大広場に入るとさまざまな出店が並び、大勢の人たちが祭壇へと向かう流れに沿ってゆっくりと足を進めていた。
出店は肉からスイーツまでよりどりみどりだし、他にもくじ引きや弓矢で景品を狙ったり、中には魔法を使って的を射るものもあった。
「いろいろな出店があるのですね。わたくし王都で祭壇に祈祷するのは初めてですわ」
「そうだね、今までは領地の収穫祭に出ていたからね。あちらはあちらで楽しいけれど、ここは賑やかだね」
「ライル様、出店には寄っても大丈夫ですか? ジュリアス様に迷惑はかかりませんか?」
王太子殿下と一緒の行動であれば警備の心配もあるかと、ライル様に尋ねた。
「ああ、広場からは別行動だから問題ない」
振り返ってみると、後ろにいたはずの王太子殿下とシルビア様の姿はなかった。
「ジュリアス様への恩返しで、最初からその予定だったんだ」
「まあ、そうでしたの。それなら心配は不要ですわね。シルビア様もまんざらでもない感じでしたし」
「うん、できるならジュリアス様にも好きな人と結ばれてほしいと思う」
ライル様の瞳に浮かぶのは、友情と敬愛だ。マリアン様の件では王太子殿下が一番力になってくれた。王族として悲しい決断を下して、あるべき姿を見せてくれた。
あの方なら尽くしたいと思える王だと、わたくしも思う。
「そうですわね。陰ながらわたくしも協力いたしますわ。でもシルビア様のお気持ちも大切にしたいので、無理強いはしませんけれど」
「そうだね。ジュリアス様がシルビア様に振られたら、その時は僕が慰める」
「ふふ、ライル様なら適任ですわ」
それからわたくしたちは気になる出店を回って、ゆっくりとふたりの時間を楽しんだ。
ライル様は本当に素敵だから、近くの女性が熱い視線を送ってきたけれど、まったく気にすることなく真っ直ぐにわたくしだけ見つめてくれる。
その一途さに嬉しくなって、わたくしはますますライル様を好きになるのだ。
時々、周囲に冷酷な視線を向けているけれど、これだけ人が多いからなにかあるのかもしれない。
そうこうしているこうちに、わたくしたちは祭壇の前にやってきた。
大広場の中央に収穫祭のために豊穣の女神像が置かれ、その周りに農作物を供えて色とりどりの花が飾られている。その色合いはまるで七色の花畑のように、明るく華やかだ。
ライル様と並んで女神像の前に跪き、胸の前で手を組む。瞳を閉じて心から祈りを捧げた。
今年も豊かな実りをくださりありがとうございます。
来年も民たちが飢えぬよう、恵みがもたらされますように。
願わくは、ひとりでも多くの民が笑顔で過ごせますように。
そしてわたくしのライル様が、幸せに包まれますように。
瞳を開き女神像を見上げれば、キラキラと光が降り注いだ。これでわたくしの祈りが届いた。きっと来年も豊かな一年になる。
ライル様もちょうど祈り終えたようで、一緒に立ち上がり手を繋いで出口へと向かった。
ところが出口まであと十メートルというところで、道の端で何かに耐えるように俯いている五歳くらいの男の子を見つけた。
周りの大人たちは男の子の様子に気づいていないようで、みんな通り過ぎていく。
「ライル様、少しよろしいですか?」
「どうした?」
「あの男の子の様子がおかしいのです」
わたくしはそっと近づいて、男の子の前に膝をついた。
「ねえ、貴方のお母様とお父様は近くにいるのかしら?」
「…………」
「もしかして困っていないかと思って声をかけたのよ。お父様とお母様がいないなら、ひとりでいるのは危ないわ」
「……いない」
「いない? お母様やお父様がいないのね?」
「さっきから、探してるのに……どこにも、いない。うっ、うわあああああ! お父ちゃんもお母ちゃんもいないよおお!」
とうとう堪えきれなくなった男の子は大粒の涙を流して、泣き叫んだ。
すっと不安だったのに、懸命に堪えていたのだろう。こんな小さな身体でひとりきりになって、心細かったに違いない。
「ひとりでよく頑張ったわね。立派だったわ」
そう言ってそっと抱きしめる。ひとしきり泣いて落ち着いた頃に、ぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭いてあげた。
小さな声で「ありがとう」と言われれば、わたくしの心はポカポカと温かくなる。
迷子ならわたくしたちでご両親を探すよりも、大広場の警備に当たっている騎士たちに託した方がいいかもしれない。
情報も共有されているから、その方がご両親に早く会えるだろう。
もしかしたら、ご両親もこの子を探してすでに騎士に相談しているかもしれない。
「ライル様。この子は迷子のようですので騎士にお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、もちろんだ。僕がこの子を連れていく。さあ、おいで。肩車をしてあげよう」
若干硬い表情でライル様が男の子をヒョイっと肩に乗せてしまった。
「うわっ! オレ、お姉ちゃんがいいのに!」
「ダメだ。あのお姉ちゃんは僕の婚約者だから、いくら子供でもこれ以上は許せない」
「えー! お姉ちゃんがいいよー!」
男の子がまた泣きそうになったので、なんとか気を逸らせないかと考えた。
「ねえ、貴方は魔道士って聞いたらどう思う?」
「え? 魔道士? うーん、かっこいいとおもう!」
「それなら、秘密を教えてあげるわ。このお兄さんは実は魔道士でとっっっっても強いのよ」
「そうなの!? すごい!」
「だからお兄さんのお話も聞いてくれるかしら?」
「わかった!」
力一杯ライル様の素晴らしさを簡潔に伝えたところ、ちゃんと理解してくれたようだ。なんとか話を聞いてくれるところまで持っていけた、よかった。
「ライル様、勝手に話してしまって申し訳ありません」
「いいんだ、お陰でこの子も落ち着いた。さすが僕のリアだ。では騎士に引き渡してくる。すぐそこに騎士がいるから、ここで待っていてくれるか?」
「わかりましたわ、それではお願いします」
男の子に手を振って、ライル様を待ってほんの数分後。
突然、見知らぬ方たちに声をかけられた。
「おい、お前。面白い格好をしているな。この祭りでは私のパートナーにしてやるから、ありがたく思え」
一瞬、なにを言っているのかよくわからなくて、首を傾げてしまう。声をかけてきたのは三人組の男性たちで、仮装はしておらず話し方からして貴族のようだった。
仮装のことを知らないし、この国の貴族ではないようなので、他国からの旅行者だろうか?
三人とも頬を赤らめて、ごくりと唾を飲み込んでいる。
「どなたか存じませんけれど、今は婚約者を待っておりますのでお断りいたしますわ」
貴族であれば、名乗りもしない無礼者。平民であっても、初対面でお前と呼ぶような方とは仲良くしたいとは思わない。冷めた目を向けてはっきりキッパリ明言した。
「なにっ!? 貴様なんて無礼なんだ! 私は帝国のウィンター伯爵だぞ!!」
「申し訳ありませんけれど、名乗りもされてませんし、レディに対する声かけではありませんでしたので仕方ないと思いますわ」
「ますます生意気な! 平民の分際で、このような口答えをするなど、この国の民の程度が知れるわ!」
「あら、申し遅れました。わたくしマルグレン伯爵が長女、ハーミリアと申します」
膝丈の黒いワンピースの裾を持ち、優雅に淑女のカーテシーをすると、ウィンター伯爵はポカンとしていた。
「伯爵家娘がなぜこのような格好をしているのだ? まあ、いい。それなら私のパートナーに相応しいな」
「ですからわたくしは婚約者を待っておりますと、お断りしましたわ」
帝国の男性はどうしてこうも人の話を聞かないのだろう。
「いいから、この国の貴族として私をもてなせ! それが貴族子女の役目だろう!」
「——僕の婚約者になにをしている」
「っ!?」
後ろから抱きしめるように、ライル様の腕がわたくしを包み込んだ。慣れ親しんだ温もりに安堵する。
「貴様、どこから現れた!?」
「転移魔法を使っただけだ。それより、僕の婚約者に話しかけるな」
絶対零度の怒りをまきちらすライル様も、今の衣装にすこぶるハマっていて素敵とうっとりしてしまう。
「て、転移魔法だと? そんな、あれは魔神しか使えない世界最難魔法だぞ!?」
「リア、結界を張る。ここから動かないで」
ライル様がわたくしに手をかざすと、周りに侵入不可避の結界が施された。
そして次の瞬間には、ウィンター伯爵の背後に転移魔法で移動してその首元にあるタイだけを凍らせる。
ウィンター伯爵は「ひっ!」と短く悲鳴を上げてガタガタ震えはじめた。
「これで理解できたか? 誰の婚約者に無礼な真似を働いたのか」
「も、申し訳ございませんでしたーっ!!」
そう言ってウィンター伯爵たちは大広場から走り去っていった。ライル様に視線を戻すと、思いっ切り眉間にシワを寄せている。
「やっぱりダメだ、リアが可憐すぎてうじ虫が寄ってくる。リア、場所を変えてデートしないか?」
ライル様に褒められてソワソワしてしまうけれど、一緒にいられるならどこでもかまわないので頷いた。
そっと抱きしめられて転移した先は、キャンピングスクールで訪れた海岸だった。