「バートン、来ていたのか」
ウィリアムお兄さまが、目の前にいる老紳士風の人のことを名前で呼んだのが確認出来て、私は思わず、きょとんとしてしまう。
「……あの、お兄さまのお知り合いの方ですか?」
「あぁ、俺とギゼル……それから母上の担当医だ」
はっきりと、ウィリアムお兄さまが、そう口に出したことで、目の前のスーツを着たお年を召した方がお医者さんなのだということが私にも理解出来た。
こういうパーティーの時は、貴族の人のみならず、著名人や、ある程度地位のある人は参加していることがある。
例えば、私がジェルメールのデザイナーさんと、ジュエリーのデザイナーさんを招待したように……。
お兄さま達や、テレーゼ様の担当医をしている方ならば、地位も名誉もある程度確立されている人だろうし、今回の招待客のリストに入っていても何ら可笑しいことではないだろう。
ということは……。
此方へと柔和に笑いかけてくるその人の後ろに、付き従うように立っている数人は、彼のお付きの医者なのだろう。
彼らも含めて全員が皇宮で働いている医者ならば、巻き戻し前の軸、ロイがいない時に、私の体調を診にやってきた医者もこの中にいたとして、何ら可笑しなことではなかった。
私が、バートン先生の後ろにいる人に気を取られていると……。
「はい、殿下。
どうやら、私も招待客のリストに入れて頂いたようでして。
このような機会に参列させて頂き、光栄です。
……皇女様、この度はデビュタントおめでとうございます」
と、バートン先生から声が掛かって、ハッとした私は慌てて頭を下げて声を出す。
「あ、ありがとうございます。……バートン先生」
「先ほどの振る舞い、とてもご立派でした。
……ですが、重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが。
今、貴女の騎士の振る舞いを注意されないのは、些か問題ではありませんかな?」
お礼を伝えれば、少しだけ困った様な表情を浮かべたあとで。
やんわりと注意するように、そう言われて、私は内心でドキっとする。
「……もしかして、セオドアが、ルーカスさんに敬語を喋らなかったことでしょうか?」
セオドア自体、そんなに声も大きくなくて、よっぽど聞き耳でも立ててないと聞こえないくらいの音量だったし。
お兄さまやルーカスさんも普段通りで、セオドアの言葉遣いについては許容してくれていたから、大丈夫だと思っていたのだけれど。
バートン先生の耳には入ってしまっていたのだろうか。
確かに、普段通りのルーカスさんとの遣り取りで私達はセオドアのその対応に慣れてはいるけど、聞かれようによっては
「……っ、俺の振るまいが、問題、だったのならば、謝罪します。
ルーカス、……様、申し訳ありませんでした」
私に向かって声を出してくるバートンさんに、セオドアが即座に対応して謝罪してくれる。
それに対して、何とかしようと私が声を出すよりも先に。
「ふむ。
……それは、可笑しな話だな?
医者よ、お前が言っていることは確かにセオドアが敬語を使わなかったという意味では間違ってはいないが……。
ルーカス自身も、アリスやウィリアム、それから第二皇子にも敬語とやらは使っていない。
お前の言う振る舞いというのが、どれ程、問題なのか分からぬが。
さっきの僕達の会話を聞いて、非難してきているのであれば、ルーカスも問題視されて然るべき案件であろう?」
と、アルがはっきりとバートン先生に伝えてくれた。
「……っ! い、いえっ、ですがっ! エヴァンズ家の御子息である、ルーカス様は日頃から、殿下とは親しくされている間柄……。
騎士という立場と侯爵家の御子息では立場も違いますし、当然、その言葉遣いも許されて……」
「ふむ、親しいというのならば、尚更。
過ごした歳月の違いはあれど、僕達も日頃からウィリアムや、アリスとは親しくしているが?
……一体、それのどこが違うというのだ?」
アルの言葉を聞いて、一瞬だけ戸惑った様子のバートン先生は……。
けれど、その後、立ち直ったかのように、つらつらと、言葉を繋いできた。
それに対して、アルがきょとんとしながら、本当によく分からないという表情で、素朴な疑問として、言葉を出すものだから……。
バートン先生は、『ぐっ……』と、言葉に詰まり、それ以上、どう言葉を出して良い物なのか分からないとでもいうように、押し黙ってしまった。
アルが“お父様預かり”の子供だということは、お父様自身がアルの正体を隠すために積極的に周囲に情報が流れるようにしているため。
広く一般的にも、私達と同等の“特殊な立ち位置にいる子供”として、その身分などは確立されている。
だからこそ、バートン先生もアルに対してどのように言葉を出せばいいのか、分からなくなってしまっているのだろう。
「……あー、そうですね。バートン先生。
確かに“
俺たちの年齢が近いこともあり、気兼ねなく喋れる友人同士の会話に慣れていて。
誰が聞いているかも分からないこの場で普段の言葉遣いで喋ってしまったことを申し訳なく思います」
そうして、ルーカスさんが、普段絶対にその呼び方をすることはないのに、アルのことをアルフレッド様と呼んで、自分も悪かったと、謝罪してくれたあとで。
此方に向かって視線を向けて安心させるように私にだけ見えるよう、ウインクをしてくれた。
その配慮に、内心で安堵しながらも……。
「ご指摘、ありがとうございます。
……私が私の騎士に普段から、近い距離で接して貰うことを望んでいるため、私の騎士は私と接する時はその意図を汲んでくれていて……。
そういった状況も含めて、お兄さまやルーカスさんとも普段から親しくしているので……。
他の方から、どのように見られるかなど、もう少し私自身も考えて行動するべきでした。……本当に申し訳ありません」
と、バートン先生に謝罪する。
嫌味っぽい言い方ではなかったから、本当に、セオドアの言葉遣いについて、皇宮で働く者として注意をした方がいい、と思われただけなのかもしれない。
だとしたら、私のこの言葉で引いてくれるだろうか、と期待して声を出せば、バートン先生も、それ以上深く突っ込みをいれるようなことはせず。
「……そうでしたか。皇女様、それは失礼致しました」
と、此方に向かって声を出してくれる。
「あぁ、それに俺にも非がある話だしな。
誰かが話を聞いているとは思わず、つい普段通りに接していたのは俺も同じだ」
「いえっ、ウィリアム殿下……。
そのようなことはっ、決してっ」
そうして、ウィリアムお兄さまが、バートン先生にフォローするようにそう言ってくれたことで。
ちょっとだけ張り詰めていたこの場の雰囲気がそっと穏やかな物へと変わっていくのが分かった。
「それよりバートン、お前の後ろにいる人間……」
その事に私がホッとしていたら、ウィリアムお兄さまが話を逸らすようにバートン先生に向かって声を出してくれる。
「えぇ、今日は私が招待されていただけなのですが。
参加する際には、数人、同行者を連れて来ることは許可されているでしょう?
ですから、私の弟子を引き連れてきました」
「……このような場にか?」
そうして、バートン先生の言葉に、少しだけお兄さまの眉が顰められ、急に怒ったように低い声になるのを不思議に思いながらも、その理由が分からない私はその動向を見守ることしか出来ない。
【ウィリアムお兄さま、急にどうしたんだろう……?】
「えぇ、殿下の意図をしっかりと汲めているのかは……。
あの日、詳しいことを教えて貰えなかった私には分かりませんが。
もしも、殿下が何かお調べになっているようなことで、何か掴めるようなことがあればお手伝いをさせて頂きたいと、このような場だからこそ、と思いましてな」
私には、その遣り取りの意味が全く理解出来なかったけれど。
お兄さまが低い声を出した意味がバートン先生には明確に分かっているのだろうか。
どこか含んだような口ぶりでお兄さまと会話するバートン先生に、その言葉に納得したのか、『……無用な気遣いだ、バートン』と小さく溜息をついたあとで……。
「先日、会った以来だな、マルティス」
と、お兄さまがバートンさんの後ろにいる数人のうち一人に声をかけるのが見えた。
お兄さまにマルティスと呼ばれた医者は、一瞬だけびくりとその肩を揺らし……。
「は、っ、はい、殿下……。
先日は、そのっ……お声をかけて頂き……あ、ありがとうございました」
と、どこか緊張したような面持ちで、慌てたように声をあげる。
【マルティス……】
巻き戻し前の軸で、ロイの代わりに私の体調を診てくれた医者……。
その人の名前を図らずも、こんな所で知ることになって、私は驚きながらも、ちゃんとその名前は覚えておかないといけないかな、って。
きちんとインプットできるよう、何度かその名前を繰り返し、心の中で反復させる。
もしかしたら、今後ロイがいない時に私の体調を診に来たりしてくれた時に、また誤診とかをされる可能性も無い訳ではないし……。
例え本人に悪気がなかったとしても、一応、あまり腕の立つような人じゃないという認識は持っておいた方がいいだろう。
【……っていうか、さっきから、なんでこの人、ちょっと怯えたような雰囲気を見せているんだろう?】
――もしかして、お兄さまと何かあったのかな?
さっきの、バートンさんとお兄さまの含みのあるような遣りとりも凄く気になるし。
私が、色々と目の前のマルティスとお兄さまの関係に思考を割かれていると。
「随分賑やかなことだが。
……そなたたち、一体、何の話をしているのだ?」
たった、一言だけど、ハッキリとした声色で、その場の空気をガラッと変えるような声がその場に響き渡る。
振り向けば、テレーゼ様が私達の方へと近づいてきて、此方にむかって
「母上。
……いえ、バートンが俺たちに声をかけてきたので、少し話をしていただけです」
ウィリアムお兄さまが少しだけ素っ気ないとも取れるような雰囲気でテレーゼ様に声をかけると……。
テレーゼ様は、ウィリアムお兄さまに視線を向けたあとで、バートン先生、それから、マルティスさんも含んだその後ろにいる医者の人達に視線を向けて、私達の方へと、ゆっくりと視線を動かしてくる。
「ふふっ、私の担当医であるバートンと話した所で、そなたの面白いと思うような話など、何もないであろう? アリス、退屈ではなかったか?」
そうして、最後、私に視線を向けてくれたテレーゼ様は、私に向かって、気を遣うようにそう声を出してくれた。
私達の話を最初から聞いて無かったテレーゼ様は、お医者さんの専門的な話をバートン先生が私達に話していると勘違いしたのだろうか……?
「いえ。
……お兄さまの担当医でもある方と、こうしてお知り合いになれただけでも良かったと思います」
どう言ったらいいのか、悩んだ末、当たり障りのないことを言う私に対して。
テレーゼ様が、ふわりと笑みを溢しながら、口を開きかけたその瞬間……。
ざわっ! っと、辺りがざわついたのが分かって、そちらに視線を向ければ……。
カシャンと地面に落ちたワイングラスが、割れるような音がその場に響き渡り……。
「……っ、ぐっ……ぅ……」
私達とは別の飲食が置いてある所にいた30代くらいの男の人が……。
胸を押さえながら、呻くような声を出し、倒れ込んでいるのが目に入ってきた。
一瞬だけ、何が起きているのか分からずにシーンと水を打ったように静まり返った会場内で。
「……っ、バートンっ! 急患だっ! 急げっ!」
咄嗟のことに、直ぐに声を出したのは、ウィリアムお兄さまだった。
「……っ! 承知しましたっ! ウィリアム殿下っ!」
ウィリアムお兄さまの的確な号令で、バートンさんが急いだようにウィリアムお兄さまと一緒に目の前で苦しんでいる貴族の方へと駆け寄っていく。
一体、何が起こったのか……。
直ぐには把握出来なかったけれど……。
一拍遅れて、状況が分かっていくに連れ、弾かれたようにハッとして。
何か出来ることがないかと、慌ててウィリアムお兄さまの後を走ってついていこうとして……。
私が走り出した瞬間……。
「……お姫様っ!」
と、パシッと自分の腕を握られて、私は振り返る。
「……っ、もしかしたらっ。
……君は、見ない方がいいかもしれないっ」
多分、私の年齢のこととかも考えて配慮してくれたのだろう。
咄嗟にそう言ってくれたルーカスさんに、私はルーカスさんの目を真っ直ぐに見つめて首を横に振った。
「私のデビュタントで起きた問題ですっ。……当然、私にも責がある可能性もありますし。
何か出来ることがあるのなら、私もお役に立てることはするべきだと思います」
急いでいながらも、しっかりと、自分の意思をルーカスさんには伝えることが出来たと思う。
私の発言に、ルーカスさんは驚いたような表情を一瞬だけ浮かべたあとで、私の腕を持つ、その手の力をそっと緩めてくれた。