「……あ、れ……?」
さっき、緊張の糸が切れてふらっとしたのを何とか堪えて、身体に力が入りにくいと感じていたのに……。
アルとセオドアの方に向き直った瞬間に急にふわっと、風に包まれたような感覚がして、自分の力で立っているというよりは見えない力に支えられているような感じに思わず混乱してしまう。
「……?? っ、?」
【もしかして……】
と、思いながら、思わず、アルを見つめたあとで。
今度は別方向から、ざわっと、会場内が一気に騒がしくなって、私は何事かと振り向いた。
【あ……っ、】
って、思った瞬間にはもう。
一陣の風が会場内を吹き抜けて、私にさっき渋々ながらも謝罪していた貴族の頭から……。
――カツラがずれて、ふぁさっと、地面に落ちるタイミングだった。
「……っっ!
なっ、なっ、ち、ちがっ!
っこ、これは、違いますぞっ!」
途端、周囲へと言い訳するように、慌ててカツラを拾い、何事も無いような素振りで頭にそれを装着した貴族の人が見えたけど……。
顔は真っ赤だし、違う意味で死にそうになりながら……。
「わ、私はこれで失礼させてもらうっ!」
と、声を出して、会場自体から去って行くその姿に、別の意味で他の貴族の人からも注目を浴びて……。
「……まぁっ!
今の御覧になりまして?」
「見ましたわっ。……あの方、どれだけ、恥の上塗りをしたら気が済むのかしら?」
「ええ、見事にまるっぱげ、でしたわねっ!」
「一時期薄くなっているなぁ、って思ってたんですけど、ある時から突然増毛していて、怪しいなとは思っていたんですのっ!」
「皇女様にあのような事をするから罰が当たったんですわっ!」
という言葉が、色々な所から、こそこそと聞こえてくる。
「……、っ……ねぇ、アル……、もしかして、だけど」
室内である会場内に、突然、突風が吹くような現象が起こる可能性の方が低いだろう。
私の身体が今、風に支えて貰えているような感覚がしているのも含めてだけど、そんな現象を引き起こせる存在を私は1人しか知らないので、アルに視線を向ければ。
「うむ。
あの男、お前のことを馬鹿にするにも程があるし。……本当に許せなかったのでな。
これくらいの悪戯ですませて貰えたことを逆に僕に感謝して欲しいくらいだ」
と、むすっとして怒った様な表情のアルが、フンっと鼻を鳴らして私に向かって声を出してくれた。
「ありがとう。
私の身体も今、風に包まれて支えて貰ってるし、これもアルのお蔭だよね?」
「ああ、お前はちょっと我慢しすぎだ。……さっきよろけてふらっとなっただろう?
ただでさえ、あの男にストレスの溜まるようなことを言われたんだから、疲れたならば少し休むべきだと思うぞ?」
アルにそう言って貰えて私はこくりと頷く。
今日は私の為のデビュタントだからと、必要以上に気を張っていたのは確かだ。
何か飲み物とかを取ってきて、休憩させて貰うのもありかもしれない。
【ちょっとだけ、会場の壁に寄りかからせて貰っても許されるだろうか……】
とりあえず、周囲を見てみたけど、さっきの騒動もあってか、今のところ私に声をかけてくるような人はいないみたいで……。
その代わり……。
「それより、さっきの皇女様を御覧になられましたかっ?」
「ええ、一体、どなたが皇女様は癇癪があって、我が儘だなんて偽りの情報を流していたのかしら?
毅然としていて、本当に素晴らしかったですわね」
などと、こそこそと、喋っているつもりなんだろうけど。
私はアルの言葉に甘えて、二人と一緒に
ちょっとずつでも、私に対して良い印象を持って貰えている人がいてホッとする一方で……。
私が目立つことで内心、面白くないと思っている人もいるだろうな、っていうことは分かってるからまだまだ気は抜けないのだけど……。
現に、誰とまでは分からないけど、さっきから、ちょっとでも私の粗を探そうとしてなのか、今この瞬間にも嫌な感じで視線を送ってきている人もいるのは感じてる。
【それだけ、良くも悪くも、私が注目されてしまっているということなのだろう】
一人じゃなくて、不特定多数いるのは感じているから。
数えていたらキリがないし、私が視線を感じてそっちに視線を向ければ途端に外れたりで、こうも大勢の人がいるなかで、その人物の特定にまでは至らないのが難しい。
あまり意識しても仕方ないし、直ぐに何かをしてくるような感じもしないし。
とりあえず今は、ゆっくりと休ませて貰うことにしよう。
「あっ、そうだ、セオドア。
……さっきは、あんな言い方しか出来なくてごめんね。
私の事を守ってくれてありがとう」
そこで初めてセオドアに対して、さっきのお礼がまだだったことに気付いて、私は声を出した。
さっきの貴族の人に対して、セオドアが私を守るために行動してくれたことも分かっていたのに……。
【セオドア、大丈夫っ。……下がっていて】
と、あの場ではああいう言い方でセオドアに下がって貰うことしか出来なくて。
ちょっとだけ申し訳なかったなぁ、と思いながらセオドアに視線を向ければ。
「いや、俺の方こそ。
咄嗟のことでカッとなって敬語で喋ることもせずに、アイツを逆上させちまったのは理解しているし。
例えあんなクソみたいな野郎でも、貴族に対しての敬意みたいなもんは、一応持っておかなければならなかったのに、あのやり方はスマートじゃ無かったって反省してる。
……姫さんがあそこで止めてくれて、本当に助かった」
と、逆にセオドアの方からそう言われて、私はふるりと首を横に振った。
「ううん、私の為に怒ってくれて本当にありがとう」
セオドアが私の事を考えて動いてくれているのは分かってるし。
多分だけど、私があの貴族から、お母様のことに関して色々と言われたことについても怒ってくれたんじゃないかなぁって思う。
ローラや、ロイがあの事件のことに関して私が凄く辛い思いをしているんじゃないかって思ってる節があるということは……。
もしかしたらセオドアやアルにも私の事を心配したローラから話が伝わっている可能性もあるから。
だけど、今日接してみて、改めて感じたけど……。
元々、お母様側の派閥にいたという貴族の人は、私にとってはそこまで脅威じゃないなっていうことがよく分かった。
短絡的で、あまり理知的な雰囲気は持ち合わせていないということは今日のこの騒動が無かったら分からなかったことの一つだし、これはある意味、収穫じゃないだろうか。
これから先もあんな感じで来てくれるのなら、対処もしやすい。
【それに統率みたいな物も上手く取れていないみたいだった】
子分みたいな感じであの人に付いている人間は数人いたけれど。
全員の意識が同じ方向を向いているような気もしなかったし、私に対しても戦略を練って近づいてきている感じもしなかった。
お母様が亡くなったことで、統率が乱れているというよりは。
初めから自分たちの利益のみを追い求めるような、“
もしも、お母様の派閥にいる人でリーダー的な人に知的な人がいるのだとしたら、今日のような失態を犯すようなことはしないだろうし。
【逆を言えばお母様の派閥にいた頃も、皇后であるお母様の立場を利用したかったというだけなのだろう】
ミュラトール伯爵といい、本当に碌でもないような人達がお母様を利用しようとあの手この手で近づこうとしていたんだろうな、と思うと、ツキン、と胸が痛んだけど。
私は今、自分の中に出てきたその感情にそっと蓋をする。
過去のことじゃなくて、これから先の未来を考えなければいけないのは分かってる。
「……アリス、セオドア、僕が何か飲み物でも取ってこようか?」
「ありがとう、アル。
……じゃぁ、一緒に取りに行こっか?
セオドアは、何が飲みたい?」
アルに話しかけられて、ふわりと、セオドアとアルの方へと視線を向けて声をかければ。
「ん? あぁ、そうだな。俺も一緒について行く」
と、セオドアが私の方を見てふわりと微笑んでくれる。
いつもと変わらない様子の二人に私は本当に今この場所に二人がいてくれて良かったなと思う。
どんなことが起こっても、変わらずいつも味方でいてくれる人がいるっていうだけで。
どれほど心強くて、どれほど救われたような気持ちになっているか……。
きっと、二人は知らないだろうけど。
【分け与えて貰っている分、ほんの少しでも、何か二人にお返し出来たらいいのにな】
って、いつも思ってる。
私とアルとセオドアが三人で、会場内の至る所に置かれている豪華な飲食スペースに足を踏み入れると……。
子供が飲めるオレンジジュースや、果物を使ったフレッシュジュースなどから、大人しか飲むことが出来ないアルコールの入ったワインなどのお酒類も赤、白、ロゼなど各種取り揃えられ、充実して置かれているのが見えた。
珍しい所でいくと、桃などを使ったフレーバーティーや、異国の茶葉を使って淹れられたお茶なんかも置いてある。
【ウーロン茶、リョク茶とかって書いてあるけど、一体どんな味がするのだろう……】
それだけじゃなくて、会場内では忙しなく動き回っているボーイの手にもトレイが置かれ、その上にワイングラスが乗っていたりするので、成人を超えている大人の人はそこから取ることも可能になっている。
「むぅ、数が多すぎないかっ? ……飲み物だけで、これほど種類があるとは、悩ましいな」
「私は、このピーチを使った珍しいフレーバーティーにしてみようかな」
「俺は珈琲でいい」
割とあっさりと決まった私とセオドアに対して、アルは凄く悩んだ末に、“マッ茶”という謎の濃い緑色のお茶をチョイスしていた。
「……うむ、渋いが美味いな。
……この苦みが身体に染み渡るようだ」
どこか、お爺ちゃんの様な台詞を吐きながら、アルがマッ茶を堪能しているのに習って、私も、フレーバーティーが入ったティーカップに口を付ける。
紅茶の中だったらダージリンが一番好きなんだけど、たまにはこんな風に変わった紅茶を飲むのも良いかもしれない。
口の中に入れた瞬間は、桃特有のフルーティーな甘みが広がってくるけれど、後味は結構スッキリしていて飲みやすい。
「セオドアは珈琲で良かったの?」
唯一、私達のなかで成人しているセオドアに。
もしかして、さっきのことがあって、私に遠慮して飲まないでいてくれているのかと。
お酒を飲まなくて良かったのかと問いかければ、セオドアは私の言葉にこくりと頷いたあとで。
「あぁ。姫さんが心配しなくても大丈夫だよ。
酒は飲めない訳じゃないし、好きな部類ではあるが、珈琲も嫌いじゃないしな」
という答えが返ってきた。
「それに、珈琲一つとってもこんだけ豆の種類があると、色々と試してみたくなる。
……流石皇族主催のパーティーだよな」
そうして、セオドアから苦笑するようにそう言われて、私も確かにと納得してしまった。
珈琲の種類一つとっても、アメリカンやブレンドなども合わせて幾つもの種類が出ていた。
飲み物だけでもこれだけ豊富に種類があると、一つ飲んで好みに合わなくても、自分のお気に入りの飲み物は必ず見つかりそう。
私が、温かいピーチティーをカップに口を付けてホッと一息、その味を楽しんでいると。
「……オイ」
という、どこか乱暴な声がかかって。
最初、自分に声がかかっているとも思いもしなくて、その音が耳には入ってきていたけれど特に何の反応もせずにいたら……。
「オイ、アリス……っ!」
と言われて、初めてそこで自分に対して声がかけられていることに気付き、不思議に思いながら振り返る。
見れば、目線の先にちょっとだけ、怒っているような、どこか気まずいような。
なんとも言えない表情をしたギゼルお兄さまが立っていて、思わずびっくりしてしまった。