毒を混入していた犯人が分かり、事件が解決したことで、ここまで拘束されて残っていた数人の貴族もお父様の号令の元、解放されることが決まり。
彼らが帰ったことで、私のデビュタントは完全にお開きとなった。
「……つ、疲れ、たっ……」
「アリス様、お帰りなさい……っ!
パーティーでのこと、本当に大変でしたね?」
残っていた貴族の人が帰るのを見送ったあと、お父様達と別れ、セオドアとアルと一緒に私が自室に戻れば、部屋で待機してくれていたローラが鏡台前に置かれている椅子に座るよう促してくれて、私の髪の毛のゴムを外し、櫛で丁寧に髪を解いてくれる。
「うん、でも、今日中に解決して……。あまり大事にもならず、犯人が分かって本当に良かったよ」
ベッドにダイブして、このまま眠ってしまいたい気持ちを必死で堪えながら、私が声を出せば、ローラもアルもセオドアも、凄く難しい表情を浮かべながら私の方を見ていて……。
「……?」
それを私が不思議に思うその前に……。
「ですが、犯人が分かったと言っても今回の犯人は誰かに脅されて毒を混入していただけで、計画を立てた主犯は捕まってはいないことを思うと、この先も何か良からぬことをしてきそうで……」
と、ローラから続けて心配そうに言葉がかけられて……、私はこくりと、頷いた。
「うん、そうだよね……」
進展があったと言えば、進展があったし。
新たな謎が出てきて、何も解決していないと言われれば何も解決していないようにも思える。
――それでも、たとえ三歩進んで、二歩下がったとしても、一歩分は確実に前に進んでいるんじゃないかな?
お父様もマルティスに対してこれから厳しく尋問してくれると思うし、私自身が何かを出来る訳ではないから、彼の証言から色々なことが徐々に明るみになっていくことを願うしか出来ないのはもどかしいところではあるけれど……。
「心配してくれてありがとう、ローラ。
でも、今気にしていても、仕方の無いことも多いし。
これからお父様がマルティスの尋問をしてくれて分かってくることもあると思うから……」
なるべくローラに心配をかけないように『大丈夫』だと言うように、ふわっと笑みを溢しながら声をかければ、ローラも心配そうな表情を崩すことはないものの、私の言葉に同意するようにこくりと頷いてくれる。
「それと、アルも本当にありがとう。
今日、アルがお父様に協力してくれたお蔭で、事件解決も凄くスムーズだったよ」
そうして、改めてアルに対しても今日のお礼を伝えると。
「うむ。だが、裏で動いているような人間がまだ捕まっていないことを思うと……。
ただでさえ、お前も途中で体調が悪そうにしていたのにこんなことに巻き込まれたとあっては、手放しに喜べぬであろう?」
と、声をかけてくれた。
「ううん、大丈夫。
……それに全部が全部、悪いことばかりでも無かったから。
セオドアやアルが要所要所でパーティーの間も私のことを助けてくれて……。
私のデビュタントも完全に失敗に終わった訳じゃなくて、私に対して普通の視線を向けてくれるような人もいるって分かったし、二人が傍にいてくれるだけで凄く心強かったよ」
『本当にありがとね』
と私が声を出すと、アルもセオドアも私に優しい表情を向けてくれた。
巻き戻し前の軸と比べれば、少しでも私のことを思ってくれるような人がポツポツとでも出てきているというだけで全然違うと思うし……。
確かに終わり方はあんな風になってしまったけれど。
それまでは、私にしてみれば、かなり順調に進んでいた方だと思う。
【以前、テレーゼ様に前に言われた皇族として立派な振る舞いが出来ていたかどうかは自信がないけれど……】
それでも、色々な場面でアルやセオドアに助けて貰いながら……。
私が特別何か問題になるようなことをした訳でもなく、パーティーを終えることが出来たのは良かった点だろう。
特にお父様と親しい貴族に関しては私自身のことを結構好意的な視線で見てくれるような人も多かったし……。
令嬢や夫人などとは、洋服とかのデザイン関係で声をかけてくれて親しくなれたような方もいたことを思うと。
【決して、100点満点とは言えないけれど、悪くはなかったんじゃないかな】
目に映る全てが敵だった、巻き戻し前の軸と比べれば……、本当に大分、色々なことが好転していっていると思う。
一気に全部が良くなっていく訳でもないし、前と比較して緩やかにではあるものの、それでも確実にちょっとずつ何か少しでも変えることが出来ればそれでいい。
それに、捻くれたような言い方ではあったものの、ギゼルお兄さまからは謝って貰えたりもして……。
どうなることかと緊張して迎えたパーティーにしては良い方向に驚くようなことも沢山あった。
どうしてもマルティスが起こした事件のことの方がインパクトが強くて印象に残りやすくなってしまうけれど……。
【決して悪いことばかりではなかったはずだよね……っ】
私が頭の中で今日のパーティーの良かったことを思い返していると。
「失礼します」
と、声をかけてくれて、私の部屋に入ってきてくれたエリスがミルクティーを鏡台の上に持ってきて置いてくれるのが見えた。
「ありがとう、エリス」
カップから、ふわっと香るミルクの優しい匂いが、疲れた身体を癒やしてくれるようなそんな気がして……。
エリスに向かって、声を出してお礼を伝えれば。
「いえっっ、アリス様。
……私にはこれくらいしか出来ませんが、いつでもお声かけ下さい」
と、丁寧にお辞儀をしたあとで、ふわりと笑いながらそう言ってくれるエリスに。
【最近のエリスも、私に対して、気を遣ってくれていることも多くなっている気がするし。
本当に私の周りにいる人達は、誰をとってもみんな、揃いも揃って私に対してどこまでも優しくしてくれて、いつも甘やかして貰ってばかりだな……】
と、内心で思う。
――その優しさに、いつだって。
本当に救われているから……。
私もみんなに同等か、もしくはそれ以上のお返しをしたいのだけど。
きっと、受けた分の優しさを、私が一生懸命に返している間にも、セオドアやアルやローラ、それからエリスも、私に向けてくれる優しい感情は、全然、変わらないだろうから……。
【それだと、一生貰ってばかりで、ちゃんと返しきれないような気がする】
頭の中で、そう思いながら……。
ホッと一息、エリスが持ってきてくれたティーカップに口をつければ、まろやかなミルクがアールグレイと混ざりあって深いコクを出しているのが分かる。
いつからか、ローラ特製のミルクティーを、エリスも完全にマスターしてくれていたみたいで……。
私の好きな味わいというか、好みに関しても何も言わないのにしっかりと覚えていてくれていて、肝心な時には、こうやってお願いをせずとも出してくれる現状に、本当に有り難いことだな、と思う。
だからこそ……。
【私に対して、何かをしてくる分には問題ないけど……。
もしも周囲にいる人達を傷つけるようなことをされてきたら凄く嫌だな】
と、思ってしまうのは、きっと今、私の部屋の中に広がっているこの温かな空間が私にとっては何より大切で、無くしたくないものだからだろう。
セオドアもアルもローラもロイもエリスも傍にいてくれて、たまに、ウィリアムお兄さまとルーカスさんが来てくれる今の日常が……。
私にとっては当たり前のようになってしまっているからっていうのもあるけれど。
巻き戻し前の軸が割と誰からも興味も持たれないような最底辺の状況だったからか。
今までは、誰かに期待するようなことも無かったのにな……。
【大切な人や物が自分の中で増えていく度に、自分の中で、失いたくないという気持ちみたいなものが大きくなっていっているような気がする】
ジッと、手元のカップの中でゆらゆらと揺らいでいる薄茶色のミルクティーを眺めていたのを不思議に思ったのか……。
「……姫さん?」
と、セオドアに声をかけられて、ハッとする。
「何でもないよ」
と、咄嗟にふわっと取り繕って笑顔を作ったけど、何となくセオドアの表情が厳しいままだったので、多分取り繕ったのはバレちゃってるだろうなぁ、と思いながら私は苦笑した。
今はまだ、私の傍にいてくれている人達に何か明確な
それでも今日みたいに“私自身”を狙わずに、私の身近にいる誰かがターゲットにされてしまうようなことも起こりうるだろう。
そう思うと、目に見えないような恐怖みたいなものが、じわじわと心の弱い所に広がっていって、途端に浸食し始めてくるような気がしてくる。
【その時、私は、ちゃんとみんなのことを守れるだろうか】
頭の中に浮かんできた自問に……。
【守ることが出来なければ、こうして私が二度目の人生を歩んでいる意味がない】
と、自答する。
巻き戻し前の軸で、私を守るために倒れてしまったローラのことを思うと。あんなことはもう二度と、繰り返してはいけないと、何度も何度も頭の中で決意をしてきたことだから。
【大丈夫。
ちょっとだけ、私の目の前で倒れてしまった人を見て……。感傷的になってしまっているだけだ】
きっと、大丈夫……。
心の中で何度も言い聞かせてしまうのは、思った以上にやっぱり今日のあの事件のことを引きずってしまっていて……。
目に見えないダメージみたいなものが蓄積されてしまっているのだろう。
あの貴族が目の前で倒れてしまったのを見たから不安が湧いてきただけ。
だけど、やっぱり、自分じゃなくて。他の誰かが傷つけられてしまうことの方が、辛いから……。
この先も、もしも誰かが私を貶めようとしてきても。
【私を嫌っている人間の矛先は、ただ
って、思ってしまう。
「慣れないデビュタントで、ちょっとだけ疲れてしまっただけだと思うから、少し休んだら大丈夫だと思う」
私のことを心配そうに気にかけてくれるセオドアに、自分の内心を悟られないように、疲れたということを強調して声を出す。
セオドアは優しいから、きっと私のその言葉を優先させてくれるだろうと分かっていて出したその言葉は……、ただ、弱い自分を押し隠すための卑怯なものでしかないということは分かっている。
でも、開かれる筈の無いデビュタントが開かれたり。
ウィリアムお兄さまやギゼルお兄さま、それからお父様との関係の変化などで、既に私が知っている状況からは、大きく
だからこそ、これから来るかも知れない、いつ降りかかってくるかも分からない脅威は、巻き戻し前の軸で未来を見てきた私にもどんなものが来るのか全く予想がつかないもので……。
その一つ一つに、私が必要以上に不安がっていたら、みんなに心配ばかりかけてしまうだろう。
虚勢でもいいから、強くならないと……。
不安な表情を出すくらいなら、凜と背筋を伸ばして立っていたい。
周りの人を守るって決めて、今世をやり直している以上は、特に。
とりあえず、今日このあと、みんなが私の部屋から出てくれたら、デビュタントで挨拶に来てくれて覚えた貴族の顔と自己紹介をして貰った内容を、ハーロックが用意してくれていた資料と合わせて……。
より正確に一致させるような作業はしておいた方がいいだろう。
今日のデビュタントでこの人は要注意人物だなって思って名前を覚えておいた人は特に。
【取れる対策がそれくらいしかないのなら、今自分にできることは精一杯やっておくべきだよね】
私を逃がそうとしてくれたローラが斬りつけられてしまったあの日のように……。
――後悔なんて、もう二度としたくないから。
未来の為にもう一踏ん張り頑張ろうと決めて、私は未だ心配そうな表情を浮かべて此方を見てきてくれているセオドアに今度はちゃんとした笑顔を向けた。