第186話 謝罪する勇気

「……あの、お兄さま?」


 声をかけてきてくれたのに、一向に話をしようとしないお兄さまに首を傾げ。


 傍にいてくれたセオドアとアルがちょっとだけ、緊張感を持ちながらギゼルお兄さまの方に視線を向けているのを感じて……。


 このままじゃ、ずっと膠着状態が続いてしまって良くないかな、って思いながら、此方から問いかければ、ギゼルお兄さまは、少しだけ俯いたあとで、意を決したように私の方へと視線を向けてきた。


「さっきの、あれ……。お前の本心か……っ?」


「……?

 さっきの、あれ、とは、一体なんのことでしょうか?」


 どこかぶっきらぼうなままの状態を維持しながらも、そう問いかけられて私はその意味が直ぐに理解出来ずに、お兄さまにどういう意味なのか、確認するように声をかける。


「……あー、もうっ、だからっ!

 さっきのあの貴族に言ってたことだよっ。

 ほらっ、俺たちのこと引き合いに出したんだろう、あの貴族に……。

 皇族を故意に侮辱したとも取れるような発言をしたって、怒ってただろうっ?」


 私がお兄さまの意図を正確に汲めずにいたことを焦れったく感じたのか。


 ギゼルお兄さまからそう言われて、私は目を瞬かせた。


 確かにさっき、あの貴族の人には。


【ウィリアムお兄さまのことも、ギゼルお兄さまのことも、例えどんな派閥があろうとも、どのようないざこざがあろうとも、それらを引き合いに出して、皇族を故意に侮辱したとも取れるような発言をしていたこと。

 それらも含めて私に対する上からの物言いで、私の騎士が私が侮辱されていると感じて動いてくれたことに、これ以上、他に理由が必要ですか……?】


 って、言った記憶がある。


 私からしたら、失礼な振る舞いに対して、皇族についても無礼なことをしていると注意しただけのつもりだったんだけど。


 お兄さまがそのことで、言葉にして何を伝えたいのかがピンと来なくて、私は更に困惑してしまう。


「えっと、そうですね。

 さっきの貴族の方は私達を皇族とも思っていないような態度で接してこられたので、そのことに対して注意はさせて貰いましたが……。

 本心なのか? というのは一体、どういう意味でしょうか?」


 当たり前のことを、当たり前のこととして、注意しただけだから、そこに、本心というか、私の気持ちとかって全く関係のないことだと思うんだけど。


 今一、お兄さまの言っている意味が汲み取れずにいる私を見て……。


「あーっ、そっ、その、だなっ。……お前にとっては、俺は、そのっ、嫌いな人間の筈だろうっ!?

 俺のことについて失礼な態度を取るような奴がいても、お前にとっては無視しても可笑しくない案件だしっ、何なら、一緒になってああいう奴と俺の悪口とか、言ったってっ……」


 と、ごにょごにょと、若干口ごもりながらも、私に向かってそう喋ってくるお兄さまに。


 私はようやくお兄さまが何を言いたいのかが朧気ながらも把握出来た。


 確かに私とお兄さまの仲は決して良好なものとは言い難い。


 仲が悪くて、お互いに嫌い合っているというのが、広く世間一般にも知られている私達の仲でもあるし。


 実際にお兄さまに嫌われているという自覚はあるから……、こんなにも仲が悪いのに、さっきの貴族の人からの悪口とも取れるような言葉に乗らずに、私が、ギゼルお兄さまのことに対しても、皇族を侮辱するような発言だと注意したことが……。


 ギゼルお兄さまからしたら、信じられないことだったのかもしれない。


 それで、本心でそう言っているのかどうか、あの言葉に何か裏でもあるんじゃないのか、とか疑われているのだろうか……。


 内心でそう思いながら、私は目の前で私からどんな言葉が飛んでくるのかと、ある意味で身構えているようなお兄さまに向かって、ふわりと笑みを溢す。


「えっと、そもそもお兄さまの前提が間違ってると思います。

 私は、ギゼルお兄さまには嫌われているという自覚はありますが。

 ……私は、ギゼルお兄さまのこと、嫌いじゃありませんよ?」


 はっきりと言葉に出してそう伝えれば、お兄さまはパッと勢いよく顔をあげ、驚愕の表情をその顔に浮かべてくる。


「なっ、嫌いじゃない……って、どういうことだよっ!? そんな訳ないだろっ!」


 まるで、よく分からない存在を目にするみたいなそんな表情で私にそう言ってくるお兄様に……。


 そう聞かれても、私も上手くその言葉に対して応えられるだけの術を持ってなくて困ってしまう。


【どう言ったら、いいんだろう……】


 巻き戻した後の今の軸では、ローラやセオドア、アルも含めて、私のことを大切に思ってくれている人の優しさなんかにもこうして触れることが出来ているけど。


 巻き戻し前の軸では、そもそも、私のことを好きになってくれる人なんて、ローラ以外に存在しなかったから。


 自分が普通の人と同じような感覚を持っていないんじゃないかなっていうことは、薄々なんとなくだけど、感じてる。


 ずっと、対人関係で嫌いだという視線を向けられることの方が日常茶飯事だった私にとっては……。


 向けられた言葉や、嫌悪感にまみれた視線などを向けてくる人に対して、同じような態度を取ったり、言葉を返したりしていただけで……。


 周囲にいる人、全てが敵だったから、正直、“嫌いとか好き”とかそういう感情さえ覚える必要性がなかった、って言った方がいいだろうか。


【よく分からないけど、嫌いって、誰かを好きだっていう感情が生まれて。

 そこから初めて、選別することが出来るっていうか、ごのみ出来るものなんじゃないかな……?】


 自分自身を否定されて育ってきた私にとっては、どうしても自分が悪いんだっていう感情の方が先に立ってしまうし。


 生まれてからずっと、私が赤い髪を持って生まれてきたことで、周囲から負の感情をぶつけられることも、向けられてしまうということも私にとっては当たり前にある日常で……。


 ――から。


 私のことを好きに思ってくれる人がなだけで、他の人に対してはそれが普通っていうか。


 期待をすることもいつの間にかやめちゃったし、そんな物なんだって、今は思えている。


 だから、私にとっては、大切な人と、それ以外の人々に分類されていて……。


 大切な人以外は、みんな同じ、一定の場所に位置していて、言われた言葉には当然傷つくこともあるし、私の大切な人を傷つけるような言葉を吐いてくる人に対しては怒ることもあるし、明確に嫌だなって思うこともあるけれど……。


 それでも、私が彼らに向ける感情に、良いも悪いも存在しないって言ったらいいだろうか。


【……多分、言葉にして伝えるにしても、上手く伝えることが出来ないだろうな】


 私自身も自分の感情に整理を付けることが難しいし。


 それを言語化するのはもっと難しいということが分かっているから。


 お兄さまのその問いには、やっぱりさっきと同じで『別に嫌いでは無い』という言葉しか返せないんだけど……。


「その、お兄さまが私のことが嫌いなようでしたので、今までは向けられる言葉に同じように返していただけです。

 私のことを嫌いな人に、向けられる感情をそっくりそのまま返すことしか出来無かったというか……。

 今は私にとって大切な人が出来たこともあって、その対応が間違いだったことも、今までの自分の態度が悪かったということも認識しています。

 もしも、その時のことを指摘されているのなら、本当に申し訳ありませんでした」


 これで、上手く伝わるっているかどうか分からないけれど……。


 とりあえず、別にギゼルお兄さまのことは嫌いではないということと。


 今まで皇族としての振る舞いがちゃんと出来ていなかったことを改めて謝罪すれば。


 ギゼルお兄さまは、開いた口が塞がらないような表情を浮かべて。


 私のことをパクパクと何度か何かを言いかけたような素振りを見せたあとで……。


「……っ、お、っ……」


「……お?」


「俺の方、こそっ、! 今まで、お前のこととか、ちゃんと見ることも出来ないで。……非難してっ、だな……、そのっ」


 と、もごもごと、何かを言ってくれてはいるのだろうけど……。


 あまりにも小さな声量だった為、お兄さまの発言が上手く聞き取ることが出来ずに、私は首を傾げる。


「あの、ギゼルお兄さま……?

 申し訳ありません。

 ちょっと、声が小さすぎて、何を言っているのか上手く聞き取れなくて……」


「あーっ、! だっ、だからっ!

 今まで碌にお前の置かれている状況を調べもせずにっ。

 お前に突っかかって、悪かったなって言ってるんだよっ!

 ……それに、そのっ、お前のこともっ。お前の騎士のことも、見た目だけで、色々と差別的なことを言ってきて悪かったな、ってっ!」


 私がお兄さまに問いかければ、怒ったような口調で、ぶっきらぼうにお兄さまから、そんな言葉が返ってきた。


 見れば顔は真っ赤になってるし。


 一息ひといきに言い切った所為もあってか、ふー、ふーっと、ちょっと息は荒くなってるし。


 ギゼルお兄さまの雰囲気を見ればこの言葉を言うのにも、もの凄く勇気が言ったのかもしれない。


 セオドアのことを謝ってくれたのは凄く嬉しいけど。


 私自身もまさか、お兄さまから謝罪が返ってくるなんて思ってもみなかったので、びっくりしてしまった。


【一体、どういう心境の変化があったのだろう】


 と、思いながらも、もしかして、アズとして前にスラムで会ったときに話したことを覚えてくれていたのかなと思い至ったあとで。


 お兄さまの言葉から『私の置かれていた状況とかについても調べてくれたのかな?』っていうことが窺えて……。


「あ、はい……。

 謝って下さって、ありがとうございます……?」


 と、困惑しながら声を出せば。


「おうっ。

 ……そ、そんだけだっ!

 あ、あとっ、勘違いはするなよ!?

 俺は、自分が悪いと思ったから、謝っただけでっ、別にお前のことを思ってとか、そういうのじゃないんだからなっ!」


 と、ギゼルお兄さまからはそんな言葉が返ってくる。


 何となく素直になれないようなそんな感じがひしひしと伝わってきて。


 ギゼルお兄さまらしい言い分と、その態度に、私は微笑ましくなって思わず笑顔が溢れてしまった。


 私が16歳の成人まで生きてきたのも関係しているのか。


 お兄さまのその発言に対して、受け止める事が出来る精神的な余裕みたいなものも、今はある。


 それに一生懸命、考えた末に、そう言ってくれているのはその雰囲気から私でも理解出来た。


【もしかして、頭の中で、私に対していつ謝ろうとか、そんなことを考えていてくれたのだろうか……?】


 だから今日、ずっとお兄さまの様子が可笑しかったのかもしれない。


「……な、なに、笑ってんだよっ!」


「いえ、お兄さま。

 わざわざそれを言う為だけに、私の所に来て下さってありがとうございます」


 此方に向かって、むっと怒ったような表情を浮かべるお兄さまにふわりと声をかければ。


「……っ、べ、別にお前にそれを言う為だけに来た訳じゃないっ。

 俺はっ……、俺もっ、! 丁度、喉が渇いて飲み物を飲みたくてだなっ! 取りに来たついでに、たまたま、お前がいただけだっ!」


 と、照れ隠しをするようにお兄さまからは、そんな言葉が返ってきた。


 そうして、取って付けたように、自分の今言った言葉を、正当化させようと……。


 お兄さまが慌てて、飲食スペースにある空のグラスを取り、何の飲み物を入れようかと迷うような素振りを見せるのを見て……。


 その態度に、さっきまでお兄さまに対してちょっとだけ警戒をしてくれていたアルとセオドアも拍子抜けをしたかのように緊張を解いてくれたのが見えた。


 そして……。


「へー、そうなんだっ?

 さっきも、グラスを手にしていた記憶があるんだけど、ギゼル様、よっぽど喉が渇いてたんだねぇ?」


「なっ、……っ!」


「そうか。

 ……ギゼルは飲み物を取りに来たついでに、アリスに声をかけたのか」


「……る、ルーカス殿っ! あ、兄上……っ!」


 気付けば、にこにこ……?

 

 にやにやって言った方がいいのかな?


 からかうような雰囲気で、もの凄く楽しげな表情を浮かべたルーカスさんと。


 無表情ながらも、どこか穏やかな様子で、ギゼルお兄さまに声をかけてくるウィリアムお兄さまが、ギゼルお兄さまの後ろに来て……、ぽんと、その肩を叩くように手を置くのが見えた。


「……っ! お二人とも、いつの間に俺の後ろ、にっ?」


「いや、何か面白そうな話、してるなって思って……。

 結構、最初の方からかな? ……二人の会話が聞こえる位置にはいたよね、殿下」


「あぁ……、そうだな。

 途中、お前の声が小さすぎて聞こえない時はあったが、おおむね最初の方から聞いていた」


 ウィリアムお兄さまの言葉に……。


「そ、それなら今じゃなくて、最初の方から声をかけてくだされば、良かったのにっ……」


 と、気まずそうにするギゼルお兄さまを置いてけぼりにするように。


「それより、折角だから俺も何か飲み物、飲もっかなァ。ギゼル様は、何にする? まだ、お姫様と話すでしょ?」


 と、ルーカスさんが自由にグラスを取って飲み物を選んでいて、ウィリアムお兄さまもそれが当然とばかりに、ルーカスさんに合わせて、無言で飲み物を選び始める。


「えっ、いや……そのっ、俺は……っ」


 そんな二人に対して。


 一人だけ、気まずそうな雰囲気を浮かべるばかりの、ギゼルお兄さまは、どうしたらいいのかと珍しくオロオロしていた。


 多分、私に話しかけてきて、謝るだけ謝ったら直ぐに、何処かに行こうと思っていたのだろう。


 それを許さないとでも言わんばかりに、まるで、ギゼルお兄さまの退路を断つようなやり方のウィリアムお兄さまとルーカスさんに……。


【もしかして、私とギゼルお兄さまのわだかまりを解消しようとしてくれているのかな?】


 と思っていたら……。


「うむ。

 僕はマッ茶にしたが、ほろ苦い茶の味が絶品だったのでな! オススメだぞっ!」


「あー、そうだな、……ですね。

 アンタ……、第二皇子様、の……好みが俺には分かんねぇから、何とも言えねぇけど……。

 フレッシュジュースとか、そっち系とかがいいんじゃねぇ、でしょうか?」


 と、アルとセオドアもギゼルお兄さまに向かって声をかけてくれるのが見えた。


 セオドアの敬語がため口と敬語交じりで可笑しなことになっていたけど。


 二人とも私の事を思って、ギゼルお兄さまにそう声をかけてくれたのが伝わってきて。


「……ギゼルお兄さまは、ホットがいいですか? それともアイスがいいですか?」


 アズの時とは違い、通常時の私では、ギゼルお兄さまとこうして普通に話せる機会もあまりないことだから。


 私はみんなのその配慮を有り難く受け取って、にこっと、お兄さまに向かって笑顔をむけた。