どこかふわっとした雰囲気のあるルーカスさんとは真逆で。
エヴァンズ侯爵は巻き戻し前の軸でも見たことのある通り、一見しただけではカッチリとしていて、お父様と同じでどこか厳しいような印象を人に与えるような方だ。
逆を言えば、それだけしっかりとされているということの何よりの証だろう。
「息子とは宮の中でよく会うが、侯爵に会うのは、久しいな。
……お前はいつ見ても忙しそうに動き回っている」
「えぇ、そうですね。
……立て続けに外交が続いていましたので。
この地に戻ってくるのも本当に久しぶりで、家のことはどうしても家族に任せっきりでしたから」
硬い表情のまま、お父様と会話するエヴァンズ侯爵の隣でルーカスさんは言葉を挟むこともなく、いつもとはまた少し雰囲気が違うような、珍しく真面目な表情をしてその場に立っていた。
私と目が合うと、ちょっとだけ此方を向いてくれるその視線が穏やかな物へと変わるのが分かる。
その姿に……。
【知り合いがこうして来てくれると、一気に安心するなぁ】
と、内心で思っていたら……。
お父様と
「アリス、お前も良く知っていると思うが、エヴァンズ侯爵とその息子のルーカスだ」
お父様が私に向かって改めて紹介するように声を出してくれるのを聞きながら。
「はい、……エヴァンズ侯爵とお会いするのは初めてですよね?
本日は私のデビュタントにお越し下さり、本当にありがとうございます」
と、ふわりと、お辞儀をすれば。
「皇女殿下、初めまして。
……ずっと
妻がどうしても外せぬ用事があって、私も他国に外交に行っていて直ぐに駆けつけることができず、やむを得ずルーカスに謝罪に行かせましたが、御茶会の時の我が家の不手際について改めて今ここで謝罪をさせて下さい」
エヴァンズ侯爵からはっきりとそう言われたあとに頭を下げられて、私は目を瞬かせた。
もう既に自分の中では、ルーカスさんに謝罪されて許した時点で終わった事だと思っていたから……。
改めて侯爵からあの時の事に関して、きっちりとした謝罪をして貰えるとは全く思ってもいなかった。
「いえっ、ルーカスさんに謝罪をして貰って、私もそれを受け入れましたし。
その時点でこの話は済んだことなので、侯爵が今、謝罪するようなことでは……っ」
慌てて、侯爵にそう伝えれば。
「とんでもありません。
本来であれば妻が行けないのなら私が行かなければいけない案件でしたのに。
皇女様の寛大なご配慮に感謝致します」
と、顔を上げた侯爵からは、続けてそう言われてしまった。
そうして、私の方を真っ直ぐに見た侯爵の視線がどこか温かいような物に変わるのを見て。
【侯爵の面影を、ルーカスさんは間違い無く受け継いでいるなぁ】
と、私は内心で思う。
普段厳しいような視線をしていることが多いからか、侯爵のこういう柔らかな表情を見るのは初めてのことだったけど。
改めて二人が親子なんだということが私にも明確に分かるくらい、こうして穏やかな表情を見ていると二人の雰囲気がどこまでも似通っていることに気付く。
【私が子供だから敢えてこんな風に柔らかい雰囲気を出して接してくれているのだろうか?】
私が内心でそんなことを思っていたら……。
「妻から、皇女様のお噂は
こうして、お会いできて本当に嬉しく思っています」
と、どこまでも優しい表情をした侯爵からそう言われて。
何となくその表情の変化がどういう物なのかが朧気ながらも私にも理解出来た。
侯爵夫人は私がジェルメールのデザイナーさんと作った洋服のデザインを高く評価してくれていたから……。
エヴァンズ侯爵にも悪いイメージは持たれていなかったのだろう。
その事に、内心でホッとする。
「そういえば、侯爵夫人は最近社交界などにも出なくなってしまって久しいという噂を聞いたが、大丈夫なのか?」
そうして、さっきまでの緊張感とは打って変わって、この場に充満する穏やかな雰囲気に私が心の中で安心していると……。
お父様から、直接尋ねるような言葉が侯爵に向けられて、私は侯爵とルーカスさんの方へと視線を向け直した。
【確かにこの前、ルーカスさんが親戚の方でちょっとしたゴタゴタがあって夫人は欠席すると思うって言っていたけど……】
今日開かれている私のデビュタントだけではなく、ここ最近の社交界にも夫人は参加することもなくなっていたのだろうか。
「はい、陛下、心配して下さりありがとうございます。
妻自体は特に何も問題がないのですが。
親戚の方で病人が出てしまって、他に看病できる人間が妻以外にいないものですから……」
「……っ?
侯爵夫人がずっと、その方に付きっきりで看病をされているのですか?」
私自身、この間のルーカスさんの説明で夫人のことは気になっていたことだったので……。
エヴァンズ侯爵から直々にお父様に向けてそう説明してくれたのを聞いて、聞けて良かったと思いつつ、その言葉の意味をしっかりと頭の中で噛み砕いたあとで、首を傾げる。
一般的に、貴族の家で夫人が直接誰かの看病をするなんていうことは滅多にない。
侯爵家という家柄ならば尚更……。
普通は使用人がいるだろうから、お屋敷で働いている人達が動く筈なのに、どうしてなのだろう……?
素朴な疑問として思わず口をついて出てしまったその言葉に、侯爵は私の言葉を嫌がるような素振りなども見せずに。
「えぇ、皇女様。……実は親戚といっても、血筋的には妻の遠い親戚にあたって爵位などをしっかり持っているような家柄ではないのです。
ただ、我が家とは普段から頻繁に交流もしてきていて恩もある家のことで、かつ、病気を
我が家みたいに使用人達がいる訳でもないので、人手が足りていないのは勿論のこと。
療養のために自然豊かな森の中の一軒家に暮らしていることもあって、妻が駆けつけて手を尽くさねばならない程に、本当に必要最低限の人員しか割けていないのです」
と、詳しく説明するように答えてくれた。
【エヴァンズ家が恩を感じている人が病気なら、確かに侯爵夫人という立場のある方でも、行くのも変じゃないとは、思う】
そこで、私は気付く。
ルーカスさんが今まで医療に詳しい人を探そうとしていたり、私に治癒能力が使える魔女なのかどうか聞いてきたのも。
もしかして、その事が関係していたのだろうか……?
ルーカスさんの方をそっと窺うように視線を向けてみたけれど、その表情には変化はなくて。
侯爵がお父様に事情を話しているのを、侯爵の隣で立ったまま真面目な表情を崩すこともなく聞いているだけだったけど。
きっと、皇帝陛下という立場のあるお父様に対してだから。
こうして侯爵も事情を話さざるを得ずに話しているだけで、本来なら身内のそういう話は伏せておきたいことだろう。
家のことが絡むのなら、息子の立場であるルーカスさんが侯爵の代わりにあれこれと事情を大っぴらに話す訳にもいかなかっただろうし。
皇宮というのは、私達だけじゃなく使用人達や人の出入りも激しい場所だから。
そこで働く人達の耳に入ったあと、どこで噂が立って、そのことに尾ひれがついてしまうかは分からない……。
【それで今までずっと、私は勿論のこと、お兄さまですら話していなかったんだろうな】
ということが今の私でも察することが出来た。
もしかして、お兄さまが最近のルーカスさんについて隠し事があるような感じで不審に思っている風だったのも、それが理由なのかもしれない。
【ずっと、言えないで隠していたから、お兄さまが普段から親しいルーカスさんに違和感を感じていた部分があったのだろうか……?】
今までのルーカスさんの言動を考えると、医療に詳しい人を探したり、治療できそうな人を探そうと一生懸命に動いていたのは感じているし。
病気であるその方がルーカスさんにとって凄く大切な人であることに間違いはないのだろうということが私にも分かる。
私が内心で、表情には一切出すことがなく、目の前で平然としている様子のルーカスさんの心配をしていたら。
「ふむ。
エヴァンズがそのような状態になって困っているのならば、宮廷で働く良い医者を紹介することも可能だが?」
と、エヴァンズ侯爵へとお父様から提案するような言葉が降ってきた。
「……いえ、陛下。ご配慮ありがとうございます」
お父様のその申し出にやんわりと断りの返答をするエヴァンズ侯爵のことを見ていると。
もう既に、色々と手を尽くした後なのだろうということがはっきりと理解出来た。
――裏を返せばそれは、それだけ、病状が重いということに他ならない。
「それに、ルーカスがウィリアム殿下と仲が良いお蔭で。
症状を少しでも緩和するようテレーゼ様より手配などはして貰えて、これ以上ないというくらい、手を尽くして頂いていますから」
そうして、侯爵からそう返ってきたことに私は驚いてぱちくりと目を見開いた。
【テレーゼ様が、エヴァンズ家に、宮廷で働くお医者さんの斡旋とかをしていたのだろうか……?】
ルーカスさんが、ウィリアムお兄さまにも伝えていなかっただろう身内のそういった話を、テレーゼ様には伝えていて、あの方は知っていたんだなぁ、っていう純粋な驚きとともに。
【もしかして、テレーゼ様の方からルーカスさんの態度に違和感を感じたりして、何かあったのかと働きかけたりしたのかな?】
と、内心で推測したあとで、憶測だけで判断するのは良くないよね、と私は今、頭の中に浮かんだ考えをそっと取り払う。
その辺りの事情はテレーゼ様とルーカスさんの関係などを深く知っている訳でもない私にはよく分からないことだし……。
巻き戻し前の軸のことも考えても、私自身あまりテレーゼ様に近寄らずに生活してきたこともあって、未だにテレーゼ様が皇后としてのお立場で、どういう風なことをされてきている方なのかよく分かっていなかったけど。
いずれにせよ、ウィリアムお兄さまとルーカスさんが仲が良いというのは勿論あるのだろうけど。
それでも、テレーゼ様がエヴァンズ家に何の見返りなども求めず、宮廷で働く医者の手配をしていたのなら……。
世間での好感度の高さが物語っているように、テレーゼ様は民心にも心を砕くことが出来るような人間的にも素晴らしい御方であることに間違いないのだろう。
【ただ、それでも侯爵のこの言い方だと、症状を緩和しているだけで。
病状が重いことには変わりなく、恐らく根本的な治療の解決にはなっていないのだということは言葉の節々から分かる】
「そうか、テレーゼが……」
「はい。
本当にテレーゼ様には感謝してもしきれないくらい良くして頂いて」
お父様と侯爵の会話を聞きながら、私は、古の森の泉のことを思い出していた。
アルが、“エリクサー”と呼んでいたほど、飲んだ翌日には重篤な病気が治っているというあの泉なら……。
【もしかしたら、エヴァンズ家の親戚だというその人の病気も治せるかもしれない】
内心で、そう思いながらも……。
目の前にいる人を助けたいという私的な目的のためにあの泉を使う訳にはいかないと、お父様はきっと反対するだろうな、とも思う。
もしも、それで一人、救ってしまったら……。
次は、“
医者でも救えない患者さんを、泉の水で救えたとなったら……。
例え
【そうなれば、あの地は途端に人間の私利私欲にまみれた感情で、手垢が付いてしまうことになる】
だからこそ、お父様もあの地にある、あの泉のことは干渉すること自体をしないと決めていたのだから。
それに私だけならまだしも、泉に暮らしている精霊さんたちに迷惑をかけてしまう訳にはいかない。
――目の前にいる人が、もしかしたら救えるかもしれないと分かっていながら。
それでも自分は手助けすることが出来ないのだと、こういう時、痛感させられるようで……。
思わず、出かかった言葉をグッと呑み込むしか出来ず。
私はもどかしい気持ちで心の中がもやもやしてしまうのを抑えることが出来なかった。