
なんでこんなところに女の子が──そう思う前に、私はその子に飛び付いていた。
「怖かったです!! ここはどこですか!? 帰りたいです!!」
「おぉっ……うん、全部パパやママが、お家でゆっくり説明するから。とりあえずついておいで。大丈夫、大丈夫……」
馬鹿な話だけれど、あの瞬間がなければ、私は今でもあの森をさ迷っていたような気がする。
私を迎えにきてくれた少女と、それからもうひとり────
あの森での夜が、ミリア・ノリスとの出会いだった。
※ ※ ※ ※ ※
〈エリー、起きてっ!〉
「──────っ!?」
私は、頭に響くきーさんの感情で覚醒した。
反射的にベッドから飛び起きると、顔面に何かがぶつかる。
「いぎゃっ──ちょ、なにが……」
混乱するまま眼を開くと、暗い中夜のわずかな光に照らされた部屋の景色が見える。
しかし、目元と風景に違和感──これは、メガネ?
「────あっ、“ウィステリアミスト”っ!!」
反射的に部屋に霧を巡らせると、案の定一部が欠けている。
そうか、じゃあ今この部屋にはやっぱり────
「ミリア────」
起きた瞬間、私の顔に飛び込んできたのはきーさんの変身したメガネだった。
それも、あの“魔眼”を弾く、リゲル君特製の超優秀メガネだ。
修行の成果というか、こういう特殊な物にもきーさんは少しなら変身できるようになった。
でも、わざわざきーさんが変身してそんなことをしたと言うことはつまり、そこにいるのは────
「ミリア、そこに……」
「うん、そうだよ。久しぶり」
「えっ……」
返事は過去2回のように、返ってこないと思った。また逃げて行くんじゃないかと思った。
しかし、欠けた風景から浮かび上がったミリアは、バッつんと“精霊天衣”を解いてこちらに向き直った。
「どうして────あっ」
どうしてここに、叫ぼうとした瞬間、ミリアの手に何冊か本が握られていることに気づく。
あれは──ミリアの部屋から持ってきた、例のアルバムだ。
あの中には、ミリアが裏切った
「泥棒、ですよ……」
「いやいやいや、そりゃこっちのセリフだよね?」
そうだった。合鍵使って勝手に持ってきたのは私でした。
しかし勝手に部屋を荒らしたミリアは、私にそれ以上怒るでもなく、ただ窓の方に歩いていく。
「鍵まで付け替えて、厳重だね。おかげであんたの部屋にあるって何となく察しがついたよ」
「なんで入ってこれたんですか、大きな音がすれば流石に分かりますよ」
「秘密だよ────私ね、
まさかあんたが持ち帰ってたとは思わなかったけど。このアルバムは、処分しとくよ」
「ダメ、です」
「こういうの、あっちゃ困るんだよね。それに、そういうメガネも……」
ミリアは、きーさん扮する「“魔眼”封じのメガネ」を指差した。
「おしゃれかと思ったけど、違うよね。
この間会ったときも、今さっきも。私と眼を合わせたのにアルバムの事を覚えている。
どこで手にいれたか知らないけど、迷惑なんだよ。
私が困るって分かってるのに、邪魔をしようとしてくる。なんで?」
「それは──ミリアに戻ってきてほしいからです……」
「死んだ眼のクセに、いつからそんなクサイことも言うようになったの。あんた、気持ち悪いよ。
国王暗殺まで企てた
そういって、ミリアは窓を背にして一歩踏み出した。
その圧力に押されるように、私は出入り口側に一歩後退する。
「ここに私が来た理由は、このアルバムの回収。
あと、エリーにお別れを言いにきたんだよ」
「………………」
ミリアのその声は、穏やかに、安らかに、でも確かに最後だと言う意思を込めて。また一歩踏み出した、後退した。
「今さらお別れなんて、変? 今まで2回も会ってるのに? 会いたくはなかったよ、取り逃がしたのはミスだった。それとも、私もまだ、甘かったのかな。
でもこないだ戦ったときすごかったよ。強くなったんだね、エリー」
そうだ、私ミリアと別れてからも、強くなった。
体力がついて、技術がついて、仲間が増えて。
でも彼女の言葉は、まだ自分の方が強いという絶対の自信が込められている────
「今さら何言ってんのって感じだけど、もうダラダラと迷うのは止めたんだ。
私は、エクレア軍の『ミリア・ノリス』なんかじゃなく、ノースコルの兵士『ミリア』──敵としてこれから戦う。だから、これは宣戦布告だよ」
「……………………」
そしてまた一歩。これは、間違いなくミリアの本気の声だ。
そして、彼女の手から火の魔力が僅に灯ると、彼女のアルバムがメラメラと燃え始めた。
「ほらっ……」
「あっ……“
投げられたアルバムに水をかけたけれど、それはもうただのススだった。何て事を────
「もうすぐ、戻れないノースコルから出た任務が始まるんだ。
サウスシスの上層部にはもうバレてるって聞いたけど、それでもやるの。止めればいいのに、ね」
多くの敵が、この街に集まってきている。
こういうことは以前にも度々あったけれど、今回のそれはその中でもかなり大規模だと聞いている。
「もしあんたが生きてたら、島に帰った時、パパとママにごめんて、伝えておいて。
それと、店長とリタさんと、ティナちゃんと、ルーナちゃんに、ごめんて伝えておいて。
あと、リゲル君と、ロイドとイスカにもごめんて伝えておいて。
あと、こないだ戦ったエリーの友達にも、怪我させてごめんて伝えておいて。きっと痛かったよね────」
多いな。流石にそれは背負いきれない。
敵と言いつつ、クレアにまで謝罪をするのか。
でも多分違う、本人が伝えたいのは、そんなことじゃないはず。
「あと、エリー。あのさ」
彼女が、何か言おうとした。多分、その先は心に秘める本当の彼女がいて。
それは、とても、誰かを思って────
「ごめんね、バイバイ」
〈────────っ!! きーさん、槍っ!〉
瞬間、“精霊天衣”をして迫ってきたミリアのほぼ不意打ちの一撃を同時に、私はきーさんを槍にしてそれを防ぐ。
ダメだ、眼を合わせずに戦わなきゃならない。
「くそっ……」
部屋に隠してある本物のメガネを取り出す時間はない。手掛かりのアルバムは燃えた。
眼を合わしてしまったら、もう記憶は失われたままその糸口から探すこともできない。
格上の相手にハンデ背負って戦うなんてフェアじゃない。私は歯噛みする。
「“ティール・ショット”!」
「────っ!」
指先から打ち出された氷の弾丸に怯んだミリアが一歩下がる。
その隙に彼女を振り払って、私は窓の方へ走った。
「──────!」
「つぅっ────だぁっ! きーさんメガネっ」
自宅の窓ガラスを突き破り、アパートメント裏の石畳の通りに着地。
なるべく出費は考えないようにしながら、追ってきたミリアから背を向けるように走る。
スピード勝負になる、かつてこの街の精鋭門番さんたちを見えないスピードで倒したスピードと、だ。
流石に勝てない、迎え撃つしかないのか。
しかし、きーさんのメガネをかけて向き直ると、そこにはもうミリアは────
「上っ!? “パフ・プロテクト”!」
上に向かって展開した氷のバリア、しかし速すぎるミリアの加速で氷結が間に合わず未完成のまま壊れる。
勢いの殺されたミリアが上から降ってきて、お互いにぶつかる。
「さんむっ!」
「──────つぅっ!」
真冬の寒空の中、一緒に降ってきた氷と水でずぶ濡れになりながら、2人でもみあいに。
そしてそのままミリアがぶつかった勢いで、一緒にメガネが外れてとんで行いった。
「くっ────」
〈エリー、すぐ戻る!〉
すぐに立ち上がってきーさんの元へ走る。きーさんも着地するなり、こっちに走ってきた。
しかし、すぐ後ろにはミリアの迫る気配。
王様との約束が頭をよぎった。
ミリアを止める、罪を償わせる。その約束は守るつもりだったけれど、直接私の襲撃は予想外だった。
こうなったら、私も今、ここでミリアを殺す気で────
「え!? エリーさん??」
「──────!?」
突然、明け方近い街に、私でもミリアでもない声が響く。その声に、私とミリアの動きが固まった。
声の方向に振り返ると、そこには。
「あ、レベッカさん……」
「──────っ」
先日この街に戻って来て、ソニアちゃんとイスカを仲間に加えた銀髪の少女、レベッカ・アイリスガーデンがいた。
慌ててきーさんをメガネに変えてかけると、ミリアは明らかに動揺していた。
人の多い街とはいえ、こんな時間に目撃されるとは思ってなかったんだろう。
「誰その人? 敵、だよね??」
「つっ────!」
その一言を聞いて、ミリアは夜の闇へと逃げていった。流石に大声でも出されたらマズいらしい。
「あっ、まってくださ────あーいや、もういいや……」
私としても命を狙われたのだから、これ以上深追いするべきではないか。
それにしても逃げ足はっや、例え追いかけても追い付けないなこれは────
「エリーさん大丈夫!?」
「あぁ、大丈夫です。気にしないで」
「ホントにホントに!?」
身体の至るところを、ポフポフ触りながらスゴい勢いでレベッカさんが心配してくれる。
大丈夫、とりあえず(私の家以外は)無傷で済んでいる。
「でもありがとうございます、助かりました。
レベッカさん、なんでこんなところに?」
「朝早くから訓練があって、ソニアちゃん迎えに来たのだけれど。
ねぇ、なにがあったか、あの人は誰か聞いていい?
なにか困ってるなら、助けになれるかも────」
「あー」
なんと言おう、しかし私は迷った挙げ句少し微笑むことしかできなかった。
「ごめんなさい、これ私の問題なんで」
「そ、そう……」
「気を使っていただいて、ごめんなさいね」
空を見ると、もう東の空が赤らんできている。
しかし、今日は休みだから一日ごろごろしてよう、と思っていたけどこんな精神状態ではしばらく寝れそうになかった。
寒い、とりあえず風邪引く前にお風呂に入って、部屋の片付けからかぁ。
「じゃあ、レベッカさん。失礼します」
「あ、うん……」
ミリアがこの街にいる、敵が街にいる、襲撃の話。
でも、こんな中でも大会は行われるはずだ。
「もうすぐ、ですか。始まりますね」
ルーキーバトル・オブ・エクレア。
名前を売りたい者、強さを試したい者、未来を勝ち取りたい者────
新人たちのギラギラとした、闘志の乱れる大会が始まる。
ただ、残り数日の間に私も、一仕事やらなければならないらしい。
~ 第2部最終章完 ~
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