第106話 垣間見えた狂気

「あ、あああああああ在原、しゃんっ!?」


「おう? 在原だぞどーも。タピオカ吸う?」


「あにゃ、ひゃひっ!?」


 蘭原さんの真っ黒なおさげ髪を、在原さんが右手でわしゃわしゃと撫でる。


 彼女が突然おかしくなったのはそこからだった。謎の悲鳴と共に身体をピキィッ、と固めてしまった彼女は、されるがままに頭を撫でられたまま黙り込んでしまう。


「な、なに? なんか今ひなちゃん、変な声出さなかった……?」


「俺も、聞こえた。人間の声とは思えないのが……」


 俺と同様に彼女の異常を感じ取ったのか、由那が耳打ちしてくる。どうやらその場でそれに気づいていないのは在原さんだけのようで、彼女だけはマイペースに誰かの椅子を借りて座ると。一度委員長を撫でるのをやめてタピオカミルクティーの量を一気に減らした。


「ぷはぁっ。やっぱ糖分摂取はこれに限るよなぁ。して神沢君、有美はそろそろ帰ってきた? 私アイツ待ちなんだけど」


「え? あー、いや。多分中田さんなら寛司ともう帰ってると思うけど。ほら、二人が買ってきたやつ教卓の上に置いてあるし」


「うっそ、マジか!? くそぅタピりに行ったのと入れ違いだったわけか……」


 はぁ、とため息を吐いてから、「やらかしたなぁ」と呟いて。また太いストローでタピオカを吸い出していく。


 この教室に来た瞬間はまだ半分以上残っていたそれも、もう残量が二割を切っていた。


 というか在原さん、人を待っている間に自販機とかじゃなくて学外まで行ってタピオカって。相変わらずやることが大胆というかマイペースというか。変わった人だ。


「う〜〜〜む、じゃあ私もそろそろ帰らなきゃなあ。どうせ残っててもすることないだろうし。いいんちょもこの後は領収書提出して帰るだけ?」


「へっ!? ひゃ、ひゃひ! わ、わわ私ももう、それだけでしゅっ!!」


「そっかぁ。あ、あと在原さんなんて他人行儀な呼び方しなくていいからね。薫でいーよ、薫で」


「ぴっ……わ、わかりまひ、た。薫しゃんっ!!」


「あっはは、ひなちゃん噛み噛み。そんなに私と喋るの緊張するのか〜? うりうり〜」


「あ、あぁ、あうぅ。へへ、へへへっ。なでなで、えへっ。えへへへっ」


「「!!!!???」」


 え、ちょっと待てなんだあれ。怖い、なんか委員長が怖い顔してる!!


 在原さん、気づいてないのか? というかもしかしてあれに優越感を感じて……?


 頭を撫でられ、顎を指でこしょこしょされた彼女の顔は、女の子のしていい表情のそれではもう、なくなっていた。


 ニヤけ面というか、狂気面というか。既に由那ですらパクパクと口を開け閉めすることしかできないほどのとてつもない顔、とだけ言っておこうか。


 普段は大人しくて人見知りな、真面目生徒。そんな蘭原さんがする顔とはとても思えなくて、二人して驚愕のあまり顔を合わせ固まることしかできなかった。


「お? 撫で心地いいなひなちゃん。私のペットになるか?」


「か、薫さんのペットに、ですか!? わ、ワンッ!!」


「よぉしいい子だな。ほおれほほほおれ」


「わぅ、わうぅ……」


 目の前で形成されていく、爛れた関係。


 きっと在原さんは冗談半分なのだろう。でも客観的に状況を見ていた俺と由那だけは分かる。


────蘭原さんはきっと、本気だ。本気と書いてマジだ。


「ん? どーした神沢君。なんか顔色悪いぞ?」


「い、いやぁ、その……はは、ははっ」


 うちのクラス、てっきりヤバいのは男子だけだと思っていたけど。


 女子の中にもちゃんと化け物は潜んでいたらしい。その生態を目の当たりにしてしまった今、俺は苦笑いを浮かべることしかできなかった。


「ひ、ひなちゃんってもしかして……結構ヤバめの子?」


「い、いい言うな由那。俺たちはもう帰ろう……」


「か、薫しゃん……もっと撫でてくだしゃぃ……へひっ」


「ああいいぞぉ〜。可愛い子撫でてるとMPが回復するからな〜〜」


 頼むからこれ以上変なことにならないでくれよ、と願いながらも。俺には在原さんを止める勇気はなくて。




 ある意味変人である彼女と、明らかにヤバい一面を見せてきた蘭原さん。その二人の絡みを横目に、由那と教室を脱出した。