私がお兄さまに向かって、アイスかホットかを聞いたのは、グラスかティーカップかで、違いがあるからだったのだけど。
結局、ギゼルお兄さまは『これでいい』と、手に持っていたの空のグラスを、そのまま飲み物を入れるのに使うことにしたみたいだった。
「俺は、このベリー系の奴にしよう。……殿下は?」
「俺は、普通にアールグレイでいい。
……というか、お前は本当にいつも変わったものを手に取るよな?」
「えー、だってさ、こういうパーティーの時じゃないと変わった飲みもの飲めないじゃん?
しかも、皇族主催のパーティーだなんてさ。
……自分の見識を広げる為にも、滅多にお目にかかれないような飲み物があれば迷わずそれを手に取って飲むことにしてんだよね、俺は」
「……?
ルーカスさんは、変わった飲み物があったら、それをいつも選ぶんですか?」
ギゼルお兄さまが、どれにしようか悩んでいる間に、ルーカスさんとウィリアムお兄さまは比較的、あっさりと自分の飲みたいものが決まったみたいだった。
ルーカスさんが選んだのは何種類かのベリーがミックスされて、牛乳を使って混ぜ合わせたような飲み物で、どちらかというなら、男の人というよりも、貴族の令嬢とかが好みそうな飲み物だった。
ウィリアムお兄さまの呆れたような言葉に、にこにこと笑いながらルーカスさんが言葉を返しているのをみて、私も不思議に思って問いかける。
「うん、まぁね。
……本当に世の中、いきなり何が流行るかも分かんないからさ。
たまたま、どこかのパーティーで出された物が、ある日突然、人気になったりするんだよ。
そういう世の中のトレンドみたいな物は抑えておかなきゃ、ほら、俺たち貴族は資金繰りとかもしなきゃいけないし、領地もさ、領民を飢えさせる訳にはいかないし、ある程度潤沢にしなければいけないじゃん?
安いときに、色々仕入れておいて、流行りに合わせて売れ筋の商品をある程度の値段で出したりとかさ……」
私の素朴な疑問にも、嫌な顔を一つ見せずに、にこやかに説明してくれるルーカスさんに。
【商人みたいなことを言ってる……っ!】
と、思いながらも……。
確かに領地のことも考えたり、貴族の人でも経営しているブティックやレストランなんかもあったりするし。
そういう意味で流行り物をいち早く取り入れたりしなければいけないというのも理解出来る。
……そういえば、前にウィリアムお兄さまが、エヴァンズ夫人のことを……。
【エヴァンズ夫人は社交界の顔と呼ばれている人物だ。
高貴な佇まいは勿論のことだが、気品があって、センスもいいと言われていて。
こと社交界においては、流行を作るのに一役買っている】
って、凄く褒めてたなぁ。
エヴァンズ夫人のセンスや、流行に敏感な長所を、ルーカスさんもしっかりと受け継いでいるのだろう。
それに前に、ルーカスさんが選り好みもせずに誘われたパーティーに片っ端から出向いていくって言っていたのも。
あの時はルーカスさん自身は、『人間観察が好きなだけ』みたいな感じで言ってたけど、日頃から流行などをいち早く抑えておくために、たゆまぬ努力をしていることの証なのかもしれない。
「エヴァンズ夫人も、センスがいいって、前にお兄さまが教えてくれましたし。
本当に、エヴァンズ家の皆さんは流行には敏感というか、日頃から、トレンドをしっかりと抑える努力をされているんですね」
私がルーカスさんに向かって言葉を出せば、ルーカスさんも私の言葉にこくりと頷いて肯定してくれる。
その姿は確かにいつも通りのルーカスさんだったんだけど……。
「あぁ、確かに。
……うちの母親はその典型みたいな感じだよね。
でも、それを言ったらお姫様もさ。
……流行やセンスに関してはその目は良い物を見極めることに長けていて、確かなものじゃない?
今日のドレスに関してもあちこちで、お姫様のセンスを褒め称えるような声が上がってたよ。
それって、ジェルメールの新作でしょ?」
「あ、ありがとうございます。
そうなんです。
ジェルメールのデザイナーさんにイメージを伝えて作って貰って」
「うん、本当に凄くよく似合ってる。……うちの母親も今日、ここに来ることが出来てたら、目を輝かせて喜んだだろうね」
ふわっと此方を見ながらも、どこか遠い所を見ているような顔をして、笑うルーカスさんに。
――どうしてかは分からない。
なんだか、焦燥感にも似たような、変な違和感を覚えて……。
「あ、でもそう言えば、前にジェルメールのデザイナーさんの一日をエヴァンズ家に貰うことが出来たって言ってましたけど、夫人はドレスか何かを注文されたんですか?」
【とりあえず、何か話題を続けて話さなければいけない】
と……。
今、此処にいる筈なのに。
なんだか、ルーカスさんが何処か遠い場所へ行ってしまうような気がして、私は慌てて自分の頭の中で振り絞って思いついた話題を口に出した。
以前、御茶会の件で私に謝罪に来たルーカスさんが、私がジェルメールに行く代わりに、デザイナーさんの一日をエヴァンズ家に貰えたと言っていたことを、思い出して……。
何となく、聞いてみたことだったんだけど。
「……あー、いや。うちの母親は直接ジェルメールのデザイナー、マダムとは会ってないよ。
ほら、さっき陛下にも話したけど、身内の事でごたごたしてたから。
どんな物を作って貰うのか、遣り取りしたのは、俺なんだけど……。
でもね、マダムにはとても良くして貰って、作って貰ったものも、凄くいい出来でね。
本当に、母親共々、俺もだけど、お姫様には感謝してる。
……あの日、俺に付き合ってくれて本当にありがとね」
私の問いかけに、ふわっと此方を見て笑いかけてくれるルーカスさんを見て、思わずびっくりしてしまった。
【だって、ルーカスさんの
いつも優しいし、紳士的で、凄く穏やかだし……。
私に接してくれるときは笑っているイメージが強いけど。
でも、明らかに、普段とは違う、っていうことが、その笑顔から、伝わってくる……。
上手く言えないけれど……。
普段は感じる、
無意識に作られた壁みたいなものが、どこにも感じられないっていうか……。
【エヴァンズ夫人がジェルメールで何かを作って貰って喜ぶのは分かるけど。
ルーカスさんも、喜ぶようなことなんだろうか……?】
確かに、アルやセオドアの服を作ってもらったように。
最近、メンズ服にも力を入れているジェルメールのデザイナーさんだから、ルーカスさん自身も何かを作って貰ってても全然可笑しくはない話なんだけど。
でも、胸の中にそっと、見えないしこりみたいな、もう少しで理解出来そうなのに、決して届かないような……。
パズルのピースが最後の一欠片、揃わなくて混乱してしまうみたいな。
そんな不思議な感情が湧いてくる。
ルーカスさんの言い方だと……。
【(エヴァンズ夫人が)身内の事でごたごたしていたから、どんな物を作って貰うのか遣り取りしたのは俺なんだけど……】
っていうこと、だよね?
当然、そこには、エヴァンズ夫人が忙しくて応対できないから、ルーカスさんが代わりにデザイナーさんと遣り取りしたっていうニュアンスが乗ってくる。
だから、この言い方だとルーカスさんの物を作って貰った訳じゃないような気がする。
じゃぁ、夫人の物だろうか、って言われたら何となくそれもしっくりこなくて……。
まるで。
そう、まるで……。
――自分じゃない誰かの為に、その人のことを想って、作って貰ったみたいな……
そこまで、考えて、ハッとした。
文字通り、ルーカスさんでも、夫人でもなくて、別の第三者……。
誰かの為を想って、ジェルメールのデザイナーさんに何かを作ってもらっていたとしたら……?
【そして、その人は、ルーカスさんの表情をこんなにも優しく変えることが出来るひと……?】
私が、ルーカスさんのその表情に何も言えないで、固まっていると……。
「オイ、ルーカス。
……お前、いつまでアリスと2人で喋ってるつもりだ?」
「あら、いやだわっ。
……殿下ったら、そんなにも俺と話したかったの?
それならそうと早く言ってくれれば、いつでもこの俺がお相手しましたのに」
「……ふざけるなよ?」
急に、ウィリアムお兄さまから声をかけられて、私の意識が現実にそっと引き戻される。
ウィリアムお兄さまに言葉をかけられたそのタイミングで、ルーカスさんがおどけたように口調を変えて……。
どこかの令嬢の物真似をしているみたいに、お兄さまに向かってにこやかに声を上げるのが見えた。
まるで雲みたいにふわふわと、人にその輪郭を掴ませないような感じに変わっていくその姿に。
――あ、違う……。
これは、変わったんじゃなくて、“
「あ、ウィリアムお兄さま、ごめんなさい。
私がルーカスさんと話していたせいで。
何かルーカスさんにお伝えしたいことが……?」
「……いや、違う。
……別にお前は悪くない」
「……??」
ウィリアムお兄さまがちょっとだけ不機嫌そうな表情を浮かべていることに、それが一体どういう意味を持つのか読み取れずに困っていたら。
「うむ。
ルーカス、アリスと二人っきりで話しているのは良くないぞっ!
折角、この小僧との仲を深める良い機会なのに、お前がアリスの事を独占してどうするのだっ?」
と、アルから年長者らしい真っ当な意見が飛んで来て、私は納得したあとで、反省した。
【確かに、ウィリアムお兄さまとルーカスさんが折角作ってくれた機会なのに、ギゼルお兄さまと話さずにルーカスさんとばかり話していたら良くないよね】
そもそも事の発端はルーカスさんに話しかけた私に非がある話で、これに関しては、ルーカスさんはハッキリ言って、とばっちりだろう。
私が一人で、そのことを申し訳ないなぁと思って……。
「ごめんなさい。私がルーカスさんに喋りかけたから……」
と、伝えれば……。
ウィリアムお兄さまも、ルーカスさんも。
……なぜか、セオドアまでもが。
何となく、『そうじゃない』って言ってるような視線を向けてきて、私は混乱してしまう。
【……私がよく分からないだけで、もしかしたら他に何か、意味があるのかな?】
「おい、もしかして、小僧って俺のことかっ!?
どう見ても、お前の方がよっぽど、俺より小僧だろっ?」
私が三人に気を取られていたら、ギゼルお兄さまからアルに対して突っ込みが飛んで来た。
「うん?
小僧に小僧と言って何が悪いのだ?
あぁ、言い方の問題かっ……?
ふむ、そうだな、僕が悪かった。謝罪しよう。
案ずるな、分かっているぞ。
お前のことは、
はっきりと、自信ありげに、ギゼルお兄さまに向かって声を出すアルに、そう言えば……。
【アリス、最近本を読んで、僕も異国の言葉を何個か覚えたぞっ!
ボーイだろう、ガールだろう? あとは、僕達精霊のことはフェアリーと言うそうだっ! 中々、洒落ているような言葉で、気に入った】
って、言ってたなぁ、と。
私は、最近本を読んで、以前よりも更に知識を深めた様子ではしゃいでいたアルのことを思い出した。
「いや、間違ってないけど……。
間違って、ない、けど、……ボーイ……?
俺よりも3歳も年下の人間に、ボーイ……?」
ギゼルお兄さまが愕然として落ち込んだ様子を見せているのを見ながら……。
アルは人間じゃなくて、精霊で、見た目は私と同じ10歳ですけど、年齢はこの場の誰よりも長生きしている年長者さんです……っ!
と言う訳にもいかなくて。
私はちょっとだけギゼルお兄さまのことが可哀想だなって思ってしまった。
何なら、私も巻き戻し前のことを考えると精神年齢は16歳なので、この場にいる誰よりも年が若いのはきっとギゼルお兄さまだろう。
もしも本当の事を知った時には、ギゼルお兄さまの自尊心を思いっきり傷つけそうだなぁ、って思いながら。
「ギゼルお兄さまは、飲み物オレンジジュースにされたんですね?」
と、別の話題に話を切り替えた方がいいかなって思って声をかければ。
「……っ、お、お前まで、俺のこと、子供っぽいとか思ってるんじゃないだろうなっ!?」
と、疑心暗鬼に駆られたお兄さまから、そう言われて、私は慌てて首を横に振った。
「いえ、その……オレンジジュース、いいと思いますっ。
あのっ、私も凄く好きですよ……?」
何のフォローにもなっていないかもしれないけど、何とか絞り出してそう言葉を出せば……。
「お、お姫様、タイミングっ。
……それ、多分、傷口に塩を塗ってる感じになっちゃってる、と思うよ……っ」
と、ルーカスさんからそう言われてしまった。
「……あ、あのっ、でも本当に、果物を使った飲み物は身体にも良さそうですし」
「オイ、折角姫さんがフォローしてんのに、傷口に塩を塗ってるとか言うんじゃねぇよ。
……空気読めねぇのか?」
「あぁ、アリスの言う通り、実際、果物を使ったジュースは確かに身体にいい。
特にオレンジにはビタミンCという成分が豊富に含まれているそうだ。
俺は専門じゃないから、詳しい所までは知らないが、近年、人間の身体にも必要不可欠な成分であることが分かってきているらしい。
糖を取り過ぎるのは良くないが、適度に飲むくらいならむしろ健康的といえるだろう」
色々な人が喋ってカオスな雰囲気になる中で……。
最後は真面目な表情をしたままの、ウィリアムお兄さまが、専門ではないと言いながら、医療っぽいことに関する知識で上手いこと纏めてくれた。
ウィリアムお兄さまの言葉だとすんなりと聞けるのか、ギゼルお兄さまの心の傷みたいなものはそれ以上広がらずにすんだみたいで、安心する。
――そこで、気付いた。
さっきから、お兄さま達との話に夢中になっていて周りが見えていなかったけど。
私達が、わいわいがやがやと、賑やかに喋っていたからか……。
結構、大勢の人から注目を浴びていた……。
中には貴族の令嬢の方達が、遠巻きに私の周囲を見て色めき立ち。
私を見ては、溜息をついたり、羨ましそうにしているのが目に入って。
確かにこの中に一人だけ、女である私がいると目立つよなぁって思ってしまう。
ウィリアムお兄さまも、ギゼルお兄さまも、ルーカスさんも、セオドアも、アルも、みんな、本当に容姿が整っているもんね……。
セオドアは目の色のこととかもあるから、何とも言えないけど。
ノクスの民であることとか、目の色のこととかを抜きにしたら、人気が出ても可笑しくない風貌だし……。
アルは、私と同じくらいの年齢だから、そういう対象としては見られていないだろうけど。
それでも、まるで絵画に出てくるような天使みたいな綺麗な顔はやっぱり目立ってしまう。
【周囲の貴族の令嬢たちが、きゃっきゃっと、話しているような色恋みたいなものは私にとっては本当にその感情自体がよく分からなくて、無縁なものだけど……】
彼女たちには、どういう風に見えているのだろう。
私が内心で、そう思いながら、みんなに視線を向け直せば……。
「いやはや。
……これはびっくりしましたなっ!
ご兄妹であられるお三方どころか。
皇女様の騎士も含めて、皆さま、本当に仲が宜しいようでっ……!」
と、誰かに声をかけられて、私はみんなに視線を向けた目線を……。
その声の方へと咄嗟に振り向いて再び視線を移動させた。
【あっ……、この人……っ】
私たちに声をかけてきた、老紳士風のお年を召した男性には全く見覚えが無かったけど……。
その人の後ろに付き従うように傍にいる何人かの人のなかで、鮮明に一人だけ見覚えがあった。
今回の軸じゃなくて……。
巻き戻し前の軸で、その人は確かにロイの代わりに私のことを診てくれた医者だった筈、だ。
そう……。
ミュラトール伯爵に毒入りのクッキーを贈られて、苦しむ私に……。
――あの日、“体調不良”と診断した医者だった。