第180話 鉱害

 お父様に挨拶しに来る貴族の人達は基本的に侯爵などの爵位が高い方からやってくるのだけど、一人だけではなく、中には複数人で挨拶に来る人もいて。


 こうも大人の男の人だけに囲まれると威圧感が凄いなぁ、と心の中で思うし……。


 巻き戻し前の軸での私の評判や周りの人に囲まれていた時のことを思い出して、恐いな、という感覚が多少は、ある。


 何人かとのお話をお父様の隣でにこやかに聞きながら……。


 大人しく相づちを打つだけの人形に成り果てた私が、この中で落ち着いていられるのは、アルとセオドアが今もずっと私とお父様の後ろで待機してくれているという、安心感からだった。


「皇帝陛下と、皇女殿下に拝謁いたします」


 やってきてくれた人がお父様と私に挨拶してくれたあとで、簡単に自己紹介から入り、お父様と遣り取りする。


 まだまだ、始まったばかりで気が抜けない貴族の人達との会話と名称を追うのに精一杯になりながらも。


「皇女殿下、先ほどの陛下の口上に対する受け答え、実に素晴らしい物でしたっ!

 ダンスの披露も難しい曲を難なく踊りこなしていて、殿下が立派な淑女レディへと成長されていることを誇りに思います」


「えぇ、そうですな。……申し訳ありません。

 皇女殿下はこうやって皇族の一員として気高く振る舞われているというのにっ。

 今まで、前評判だけで皇女殿下のことを判断していた自分が如何に愚かだったのか思い知ることが出来ました」


「いえっ、……褒めて下さり、ありがとうございます」


 お父様に挨拶してくれる貴族の方は、国の重鎮である方も多いからか。


 私に対しても皇族としての振る舞いを認めてくれる方が多く、簡単に挨拶を交わして自己紹介をしてくれた後は、今日の私の態度をこうやって逐一、褒めてくれていた。


 私が慌ててお辞儀をすれば、驚いたような顔をされることもこれでもう何回目になるだろう。


 お父様は私の態度に、少しだけ難しい顔をしていたけれど。


 多分それは、皇族としてお礼を言ったり、お辞儀をしたり、ともすれば下の人間にへりくだっているともとれるような態度を私が見せてしまっているからだろう……。


【……でも、これ以外に人との接し方をどうやればいいのか、私には分からない】


 今、この場で私の態度を止めないのは、周囲の目があるからで。


 ……もしかしたら、後で色々とお小言を言われてしまうだろうか。


 内心でお父様の目に小さなプレッシャーを感じながらも、貴族の方達と遣り取りすることも、大分慣れてきて。


 そうなると、頷くだけで精一杯だったお父様と貴族の人達との会話の遣り取りも、段々と頭の中に入ってきて、何の話をしているのかが自分でも汲み取れるようになってきた。


「陛下、そう言えば少し前に皇太子殿下が大活躍だったそうですな」


「あぁ、裏カジノの一斉摘発の件だな?」


「えぇ、カジノに参加していなかった人間にまで、どこからか、阿片アヘンが出回ってしまっていて一時期、かなり大変でしたから」


「あぁ、だがあれはウィリアムだけの力ではなく、エヴァンズの息子の力も大きいものだ」


「ええ、そうでしたな。

 ウィリアム殿下も幼なじみに頼れる存在がいると将来陛下の跡を継いだあとも、共に国を盛り立てていって、安心もできるでしょうなぁ」


 例えば、お兄さまがルーカスさんと一緒に裏カジノを摘発した時の話とか。


 丁度私も知っているような話が出てくれたことに内心でホッとしながらも、その話に耳を傾けたり……。


「それより陛下、今、問題になっている水質汚染についてなのですが」


「あぁ、原因は、突き止めることができたのか?」


「いえ、それがまだ……」


「ふむ、そうか……」


 お父様と貴族の方が話している水質汚染に関する話には、巻き戻し前の軸でお父様がしていた施策のことを割と覚えていたので、私でもその会話の遣り取りについていけた。


【この時期のお父様は、確かに原因不明の水質汚染に頭を悩ませていたなぁ、と……】


 皇族や、街の人間よりも、農村などの、ある特定の地域で水質汚染になっていて。


 飲み水なども、とてもじゃないけど飲めたようなものじゃなくなってしまっているんだよ、ね。


 一応、国から配給されて、一部の地域には既に飲み水も配っているけど。


 これから先、水質汚染が特定の地域以外にも広がらないとも限らないし。


 そうなってくると、国が供給する水だけでは二進にっち三進さっちもいかなくなってしまうだろう。


 お父様へと挨拶にやってきて、深刻そうに話す貴族の人の顔には私にも見覚えがあった。


【確か、この人ってお父様の側近で色々と環境問題なんかにも詳しく取り組んでいる人だったよね……】


 道理で、お父様と水質汚染についての話が出る筈だ。


「あのっ、お話中すみません。

 お父様、鉱山跡地から流れ出る鉱水こうすいについてはお調べになられましたか?」


 今まで自分に振られた会話以外はお父様と貴族の人の遣り取りを邪魔しないようにと。


 その場にいてお話を聞いているだけだったのに。


 突然私から、怖ず怖ずと声をかけたことにお父様も環境問題に取り組んでいる貴族の人も驚いたような表情を浮かべたのが見えた。


「え、えぇっ、皇女殿下。

 ……鉱山跡地から流れ出る鉱水については我が国では良くあることですので、当然真っ先にお調べしました」


 私の言葉にも、“余計な口は挟むな”とは言わず、戸惑いつつ普通に答えてくれるだけで有り難いなぁと思いながらも。


 この時点でそう言われることは、予想通りの回答ではあったので。


 私は目の前の貴族の人のその言葉を肯定するように、こくりと頷いた。


「えっと……はい、そうですよね。

 鉱山が多いシュタインベルクでは、鉱山跡地から流れ出る鉱水について何も対策などもしていない筈がないですし、真っ先に調べて下さった事はよく分かります」


 鉱山大国である我が国では、宝石になる鉱石などが採れるという恩恵がある代わりに、『鉱水』と呼ばれる鉱山の坑内こうない精錬所せいれんじょから排出される有害物質を含んだ水が流れ出て……。


 農業用水などに使用されるために引いている川と合流してしまい、度々それが環境問題を引き起こして問題になることがあった。


【だから、この人がその可能性を考慮して周辺の鉱山を調べているのは当然のことだ】


 この国の人間として、真っ先に、鉱山から出る鉱水を疑うのは何ら間違っていないし。


 万が一にも漏れて流れる出てしまうことがないようにと、きちんと予防策をしていることも分かっている。


 だけど、それでもこの事件の原因は、鉱水が原因であることに間違いないのだと


【ただし、鉱山から自然的に流れ出たものじゃなくて、人的な被害】


 この件は、自然が原因だと思ってそっちの方面でのみ調べていたから、人的な被害だと気付くのに遅れてしまって、被害が広がってしまうものだ。


 巻き戻し前の軸のことを完全に覚えている訳ではないけど、解決したのは確かこれから3年くらい経って、更に被害が広がってしまってからで……。


 その時は、病気の人なども続出してしまっていたと思う。


 ――今なら、その状態も比較的軽いうちに解決できるはず。


 目の前の貴族の人が、既にこの問題について、いっぱい調べてくれているのは間違いないだろうし。


 こんな小娘の言うことになんて、聞く耳を持ってはくれないかもしれないけど。


「あの、この件は自然に流れてしまった鉱水からの汚染水などではなくて。

 周辺の村に住んでいる人達が水を汲む為の容器に使われている鉱石の成分など、そういう物から徐々に漏れ出てしまった人的な被害なのではないでしょうか……?」


 我が国で使われる容器なども、我が国が鉱物が沢山採れるという特性を持っているが故に、他の国とかでは木を削って作られるような桶の用途で使用されるようなものも、我が国では鉱物を加工したものが使われることが多い。


 巻き戻し前の軸の原因を頭の中に思い浮かべながら、はっきりとそう伝えれば。


 お父様も、環境問題に取り組んでいる貴族の人も凄く驚いたような顔をして私のことを見てきた。


【……やっぱり、唐突だったし、信じて貰えないかな……】


 私はちゃんとした原因が何だったのか、巻き戻し前の軸で見てきているから知っているけど。


 目の前の貴族の人からすると、ここまで自分で調べてきたという自負があるだろうし。


 何より、鉱山大国だからこそ、自然的に発生する鉱水の被害については疑っても……、人為的な物であることは、疑われにくい。


 この件は、そういう人達の心理が働いて、うっかりと見落としされてしまって発覚が遅れてしまったものだ。


 ましてや、この原因に使われていた『水を汲む容器』というのは、この事件があったから有害認定されてしまうことになった、これまでは特別問題視もされていなかった物質だったはず。


【だから、たかが小娘である私の言うことなんて……。

 この人の自尊心みたいなものを、傷つけてきたとか、思わないだろうか……?】


 私が内心でビクビクしながら、目の前で目を見開いたまま固まっている老年の貴族の言葉を待っていると……。


「こ、皇女殿下っ! それは盲点でしたっ!」


 と、思いっきり此方に向かって声に出して言われたあとで、手を握られてしまった。


「……ブライス、早急に近隣住民の普段の生活の様子などを調べてみてくれ」


「承知しました、陛下。

 直ちに住民の生活などに焦点を当てて、より詳しく調べ直してみます!」


【あぁ、この人の名前、ブライスっていう名前だったんだ……!】


 確かに資料を見て、重要だから覚えておかなきゃいけないな、って思った官僚の人の中に、その名前はあった気がする。


 さっきも一度自己紹介はして貰ったんだけど、同じような名前の人も多くて覚えるのも一苦労だった。


 ――ブライスはお父様の側近で、環境問題に取り組んでいる人。


 頭の中でノートで覚えた内容とを、ここで改めて一致させて。


 忘れないようにしないといけないな、と思いながら……。


 私はふぅっと小さく溜息にも似た安堵の吐息を溢した。


【……何にせよ、とりあえずホッとした。

 巻き戻し前の軸の時は病気など重篤な状態になる人も増えてしまってからの発覚だったから、それで大勢死んでしまった人もいたはず】


 今回の軸では、ブライスさんが調べてくれるのなら被害は最小限に食い止められるんじゃないだろうか。


「しかし、アリス。……お前の着眼点は新しいな」


 私が内心で心の底から良かったと思っていたら……。


 お父様から、私を褒めるような言葉が降ってきて、私は慌てて首を横に振った。


「いえ、あのっ……思いつきで喋っただけで、本当にそれが原因かは、まだ……」


「いえ、皇女様。

 例え思いつきであろうとも、自分の意見を伝えるという行為自体が重要な物です。

 もしも、これが原因じゃなかったとしても、調べることに意味がありますから」


「あぁ。

 ……それがまた違う発見に結びつくかもしれないしな。

 だが、まさかお前が我が国の環境問題などにも関心があって、きちんと鉱害などについても理解しているとは思わなかった」


「えぇ、皇女様が普段からきちんと勉強されている証に、私も感服致しました」


 二人から必要以上に褒めて貰えて、私は『あ、ありがとうございます』とお礼を伝えながら、ちょっとだけ罪悪感のようなものを覚えてしまう。


【私自身は、ただ、巻き戻し前の軸のことを覚えているだけだから。

 あまり褒めて貰えると本来の自分がそう思っていた訳じゃないし、なんとなく申し訳なくなってしまう】


 それでも、巻き戻し前の軸の知識を利用したことで、人の役に立てたことって自分のこと以外では初めてな気がするし……。


 救える命があるのなら今、お父様達に伝えられたことには意味があったのかな。


 一先ず、鉱害の件はこれで何とかなると思うし、後は私はノータッチの部分が大きいので、国のために働いている人達にお任せするしかできない。


「あ、そうだ、お父様……。

 あの、私、前にギゼルお兄さまがスラムで子供を救ったというお話を聞いて。

 ……そちらの孤児院に慈善事業の一環で、私の資産から個人的な寄付をしても良いでしょうか?」


 お父様が私を褒めてくれたそのタイミングで丁度言いやすかったので、あの時子供たちと約束したように教会に会いにいけたらいいなぁ、と思って、ちょっと唐突かもしれないけど声をだせば。


 お父様は驚いたように一瞬目を見開いたあとで……。


「あぁ、それは別に構わないが。お前の資産で?」


 と、私に問いかけてきた。


「はい、前にお父様から頂いた私の宝石を売ったお金が、殆ど手もつけないまま残っているんです。

 ……もし可能なら教会などの慈善事業にお金を使えたらと思いまして」


 その言葉に続けて、声を出せば。


「あぁ、分かった。

 お前がそういう目的で使おうと思っているのなら好きにしなさい」


 と、言ったあとで……。


「……陛下、子供の成長は早いですね」


「あぁ、私も最近、驚かされてばかりだ」


 と、二人からしみじみと言われてしまい、私はその言葉に何て返事を返したらいいのか分からず恐縮するばかりだ。


 褒められ慣れていないから、こうも連続で褒められてしまうと、少しだけむず痒いような気持ちにもなってしまう。


「何にせよ、これから忙しくなりそうですので、私はこれで失礼します」


 そうして、ブライスさんにそう言われて、お父様が『ああ、頼んだぞ』と、返答したあと……。


「皇帝陛下、皇女殿下に拝謁致します」


 次に私達の元にやってきてくれたのは、エヴァンズ侯爵とルーカスさんだった。