第194話 犯人の選別

 お父様の問いかけで先ほど証言をしていなかった人達もぽつりぽつりと自分たちが飲食スペースを利用した時の状況を教えてくれた。


 そのことで、全員が当時どのように動いていたのかが段々と私達にも把握出来てくる。


 まず、さっき話にも出てきていたけれど。


 グラスを交換するために茶髪の使用人が飲食スペースに行ったのと同時に、貴族の夫人と10代の令嬢が飲食スペースを利用するため立ち寄っており。


 その時、令嬢がワイングラスを倒してしまい、茶髪の使用人が手助けしたあと。


 彼は古いワイングラスを厨房に持っていくために、飲食スペースから少しの間離れていく。


 そのかん、無人になった飲食スペースを利用した人が2人いた。


 20代後半の貴族の男の人と、マルティス以外のもう1人の医療関係者。


 夫人と令嬢の時のようにお互いに面識はなかった為、会釈をする程度で……。


 手元などは見ていなかったけど、1人は白ワインを、もう1人は、ロゼワインを飲むために、ワイングラスを手に取ったらしい。


【この時点で、動向が分かっている人間は全部で5人】


 その後、茶髪の使用人がワイングラスをクロスで磨くために戻ってきて。


 そこから先の、殆どの利用者については彼が目撃してくれていたので証言に関しても簡単に取ることができた。


 私のことを呪いだと表現した50代くらいの貴族、それからもう1人30代くらいの貴族の男の人が一人一人、別のタイミングで立て続けに利用して、彼らはそれぞれに赤と白のワインを手に取ったということ。


 そのあいだに2回、別々の使用人が少なくなった飲み物の補充にやってきて。


 そうして、最後にマルティスが飲食スペースの利用をしていたのだけれど。


 彼に関しては、飲み物を飲む際にかなり悩んだ素振りを見せていたため、茶髪の使用人が仕事を終えて、ワイングラスを磨き終わる方が早く……。


 使用人が立ち去る際にマルティスが着ているワイシャツの袖の内側に瓶の様な物が見えて、不審に思った、ということ。


【全部で10人分の当時の動きが、それぞれの証言でより鮮明になっていく】


「……話は分かった」


 彼らの話を聞いてから、お父様がそう言って、少しだけ考え込むような素振りを見せたあとで。


「ふむ。

 それが全てとは言わないが、自分とは別の人間がその場にいるというだけで犯罪の抑止力にはなるだろうな」


 と、声を出すのが聞こえて来た。


 確かにお父様の言う通り……。


 飲食スペースを利用した人たちは、それぞれの手元まで注意を向けていないにせよ。


 誰かが傍にいると、見られてしまうかもしれないと、それだけで犯罪行為に対しての抑止力にはなるだろう。


 時間的な差はあるものの……。


 完全に一人で利用した人間というのが、最後に利用したマルティス以外いないというのも段々と浮き彫りになって見えてきたことだった。


【ただ、勿論、それだけで犯人を決めてしまうのはいけない事だけど……】


 私達が暫く、飲食スペースを利用した人たちの話を聞いていると。


「陛下っ!」


 マルティスのことを調べに、医療室まで行っていた騎士達が戻ってきた。


 そうして、お父様に何かを耳打ちすると……。


 騎士から話を聞いたお父様が小さく溜息を吐き、マルティスの方へと向き直り。


「マルティス、お前が今日触っていた薬品棚からクルル草の蜜……。

 つまり今日使われたであろう毒物が入った瓶が棚の中に置いてあったそうだ。

 クルル草の茎は解熱作用があるからそちらが薬品棚にあるのは不思議では無いが、蜜が医療室の薬品棚にあるのはどう考えても不自然だろう?」


 と、残念そうな声色ではっきりとそう伝えるのが聞こえてくる。


「……なっ、へ、陛下……! 何かの間違いですっ! きっと、誰かが私を犯人に仕立てあげようとそのようなことを……っ!」


 そうしてかけられたお父様の言葉に、慌てたように取り繕って、マルティスが否定するように声を荒げていく。


 けれど、嘘を吐くのは苦手なタイプなのか……。


 マルティスの瞳は明らかに動揺していて、咄嗟に口から出任せを言っているようにしか思えないような態度だった。


 それを聞いて、飲食スペースを利用してしまったというだけで、ここまで長時間に渡り拘束され続けていた貴族の人達も解放されない苛立ちをずっと抱えてきていたのが今、表に出たような感じで。


 彼に対して、同情的な視線を向けるような者は誰もおらず……。


 その場にいた全員から再度非難するよう、鋭い視線がマルティスの方へと突き刺さっていく。


「往生際が悪いぞ。……まだ白を切るつもりかっ!?

 今日、薬品棚を利用した人間はバートンと、お前だけしかいないと騎士達の裏付けもしっかりと取れているらしい。

 つまり、お前の言うことが正しいのなら、この飲食スペースに立ち寄っていないバートンが犯人ということになるが……。

 お前は犯罪に手を染めていない自分の師をおとしめるつもりか?

 身体検査はされてしまうだろうから、ずっと持っておく訳にもいかず。

 直ぐに破棄しようとすれば怪しまれるから、一度薬品棚に分からぬように混ぜて置いておき、帰宅の際にでも破棄しようとしたのではないか?

 他に何か申し開きがあるなら今ここで、申してみよ!」


「……ぅっ」


 お父様の糾弾きゅうだんするような声に口ごもってしまったマルティスを見て……。


【やっぱりマルティスが犯人で、間違いはなかったんだ……】


 と、思いながらも、私はどうして彼がこんなことをしたのかが、不思議で仕方がなかった。


 さっきも思ったことだけど、彼の犯行動機は一体何だったのだろう?


 巻き戻し前の軸ならいざ知らず、私と彼は今回の軸では本当に何一つ接点がない。


【関わりがないとしても、私の事を疎ましくて嫌いだと思っているような人は大勢いるから。

 そのうちの一人だと言われれば、そうなのかもしれないけれど……】


 何も言えなくなってしまったマルティスを厳しい顔をして騎士達が取り囲み。


 一人が彼の身体を押さえつけてお父様の前でしゃがみ込ませると……。


「動機は一体何だったんだ?

 アリスのデビュタントを潰そうとしたのが目的かっ?

 それらについても、詳しく吐いて貰うぞ」


 と、お父様から更に厳しく鋭い言葉が、マルティスへとかけられた。


 お父様の鋭い視線と言葉を受けても、無言を貫き、暫くは何も喋る素振りすら見せないマルティスに焦れたのか、両隣にいた騎士達がアイコンタクトを交わしたあとで、帯刀たいとうしていた剣を抜き、彼に向けることで圧をかけ……。


 マルティスの身体を押さえつけていた騎士も更に強く彼を押さえつける。


「陛下から質問だ! 問われた事にはきちんと答えろっ!」


「……ッッ! わ、私にも理由は分かりません!」


 向けられた刃と騎士の強い力に屈して観念したのか……。


 吠えるように声を上げたマルティスの言い分に全員がポカンとしてしまう。


【……?? えっ?

 分からないってどういうことなんだろう……?】


「自分で罪を犯しておきながら、この期に及んで分からないとは一体どういうことだっ!?」


 私が内心でそう思ったタイミングで、眉をひそめて怒ったような表情のお父様がマルティスに問いかけてくれた。


「へっ、陛下っ! お許し下さいっ!

 ほ、本当に動機については私にも何が理由だったのか分からないんですっ!

 か、仮面の男だっ……!

 仮面の男に脅されて、私はただそれを忠実に遂行しただけで!

 瓶の中に何が入っているのかも知らなかったんですっ! 私だって被害者だっ!」


 声を荒げながら、無理な体勢でそのまま土下座をし、お父様だけに視線を向けてそう言ってくるマルティスに。


 彼を押さえつけていた騎士のみならず、剣を抜いていた騎士までもが戸惑ったようにお父様の方を見てくる。


 その説明はあまりにも幼稚な言い分ではあったけれど……。


 新しく出てきた仮面の男という単語にお父様がピクリと反応したのと同時に。


「……仮面の男、だと?

 オイ、その男の仮面はどんなものだったっ!? 年は幾つくらいだっ!?」


 と、なぜか、ギゼルお兄さまが、マルティスに向かって慌てたように声を出したのが聞こえて来た。


「ギゼル、仮面の男に何か心当たりが……?」


「……いっ、いえ、父上。

 考えて見ればっ、俺の知り合いがそのようなことをする人間とは思えないので、きっと俺の勘違いだと思います!

 そのっ、お話し中、邪魔をして申し訳ありませんでした」


 お父様にそう言われて、叱られた子犬のようにシュンとなったお兄さまが勢いを失って一歩後ずさるのが見える。


【も、もしかしてお兄さま。

 仮面の男って聞いて、アズとテオドールのことを思い出したんじゃ……】


 内心でそんなことを思いながら、私達が変装してスラムに行ったことは、ハーロックがお父様に黙って外に出ることにOKを出してくれた手前、絶対にお父様に知られる訳にはいかなくて……。


 私は一人、ひやひやしてしまう。


「……まぁ、だが、ギゼルの言う通り。

 その仮面の男の年が幾つくらいで、どんな仮面だったのかは聞かねばならぬだろう。

 それにマルティス。なぜお前にそのような話を持ちかけてきて、どのような脅しをしてきたのかもな」


 お父様がそう言うと、ここまで饒舌に一息に喋っていたマルティスが……。


「……そ、それは……っ!」


 と、一気に言葉を濁すように口ごもったのが見えた。


 その姿で、彼にとっては何か都合の悪いことがあるのだと……。


 何も語らずとも如実にそれを表しているようなものだった。


「もう一度聞くぞ。

 ……仮面の男はお前に対して、一体どのような脅しをしてきたのだ?」


「……っ」


「この場で嘘を言ったり、何も言わずにただ時が過ぎるのを待っていたら刑がどんどん重くなっていくだけだが、それでも良いというのならばそうして黙っているがいい」


 お父様の言葉に、マルティスが騎士に押さえつけられていながらもパッと顔を少しだけ上げて絶望したような表情を浮かべているのが見えた。


 そうして、何度か葛藤したのちに……。


 もうどうしようも無いと悟ったのか。


「わ、私の醜聞を盾に、脅してきたんですっ。

 皇女様のデビュタントに師であるバートン先生に連れられて、私も参加するということを何処かから嗅ぎつけてきてっ!

 男からは今日着る衣装と、小瓶を渡されて、パーティーの終盤に、どのグラスでも構わないからっ、ワイングラスにそれを一滴入れるように、と事細かに指示を受けました……。

 廃棄する前に身体検査は絶対にあるだろうからと、医療室の薬品棚に一時、瓶を置いておくというのも仮面の男の入れ知恵でっ」


 次に口を開いたマルティスは今回の犯行で仮面の男に指示されたということを私達に説明してくれた。


「……お前の醜聞とは何だ?」


 本来ならお父様には言いたくないようなことだったのだろう。


 彼の説明を聞いてからも、追及の手を一切緩めることのないお父様の問いかけに、マルティスが、うっ、と言葉に詰まったあとで……。


「夜の店で、豪遊してそのツケを皇宮名義でツケていたことと、そのっ、国の金を横領していました……」


 と、諦めたように力のない小さな声を出してくるのが聞こえて来た。


 そんなことをしているのが判明したら、懲戒免職どころの騒ぎではおさまらないだろう。


「……? 

 それに関してはバートンが尻拭いしたと聞いていたが?

 まさか、お前、一度ならず、肩代わりして貰った後も変わらずに豪遊していたのかっ?

 しかもツケだけじゃなくて着服もしていただと……?」


 マルティスのその言葉を聞いて、彼に向かって低い声を出してきたのはウィリアムお兄さまだった。


 その言い方だと、ウィリアムお兄さまは、マルティスの普段の素行などを詳しく把握していたように思えて、私はそっちにびっくりしてしまう。


【あ、でも、確か……。

 今日のパーティーの時、バートンさんとの遣り取りでウィリアムお兄さまがマルティスをパーティーに連れてきたバートンさんに対して眉をひそめていたよね】


 彼の普段の素行を知っていたのなら、あの時お兄さまが珍しく嫌悪感のようなものを出していたのも頷けた。


「あー、そうっ、そうですよっ……。

 借金でとうとう首が回らないようになってしまって、医療金として国から給付されている備品や医療器具などを買う為の補助金に、手をつけたのを、何処で知ったのか仮面の男は言うことを聞かないとそのことをバラすと私を脅してきたんですっ!」


 そうして、へらへらっと薄ら笑いを浮かべたあとで。


 もう、どうにでもなれとでも言うように。


 半ばやけくそ気味に開き直って、此方に向かって声を出してくるマルティスに……。


【とてもじゃないけど擁護なんて欠片も出来ない程にどうしようも無い人だな……】


 と、私は思う。


 彼のそんな姿を見て


「何をへらへらと笑っているんだっ!

 お前は、自分の仕出かしたことが分かっているのか!?」


 と、騎士達の鋭い視線が向いて。


 彼を押さえつけるその力が強まってマルティスの口から『ぐぅ……っ!』というくぐもった声が溢れ落ちるのが聞こえてきた。


「それで、接触してきた仮面の男とやらは、おおよそどれくらいの年齢だったんだ?」


「……っ、仮面で顔は隠していて声の雰囲気から大体の年齢しか分かりませんが。

 恐らく10代後半から20代前後だと思いますよっ。

 仮面は最初に会った時はシンプルな物でしたが、次に会った時は仮面舞踏会などで貴族が使用しているような品の良さげな物に変わっていました」


「……ふむ、ということは、今までに何度か仮面の男からの接触があったということだな?」


 マルティスの言葉に対し冷静にお父様が声をかけると……。


 話の流れで、不要な言葉を口走ってしまったと、マルティスが焦ったように『……あっ』と間抜けな声を出して、きゅっと口をつぐんだのが確認出来た。


【……基本的には、こういうはかりごとをするのには向いてない人なのだろう】


 誤魔化すことに関してはかなり下手くそで、直ぐにボロが出てしまうタイプなのだと、少ししか関わっていない私ですら察することが出来る。


「マルティス、お前のその言い回しだと今回だけじゃないな?

 何度か仮面の男から接触があり、お前は自分が犯した罪の発覚を恐れて。

 仮面の男からの依頼を複数これまでにも受けていた。……違うか?」


 お父様の核心を突いた問いかけに、マルティスがごくりと喉を鳴らすのが聞こえてくる。


 何も言わずとも、その態度で彼が複数の事件などに関わっていて、これまでにも色々な犯罪を犯してきたのだろうということが窺えた。


「それに、今の段階で分かっているお前に容疑がかかっている事件はもう一つある。

 まだ、容疑の段階ではあったが、囚人が複数人食中毒と思われる症状で死んでしまった件。

 他にも余罪は山ほどありそうだが、これからお前の犯した事については洗いざらい吐いてもらうぞっ」


 そうしてお父様が、マルティスにそう言ったことで……、囚人が複数人死んでしまった事件に関してもマルティスが関わっていたのかと、私は驚愕に目を見開いた。


 確かに、あの件に関しても、アルがお兄さまに、テングタケモドキという植物が使われていて、医療関係者なら毒物を手に入れやすいだろうと言っていたけれど……。


【でも、今の話を聞く限り、マルティスは自分で用意した毒物ではなく、仮面の男に小瓶を渡されてそれを使っていたんだよね……?】


 ――それとも、囚人の件は、マルティスが自分で毒物を用意したんだろうか?


 一日で色々なことが起こりすぎて、何が何だか本当によく分からないし。


 とてもじゃないけど、その全体図を掴めたとは言い難い結末だったけれど……。


 それでも確実に今の段階ではっきりしていることは……。


 マルティスの言っている仮面の男が、ということのみだ。


 その人の正体を突き止めないことには、事件の全容ははっきりしないだろう。


【……私のことを、そんなにも嫌っている人なのかな……?】


 ――それとも、その仮面の男も誰かに頼まれて動いている人だったりする?


 私自身はその人に覚えなんて欠片もないし。


 その後ろに誰かいるのかと言われても、パッと直ぐに思いつく人間というか……。


 私の事を嫌っている人なんて山のようにいるから、確実にだと候補を挙げることすら出来ないのだけど。


【それに、巻き戻し前の軸でもこんなことは起こらなかったし……】


 何か良からぬことが私の周りで渦巻いているような状況に、注意はしなければいけないと分かっていながらも……。


 巻き戻し前の軸とは明らかに違う事が立て続けに起きていることに一抹の不安を覚えて、私は騎士に『立て』と言われて、連行されていくマルティスの後ろ姿をただ見ることしか出来なかった。