第100話記念閑話8 密着ウォータースライダー3

「っ……な。ゆな、ぁ……」


「はぁいっ」


 ツンツン、ツンツンツンツン。むにむにむに。


 頬に、小さな痛みが走る。


 押し込まれて、引っ張られて。何なんだ、一体。


 ……あれ、おかしい。記憶が、飛んで? 由那と二人きりになって、それから────


「もぉ、珍しくお寝坊さんだね。そんな彼氏さんには……んっ」


「────っひゅ!?」


 バチン、と意識が覚醒し、パチクリしたまん丸の瞳と視線が交錯する。


  じんわり熱いのは唇。さっきまで何度もしていたはずの、キス。それなのにたった一度のそれは、妙なリアリティというか。インパクトがあって、思わずぼやぼやとしていた頭が一気に冴えた。


「えへへ、お目覚めのキスだよっ。おはよ、ゆーし♡」


「へ……?」


 おはよう? というか、ここは? 何で俺はプールじゃなくて家のベッドの中にいる?


 サーッ、と全身から血の気が引いていくのを感じた。


(全部夢……だったのか?)


 そうだ、どうして気づかなかったんだ。


 今はまだプール開きをしているような季節じゃない。それに由那が着ていたあの水着。あれは俺と二人きりの時だけ着ると約束してくれた、俺専用のもの。色んな人に見られるプールであれを着ているなんてこと、あるはずがないんだ。


 と、いうか。


(はっっっっず!? 俺、何であんな夢を!?)


 我ながら自分に引いてしまう内容だ。一緒にプールに出かけて、ウォータースライダーを滑って。そんなくらいなら全然いい。


 けれど、いくら見たいからって水着姿の由那を妄想した上に、胸を押し当てられてとか。あと、人気のないところに行ってから……とか。


 情景的な景色は朧げにしか覚えていなくとも、感触だけはまだ感じられるほどに強く残っている。


 本当に……死ぬほど恥ずかしい。


「なんか私の名前呟きながら幸せそうにしてたけど、もしかして……私と何かする夢を見てたの?」


「ち、違うぞ! 見てない、見てないからな!?」


「え〜、本当かなぁ。ゆーし結構エッチだしなぁ……。起きるのが嫌になるくらい、夢の中の私と幸せなことしてたり?」


「して、ないッ! 本当だ!! 本当に俺は、何も!!」


「……そういうのは、本物の私として欲しいな。私だってゆーしの全部……受け入れられるのに」


「あ、ぇ? 由那さん、今なんて……というかもしかしてその、怒ってる?」


「む、怒ってない。嫉妬してるだけだもん」


「それを怒ってるって言うんじゃ」


「怒ってないもぉん。ただちょっと夢の中の私、羨ましいなって。思っただけだもぉぉん」


「わ、分かった。そうか……」


 ぷくぅ。そっぽを向いていても分かるくらい、由那の頬は膨らんでいる。


 わかりやすく拗ねている証拠だ。多分由那の中で今のは自分の好きな人の隣に自分の代わりに誰かがいて、そいつに向かって「そこ代われ!」と言う時みたいな。そんな心情なんだろう。


 そう思ってくれるのは嬉しいが。同時に少し、実の彼女でよろしくない夢を見てしまった自分が恥ずかしい。というか、申し訳ない。


「ぷい〜っ。ふん、だ。ゆーしのバカ。浮気者」


「やっぱり怒ってる……。なあ、ごめんって。俺もその、不可抗力というかさ」


「つーん」


 ああ、もう。可愛いなこの野郎。なんて拗ね方するんだコイツは。その拗ねが自分への好意から来てるおかげで面倒臭いと怒るどころか、むしろ少し喜ばしく思ってしまう。


 本当に、厄介だ。


 俺が由那の夢を見た理由なんて、絶対分かっているくせに。それをわざわざ口で言わせるのか。


「あー、あれだよ。ずっと由那のことばっかり考えてるから、夢に出てきちゃったんだって。……クソ、恥ずかしいこと言わせないでくれよ」


「ん゛っ。私のこと、ずっと?」


 ピクリ、と背中が動く。


 あっ、これは────


「えへっ、えへぇっ♪ そっかぁ。私のこと、ずっと考えてくれてるんだあ♡」


「ちょっやめろ。制服シワになるって」


「やーだ。ゆーししゅきー!!」


 まだインしてないカッターシャツの上から、制服姿の彼女はさっきまでの不満顔が嘘だったかのように笑顔で、頭をグリグリ押し付けてくる。


 これじゃ着替えられないのに。本気で振り払うことができないのは、すぐに機嫌を直してくれたことへの安堵感からか。それとも、単にこの状況を終わらせたくないからか。


 どの道、とりあえず俺の彼女は死ぬほど可愛いと思った。


「って、そういえばお前なんで俺の部屋にいるんだ? 昔みたいに隣の家から侵入なんてできないはずなのに」


「え? 今日は普通にゆーしのお母さんいたから上げてもらったよ? 私が起こすよりも彼女の由那ちゃんが起こしてくれた方がゆーしも喜ぶだろうって」


「あんのバカ……」


 いやまあ、嬉しいけども。確かに由那が起こしてくれた方が絶対嬉しいけども。実際嬉しかったけども!


 息子の部屋に無断で彼女を招き入れるというのはどうなんだ、お母さん……。


「ね、今日は遅刻確定だからのんびり行こ〜ね♪ いっぱいイチャイチャしながら、ゆっくり歩いて一限終わりに教室着こ〜!」


「遅刻、確定? ってマジだ!? もう一限始まって二十分くらい経って……いや、由那お前、いつもの時間に来て起こしにここまで上がってきたんだよな!? ならなんでこんな遅い時間に────」


「……ゆーしの寝顔、可愛くて♡」


「馬鹿野郎ぉぉぉぉお!!!!」


「え、嘘待って!? ねえゆっくり行こうよ!! なんで今更そんなに急ぐのぉぉお!?!?」


 俺は由那の要望を全無視し、急いで制服へと着替えて。





 大急ぎで、家を飛び出したのだった。