私が首を傾げたからか、このまま押せば何とかなると思われたのか……。
「皇女様、今は、お母上が亡くなられたばかりでお辛い想いをしていることと存じます。
私達は昔から、前皇后様の味方となるべく心血を注いで参りました」
と、聞いてもないのに食い気味でこられて、私は思わず、一歩後ずさる。
そんな私の様子を見て、隣にいてくれたアルとセオドアも、『うわぁ、コイツ、滅茶苦茶ヤバい奴だなっ……』っていう表情を露骨に出していた。
私も2人と同じ顔をしたいし、出来るなら早いところ、この人達からは退散したい。
だけど、私にしか視線が向いていない目の前の貴族の人は、セオドアやアルの様子に気付くこともなく、私が相づちを打つよりも先に、饒舌に、更にぺらぺらと言葉を重ねていく。
「何も言われなくても分かっています。
きっと、私達の想像以上に心細い想いをされているでしょう?
ですが、もう大丈夫ですよっ!
ミュラトールのように皇女様に毒を贈るような不届き者とは違い、私達に任せて頂ければ、皇女様の後ろ盾や、支援なども可能な限りさせて頂く所存ですっ!」
目の前の貴族の人のぐふぐふという、笑い方に気を取られて、話の半分も入ってこなくて聞き逃してしまう所だったけど……。
【今、この人、ミュラトールって言った……?】
ミュラトールって、あれだよね……?
クッキーに毒を入れて、贈ってきた人の名前だよね?
何で、ここでミュラトール伯爵の名前が出てくるんだろうって内心で疑問に思っていたのが顔に出てしまっていただろうか。
「安心して下さい、皇女様。
……同じ前皇后様を支持していたといえども、あのような輩と私達はひと味違いますぞっ!
全く、忌々しいったらありゃしない! 皇女様という素晴らしい御方に反旗を翻すようなことをするなんてっ!」
と、目の前の貴族から続けて言葉が降ってきて、私は思わずびっくりしてしまった。
【ミュラトール伯爵って、元々、お母様のことを支持していた貴族だったんだ……】
てっきり、私のことを凄く嫌ってそうな、テレーゼ様側についている過激的な魔女狩り信仰の貴族とかなのかなって思ってたから、凄く意外だった……。
一体、どうして私に対して巻き戻し前の軸も、今の軸でも変わらずに毒なんか盛ってきたのだろう……?
その辺り、凄く謎なんだけど……。
でも、この人に聞いても多分、この貴族にとって都合の良い言葉しか返ってこないだろうなというのは私でも分かる。
【この感じだと、本当のことを教えて貰えるかどうかすら怪しいな】
「それで、どうでしょうか? 皇女様っ。
是非、私達でもお役に立てることがあるのならば、積極的に皇女様をバックアップさせて頂きたいのですがっ!」
まるでどこかの商人みたいに、手のひらを重ね合わせてもみもみさせながら、此方に向かって声を出してくるこの貴族に。
このまま行くと勝手に後ろ盾や支援など必要もないのに送ってこられそうだな、と把握して……。
私は、目の前の貴族の人のあまりにも演技染みた言い回しに、何かの劇でも見ているような気分になりながらも、“
「有り難い申し出ですが、後ろ盾や支援などについては、その……。
お母様も亡くなったばかりで、今はまだ、私には考えられないことですので」
こういう人達が来る可能性があるから、エヴァンズ家であるルーカスさんが私の婚約者候補として立候補してくれたんだろうな、ということを改めて実感しながら。
お母様のことを引き合いに出して、やんわりと、断るようにその言葉を口に出せば。
「いえ、っ!
皇女様、今だからこそ、私達の助けが必要だと思いますっ。
テレーゼ様や、ウィリアム殿下、ギゼル殿下など、皆さんそれぞれに後援しているような貴族は付いているもの。
皇女様だけ、付いていないというのは体裁が悪いですからな。
それに、こう言ってはなんですが、他の方の派閥が勢いづいているというのもっ、私達にとっては……」
「……オイ、アンタっ……、そこまでにしておけよ?
さっきから、聞いてりゃ、誰に向かって口を利いてるのか分かってんのか?」
鼻息荒くこちらに向かって唾を飛ばしてくる目の前の人に、私が反応するよりも早くセオドアが反応してくれた。
こういうパーティーの場だから、一応携帯していた剣を抜くことはせず。
私と、目の前の貴族の人の間に割って入ってくれた上で、相手に向かって睨みを利かせてくれていて……。
「な、っ……何を言っているっ!? 騎士如きがっ、!
私と皇女様が建設的な話をしているのが目に入らないのかっ!?」
「はっ! 騎士如き、ねぇ……。ソイツは聞き捨てならねぇな? 俺は確かに騎士だが、ちゃんと騎士の誓いも交わして、忠誠を誓ってる“
主人が危険な目に遭ってんなら、例え貴族だろうと、俺の方が優先されるってことは、5歳のガキでも分かるような常識だぜ?」
「ぐっ……、この、犬めがっ! 無礼だぞっ! 私達が皇女様に危害を加えるとでも言いたいのかっ!」
「セオドア、大丈夫っ。……下がっていて」
「……っ、」
目の前でセオドアに向かって一際大きな声で騒ぎ立ててくる目の前の貴族に頭が痛いなと思いながらも、本来なら私が動かなきゃいけなかったのに、先にセオドアに対応して貰ったことを本当に申し訳なく思う。
私の言葉を聞いて……。
「……フンっ!
と、私がセオドアではなくこの人の味方をするとでも思ったのか。
勝ち誇ったように更に声高くセオドアを非難していく目の前の貴族が、大騒ぎし始めたせいで……。
今日このパーティーに参加してくれていた他の貴族達からも注目を浴びてしまっていて、段々と事が大きくなっていっているのをひしひしと感じ取って、思わずため息を溢してしまう。
こういう人間には、やんわりと断るというのが通じないのだと改めて悟った瞬間だったと思う。
もっと、私がちゃんと初期の段階でしっかりと対応出来ていたのなら、余計な火種は生まなくて済んだかもしれない。
私はセオドアの方へと、視線だけで『私の為に動いてくれてありがとう』という表情を向けて、私の方を見て此方の視線の意味を正確に汲み取って、あっさりと引き下がってくれたセオドアに感謝しつつ。
――ここからは自分の番。
【いつまでもセオドアやアルに守って貰ってるばかりじゃなくて、自分でしっかり立って意見を伝えなきゃいけない】
と、決意を固め……。
凜と背筋を伸ばして、
「……さっきから、出過ぎた真似をしているのは貴方の方です。
私の騎士は私を守るため、きちんと取り決められたルールの中で、貴方を
「なっ、皇女様っ! ここで、ご自分の騎士を庇われるとはっ、あまりにも甘やかしすぎではないですかなっ!? 皇女様の騎士は“
粗暴な民と噂されているだけあって、元々野蛮な民族なのでしょうっ!
貴女がそのようなことをするから、自分の身分を勘違いして、この男がこうも付けあがることになっているのではっ!?
私達の何が、貴女に危害を加えたと言うのですかっ!?」
私がはっきりと、声に出せば……、目の前の貴族はまるで自分は間違ってはいないのだと言わんばかりに、私とセオドアのことを非難してきた。
それも、セオドアがノクスの民ということまで持ち出してきて、だ。
元々皇女とは言え、赤色の髪を持っていることで、私のことを下に見てくるような人が多くいるということは巻き戻し前の軸でも今の軸でも、そう簡単に変わらないことだとは思っていた。
だから、別にこの貴族の人も私に近づいてきて、ただ利用したいだけだというのは初めから見え透いていたことだったし、何ら可笑しいことでもない。
私に向かって媚びへつらうように表面上は良い言葉を並び立てて取り繕ったとしても、元々心の中ではずっと蔑んでいたのだろうから。
こういう時に、そんなことさえも隠すことも出来ずに表に出てしまうほど私が彼らから下に見られているということなのだろう。
【私自身のことは何て言われても、私は慣れているから別に構わないけど……】
――セオドアの
目の前の貴族の言葉があまりにも大きすぎて、さっきまでがやがやしていた会場も一気にシーンと静まり返って。
殆どの人間が、此方の方へと話をやめて、注目しているのが肌でも感じ取ることが出来た。
当然、その中にはお父様や、テレーゼ様、お兄さま2人もいるはずで。
話の途中から聞いている私以外の皇族の人達がこの光景を見て、どんな反応をするのかは、分からないから恐い部分の方が大きくて……。
思わず、じわり、と手に汗をかいてしまったけれど。
ここで大事なのは自分と、それからセオドアの正当性を証明することだけだ。
セオドアが私を守ってくれる
きゅっと、ドレスの裾を一瞬だけ強く握ったあとで、手を離したあと、私は目の前の貴族を真っ直ぐ見つめた
【大丈夫、今の私ならちゃんと何が悪いのか、はっきりと相手に伝えることが出来る】
「何処に非があったのか、教えて欲しいと乞われるのならば、幾らでもお伝えさせて頂きます。
まず、一つ目に、貴方たちの持っているそのグラスです」
「……っ!?」
「私はこの国の皇女であり、当然のことですが、
“立場が上の人間”が、グラスを持っていないのなら、話しかけてくる貴方も当然ワイングラスは置いてくるべきですよね?
貴方も含めてここにいる殆どの方がマナーを守れていないと見受けられます」
「そ、それは……っ!」
はっきりと、一つ、一つ、目の前の貴族にも分かりやすいように、噛み砕きながらも、私の方がこの場では上に立つ人間であり、あなたたちの方が私よりも下であるということを説明すれば……。
途端に、目の前の貴族だけではなく、取り巻きにいた人たちも一斉に表情が曇ったのが目に見えて分かった。
これだけで、この人達が私のことを侮辱していたのだと受け取ることが出来る。
――たかが小娘。
マナーも躾もなってない、我が儘放題の皇女なら……。
【そんなことも気にする必要はなく、恐らく指摘など出来ないだろうと侮っていたのが、彼らの表情から透けて見える】
「そして、もう一つ。
貴方は先ほど、“皇后様”のことを、公式の場で“テレーゼ様”と呼んでいましたよね?
それだけではなく、ウィリアムお兄さまのことも、ギゼルお兄さまのことも、例えどんな派閥があろうとも、どのようないざこざがあろうとも、それらを引き合いに出して、皇族を故意に侮辱したとも取れるような発言をしていたこと。
それらも含めて私に対する上からの物言いで、
私達皇族が、テレーゼ様の事をテレーゼ様と呼ぶのは、問題ない。
だけど、貴族という皇族よりも
ましてやこういったパーティーという正式な場では、例えば、ルーカスさんみたいに私達皇族と全員面識があって親しいとかならまだしも……、派閥も違う人間が気軽に名前呼びをしていいものではない。
お兄さま2人を引き合いに出して、自分たちの
【根本的に10歳の少女である私になら無知であるということを理由にして、何を言ってもいいとでも思っていたのだろうか?】
私の言葉に、押し黙ってしまった目の前の貴族に私は無表情のまま、対峙して。
「正当な判断を下した私の騎士を、その出自を用いてこのような公の場で侮辱したこと、主人として見過ごす訳にはいきません。……私の騎士に謝罪して下さい」
とはっきりと、口に出した。
本来なら、先に、私が謝られるべきだというのは分かっているけれど。
どうしてもセオドアのことを非難するように大きな声で周囲の人達にも聞こえるように蔑まれたのが、許せなかった。
私が怒った口調で喋っても、全然迫力なんてものはないんだけど……。
それでも、ちゃんとしたこの国のマナーに基づいて皇族としての振る舞いは出来たと思う。
私の視線だけじゃなくて、最初は、何が起こっているのかと興味本位で見ていたような貴族の方達も、私の言葉に正当性があると判断してくれて。
途端に、目の前の小太りの貴族に向かう周りの視線が白けたような冷たい物へと変わっていくのが分かった。
そのあまりにも四方八方から注がれる逃げ場のない視線に耐えきれなくなったのだろう。
「う……ぐっ……っ」
元々、傲慢で偉そうな感じの人だったから、誰かに謝るとか、そういう事をするのが、プライドの高さからも、なかなか難しいのだろうとは、思う。
小さく
それ以上反論の余地がないのは分かりきっていただろうから、ほんの少しの葛藤の後で……。
目の前で、私とセオドアに向かって、小太りの貴族が頭を、下げるのが見えた。
それを見て、慌てたように取り巻きの人達も私とセオドアに向かって一斉に頭を下げる。
「皇女殿下、数々の非礼、誠に申し訳ありませんでした……」
「いいえ、私は私の騎士に出自を貶したことを謝って下さいと伝えた筈です」
「……っ、ぐっ、皇女殿下の騎士っ……もっ、私の失礼な態度、申し訳ありませんでした」
凄くぎりぎりと歯ぎしりしてそうな感じではあったものの。
公の場で、謝ってくれた事に一先ず、安堵して、私はにこりと笑みを溢した。
セオドアがこの場で主人である私を置いてけぼりにして声を出すわけにはいかないから、私がこの場を
「間違いは誰にでもあることです。
……次から気をつけて下さればそれで構いません」
はっきりと、目の前の貴族にそう伝えたあとで。
「皆さま、私のことでお騒がせして申し訳ありません。……是非、この後も引き続きパーティーを楽しんで下さい」
と、その場で淑女の礼をとって、周囲の人達にもしっかりと伝えておく。
私の声かけで、ピリッとした緊張感に包まれていた会場が、一瞬でふわっと緊張が解けて、柔らかい物に変化したのを感じ取ることが出来た。
【皇族としてどれくらいちゃんと振る舞えているのか分からないけど、一先ずは皇女としてしっかり対応出来たかな……】
内心でそう思いながら、精神力がかなり削られてもう既に体力的にどっと疲れが出てしまっているのだけど……。
この後も、もう少しパーティーは続くんだよね……。
【あとちょっと頑張らないと……】
私が内心で疲弊しつつ、そう思っていると、遠目から見ていたお父様の視線が。
『よくこの場を切り抜けたな』という感心するような目だったので、ちょっとだけホッとする。
ウィリアムお兄さまは穏やかな雰囲気で私のことを見てくれてるからお父様と似たようなことを思ってくれてるのかなって感じたのだけど。
ギゼルお兄さまは目を見開いて、何だか、凄く私の事を凝視してくるし……。
テレーゼ様も、あれは……、驚いているのかな?
基本的には淑やかに扇で口元を隠していることが多いから、テレーゼ様の感情を読み取ることって、いつも難しいんだけど。
【あっ……、目が合ったら、振り返って別の方と談笑を始められたな……】
いつ見ても優雅な方だなぁ、って思いながら……。
私は、緊張の糸が途切れてふらっと身体の力が抜けそうになったのを、なんとか堪えて、傍にずっといてくれていたセオドアとアルにふわりと視線を向けた。