「ライエス。なぜエシュニーをにらんだ」
エシュニーが扉の向こう側へ消えるや否や、トーリスがそう詰問する。
相変わらず感情の薄い表情だが、たしかな苛立ちが見て取れた。
しかしそれには構わず、ライエスは再度彼の手をぶんぶん振り回す。
「そんなことより! 兄上も、軍に戻りませんか?」
「そんなことでは──軍?」
なおも彼を責めようとしたトーリスだったが、突拍子のない提案に、目を丸くした。
困惑する兄に構わず、先ほどとは打って変わって朗らかな顔になったライエスが、滔々とまくし立てた。
「そうです、軍です。兄上の手紙を拝見して、兄上がこのような
熱のこもった彼の言葉も、トーリスは無表情に受け流す。
そして、静かに首を振った。
「戻らない。僕はエシュニーの護衛であり、友だ」
それに、分からなかった。
トーリスは手紙の中で、こう書いたのだ。
ライズ町での神殿暮らしはのどかだが、変わり者の信者が聖女に想いを寄せたり、聖女の声が大きくて元気いっぱいだったり、案外色んな出来事があると。
また、聖女であるエシュニーから「友達になりたい」と言ってもらえたと。
自分も彼女の「友達」になるべく、もっと
どうしてライエスはそれを、「田舎暮らしに
トーリスは弟機のぶっ飛んだ思考に困惑していたが、一方のライエスもまた、トーリスの言葉に愕然となっていた。
「友……ですって? 魔剣と人間が、友になるなんてありえない。兄上は、あの女にだまされているのです!」
エシュニーを悪しざまに言う言葉が、トーリスの平たい感情を逆なでる。彼の口がへの字になった。
「だまされていない。エシュニーは僕を、似た者同士だと言った。それに、人と同じように僕の頭も撫でてくれた。彼女を侮辱するな」
つい、語気も平時より荒い代物になる。
しかしライエスはめげない。
「頭ぐらい、ボクだって撫でます!」
「お前に撫でられても、嬉しくない。エシュニーだから嬉しい」
トーリスも折れてやらなかった。ばっさり言い切る。
この「お前では嬉しくない」発言は、めげないライエスの心にひびを入れた。くしゃり、と顔がゆがむ。
「何故……ですか? 誰だって一緒です!」
「一緒じゃない。エシュニーは特別だ」
「あんな人間の、どこがいいのです!?」
わんわんと聖堂へ響き渡る詰問に、トーリスは視線を落とした。そして考える。
エシュニーのいいところ。
聖女にもかかわらず、私生活は要所要所でだらしなく。
寝言は不可解で、怒ると口調が町の不良のようになり。
スラム街の連中を相手に矢面に立つなど、かなり向こう見ずでもある。
ついでに器用貧乏だ。
けれど。
聖女として、誰よりも頑張っており。
その眼差しはいつも優しくて、誰に対しても分け隔てない。
トーリスをも、物扱いしない。
そして彼のために怒ったり困ったり、屈託なく笑いかけてくれる。
「エシュニーは悪い部分もたくさんある。だけど、彼女はとても温かい」
「そんな理屈、分かりません!」
ライエスが涙目でがなった。彼はトーリスへ背を向ける。
次いで、震え声を発した。
「でも……兄上を、あの女が騙しているのだということは、よく分かりました」
困惑によって、トーリスの眉がきつく寄せられる。
「待て、ライエス。それは違う」
兄の言葉を、頑なに首を振るライエスは拒んだ。
「違うものですか! 兄上は優しいから、騙されていることにも気付いていないのです! ボクには分かります! ボクの方が兄上の近くに、ずっといたのですから!」
そう叫ぶや否や、ライエスが聖堂を飛び出した。
トーリスが慌ててそれを追う。
以前から直情傾向にあるライエスが、エシュニーに怒りを向けている。嫌な予感しかしない。
しかし運悪く、出てすぐのところにエシュニーは立っていた。旅行者に捕まったらしく、頬を紅潮させる老女へ笑顔で応対していた。
トーリスが、彼女へ逃げるよう呼びかけるよりも早く。
「この、泥棒猫めぇぇぇぇ!」
トーリスには不可解な単語を絶叫し、彼女目がけてライエスが飛びかかった。
エシュニーも老女もギョッとなり、次いでライエスが影から生成した斧を握っていることに気付く。
エシュニーは迷うことなく、青ざめる老女を背に庇った。
その光景に、トーリスが青ざめる番であった。
「ライエス、やめろ!」
彼は髪を振り乱し、影から作ったナイフを投げる。ライエスの背中に向けて
自分へ刃を向けた兄に、ライエスは困惑の顔を向けた。
「なっ……何故です兄上! 何故、僕を攻撃するのです!」
「お前こそ、何を考えている!」
分からず屋の弟に、トーリスは生まれて初めて怒った。それに任せて、怒声を発する。びりびりと、空気が震えた。