「アリス、ウィリアムからマナー講師の件は聞いてはいたが。
難しい異国の曲をこんなにも完璧に踊れるようになっていたとはな」
「いえっ、お父様。
……私の騎士が私に合わせて踊ってくれたお蔭です」
感心したような声色でお父様から声をかけてもらって、私はセオドアの方へと視線を向けたあとで、その言葉に返答する。
セオドアを私の騎士にした事は私の我が儘を押し通した結果だということは皇宮内では広く知られているから、お父様も騎士団長から話がいってない訳もなく。
きっと、知っていることのはずだとは思う。
それでも今までにお父様からセオドアを私の騎士にしたことについて何かを言われたことはない。
騎士選びの際、私が好きに選んでいいと言ってくれていた手前、何も言わないでいてくれているのだろうなとは思うのだけど……。
良い機会なので、この機会にセオドアに対する印象も良くなって貰おうと思いながらお父様に向かって紹介するよう声を出せば。
セオドアも私の言葉を聞いて、胸に手を当て騎士としての正式な礼をお父様に向かってとってくれるのが見えた。
「あぁ、アリスの騎士だな。
……その噂は色々と私の耳にも届いている。
何でも身体能力の高いノクスの民らしく、その実力は折り紙付きだとか」
そうして、お父様からは特に偏見などもなく、普通にセオドアの実力を認めてくれるような言葉が返ってきた。
その言葉に、内心で安堵しながらも……。
「はい。セオドアは私の騎士にするには勿体ないくらいの実力者なんです」
と、私が声を出せば。
「あぁ、そうだろうな。
ハーロックが、今回授与するジュエリーのことで、アリス、お前の審美眼について褒めていたが、私も今、確信した。
物であれ、人であれ、良い物を見極めることの出来る目は直ぐに養われるようなものではない。
何より人は、その心を掴まねば
これからもお前のその感覚は大事にしていきなさい」
と予想外に私が褒められてしまって、私は目をぱちくりとさせた後で。
「あっ、ありがとうございます」
と、お父様に対してお礼の言葉を伝える。
どちらにせよ、セオドアに対して悪い印象は持ってないみたいでホッとする。
どうしても人からの賛辞や褒めて貰う様な言葉に慣れてなくて。
未だに誰かから褒めて貰うようなことがあると、無駄にどきどきしてしまうのだけど。
それでも、私が褒められる以上に私の身近にいる人が褒めて貰えると嬉しくなる。
セオドアに対してお父様の評価が良い物で良かったと内心で思っていたら……。
「……アリス、
陛下もこうして褒める程に、
だが、あれほどの隠し球を用意していたとは私でも予想がつかなかった。
初めは初心者向けのワルツを踊り、次は上級者向けの東の国の曲を選ぶとは、一体どのようにしてそのような選曲になったのか、興味が尽きぬ」
此方に向かって、ふわっと声色を高くして。
扇で口元を隠し、まるで、はしゃいだ少女のように声をかけてくるテレーゼ様とぱちりと視線が合った。
「いえ、とんでもないです。褒めて頂きありがとうございます。
あのっ、私の騎士が私が踊れる曲を選曲してくれたお蔭で……」
「そなたが踊れる曲を……?
まるでウィリアムの時が前座であったかのように、後で踊った物の方が、素晴らしいものであったのに?」
きょとん、と、どこまでも不思議そうに目を見開いて、此方に向かって声を出してくるテレーゼ様に、私がなんて伝えればいいのか迷っていると。
「……母上、アリスの言っていることは事実です。
アリスが踊れる曲をアリスの騎士が選曲したまでの話です」
はっきりと、私の言葉を補うようにお兄さまの方から、テレーゼ様に向かって声を出してくれた。
一応、皇宮の醜聞になってしまうであろう、マナー講師のことをこんな公の場で言う訳にもいかないから。
お兄さまからのそのフォローは私にとっては凄く有り難いものだった。
テレーゼ様が扇で口元を隠しているので、その表情は目でしか判断がつかないけれど。
ウィリアムお兄さまの言葉を聞いて、テレーゼ様は目尻を下げ、きっと笑みを深くされたのだと思う。
「ふむ、成る程な。そうであったか」
……お兄さまからの言葉で納得してくれたのだろうか。
はっきりとそう声に出して、テレーゼ様がウィリアムお兄さまのその言葉にこくりと頷いて返答してくれるのが見えて私もホッとする。
「テレーゼ、曲の順番などそんなもの関係のない話だろう?
アリスのデビュタントというおめでたい日にそのような話をする事はない」
そうして、マナー講師のことをお兄さまから聞いていて。
私がダンスを1曲しか踊れないということは知らないまでも、どうして私が東の国の曲を踊れるのかという事情を知っているお父様が私をフォローするように声を出してくれたその言葉に。
テレーゼ様が、目の前で……。
「失礼しました、陛下。
……アリスのデビュタントに水を差すようななつもりは一切ありませんでしが、
と、その頭を僅かに下げて謝罪してくれるのを見て……。
「いえ、皇后様は何も悪くありません。
あのっ、私のダンスを褒めて下さり、本当にありがとうございました」
と、私は慌てて声をあげた。
私の言葉にテレーゼ様は扇で隠したままの口元をそのままに、目元だけで、にこっと此方に笑顔を向けてくれる。
私達の会話が、一瞬だけ途切れたその瞬間。
「皇帝陛下に
と、私達皇族が全員揃っているこの場で。
お父様に向かって声を上げてきた人に、私は目を丸くしてそちらへと視線を向けた。
「……久しいな、閣下」
お父様が、そう声を出せば。
お父様と対峙するように、お父様を見ながら唇を少し吊り上げて挑発するように好戦的な目をしたお祖父さまが
「ええ、本当に。
……お久しぶりでございます、陛下。
招待と共にわざわざ陛下自らが書かれた直筆の手紙まで送って頂いて。
今日はこうして、“
「……あぁ、晴れやかな日に“
「……えぇ、確かにそのようですね」
「あの、お祖父さま? お父様……?」
何だかよく分からないバチバチ感が2人の間にあるような気がしてならないんだけど、一体どうしたんだろう?
私が2人の遣り取りに首を傾げていたら。
私の傍に立ってくれていたウィリアムお兄さまがこそっと……。
「公爵を今日、お前のデビュタントへ招待するにあたって、父上が例の件で謝罪の手紙を送ったらしい」
と、耳元で私にだけ聞こえるように教えてくれた。
“例の件”というと、お祖父さまからの手紙が届かなくて……。
私の検閲係をしていて捕まっていた3人がもしかしたら殺されてしまった件のことだろうか?
確かに皇宮の醜聞であることには間違いないし。
公爵であるお祖父さまからの手紙が適切に管理されず、届くべき人間に届いていなかったとあれば。
お祖父さまがこうも怒っている感じなのにも理解は出来るのだけれど。
お父様は謝罪する側な筈なのに、どうしてこんなにも張り詰めたようにピリピリしているのだろう?
頭の中で、一個解決したら、また疑問が湧いてきて。
私が2人のその遣り取りを不思議に思っていたら……。
「手紙でも話したが、公爵、“
今日もこうして、デビュタントを無事に
なので、あなたに心配されるようなことは何も無い。……どうぞお引き取りをっ」
「フンっ! ……若造がっ。
私が知らぬとでも思ったか? 今まで見向きもしなかったくせに今さらなことを言いおって……。
アリスは大事な、私の唯一血が繋がった存在。
お前達が大事にしないのならば私がその身を譲り受けることの一体何が悪いと?」
「今、若造とか、悪態をついてきただろう、このジジイっ」
「若造に若造と言って何が悪いんでしょうか? 陛下」
「取ってつけたように、陛下と呼ばないで頂きたいっ!」
【こ、子供みたいな喧嘩をしてる……っ!】
お父様と、お祖父さまの遣り取りに混乱していたけれど。
混乱している場合じゃ無かった。
2人の会話の内容を聞く限り、話の中心はまさかの私だ。
お祖父さまが、私の身を譲り受けると言ってくれたこと、私自身、あの時断ったから。
特にお父様にもその件は伝えないでもいいと思って何も言わなかったのだけど……。
もしかしてお祖父さまは、お父様にも手紙の遣り取りで私のことを案じて、そのことを伝えてくれていたのかもしれない。
「あ、あの……っ、お祖父さま、お父様っ」
さっきも、2人を呼んだけど、このまま行くと話が変な方向にヒートアップしてしまいそうだったので、私は2人をもう一度声を大きくして呼んでみた。
頭に血が上っていたのが、少しでも落ち着いたのだろうか。
私の呼びかけに2人が反応して、揃って此方を見てくることに一先ずはホッとする。
世界広しといえども、皇帝陛下であるお父様にこれだけの事を言えるのはお祖父さまだからだろう。
お祖父さまとお父様の関係は叔父と甥の関係に当たるものだ。
つまり、お母様はお父様とは従兄妹同士で比較的近い者同士の結婚だった。
【皇族や上に立つ人間などは世の中的に血統的な物を考慮して、王族同士での婚姻や、本当に近しい所では兄妹同士の結婚などで近親婚をすることもある】
流石に兄妹となると、あまりにも近しいので、中には首を傾げる人もいるにはいるけれど。
それでも腹違いの場合や、政略的な問題で結婚相手がその場合に限られる時などはやむを得ず結婚する場合もあるので、特段珍しいことではない。
お父様とお祖父さまが2人で話しているのを初めてみたけれど。
【叔父と甥になる関係性って、どこの人達もこんな感じなのかな……?】
私が思っている以上に、気安い雰囲気で思わずびっくりしてしまった。
それに以前、お祖父さまと会った時に感じたお母様に対する後悔のようなものでいっぱいになっていて。
お父様のことを“あの男”と呼んでいたような雰囲気は今のお祖父さまには無く。
もしかして、ウィリアムお兄さまの言うように、お祖父さまからの手紙が届かなかったことで、お父様がそれに対し謝罪の手紙を送ったことから、色々と2人の関係性にも変化があったのだろうか……?
その辺り私にはよく分からないけれど……。
【2人とも、いつも堅い雰囲気を漂わせているのは間違いないし】
どちらかというなら、もっとこう、私の中ではお祖父さまとお父様が2人揃うと、難しい政治の話を語り合ったりしているようなイメージだったんだけど……。
「あ、あの……もしかして、私のことを気にかけて下さって、お祖父さまはお父様に私の話を持ちかけてくれたのでしょうか?」
会話をやめて、私の方を見てくる2人に向かって、怖ず怖ずとそう問いかければ、お祖父さまは私を見たあとで、お父様に視線を向けたあと。
コホンと一つ、咳払いをして……。
「あぁ、まぁ、そうだな。
私の孫娘であるお前が辛い思いをするようならば、皇宮にはこれ以上置いてはおけぬと思ってな」
と、声を出して教えてくれた。
もしかして、今ここでお祖父さまがお父様とその会話をしてくれた意味も、何かあれば、私のバックに公爵家が付いていてくれると他の貴族達にも分かりやすく示してくれたのだろうか?
【だとしたら、お祖父さまには感謝を伝えないと……】
「お祖父さま。
ご配慮頂き、ありがとうございます」
私が慌てて、お祖父さまに対してお辞儀をしてお礼を伝えれば、私の反応になぜかお祖父さまもお父様も気まずそうな表情を浮かべながら此方を見てくるのが見えて、私は首を傾げた。
――何か対応を間違ってしまっただろうか?
お父様は勿論のこと、お祖父さまだって一度しかちゃんとお話したことがないけれど、そういう事を読み取るに長けた人達であることは間違いない筈だし。
私がここでお礼を伝えたことの意図はちゃんと2人に伝わっていると思うんだけど。
「あぁ、アリス。
何かあれば、本当に、いつでも遠慮なく私に頼ってくるといい。
誕生日だけとは言わず、公爵家を実家のような物だと思って、長期で泊まりに来てくれても構わないのだからな?」
私の言葉に少しだけ反応が鈍っていた様子の2人だったけれど、直ぐに対応してくれたのはお祖父さまだった。
長期で泊まりに来ても構わないと言ってくれることで、私のさっきのお礼に対して更に周囲の貴族の人達にも私達の仲が悪い物では無いと示してくれているのだろう。
「はい、ありがとうございます。お祖父さま」
ふわりと、笑顔でお礼を伝えれば、お祖父さまも私に向かって、笑顔を向けてくれる。
「……アリスが長期で公爵家に泊まりに行くことは構わないが、ずっと住むのを認めることは出来ない」
「え? ……あの、お父様……?」
【……お祖父さまは本心ではなく、建前でそう言ってくれているのでは?】
私が真面目な表情を崩すこともなく、お祖父さまに向かってそう言うお父様を不思議に思っていたら……。
「だから、お前は若造だというんだ。可愛い娘の意見は尊重するものだぞ」
「だからですよ、閣下。
……私はもう二度と間違えるつもりはない」
「……??」
お祖父さまはお父様の言うことを否定することもなく、苦笑したようにお父様に向かってそう告げていて……。
何処となくお母様のことに対してなどの遺恨も何もなく通じ合っているような……。
二人して交わされる会話の遣り取りが今一よく分からなくて、首を傾げるしか出来ない私に、なぜかお祖父さまはお父様の肩をぽんぽんと叩いたあとで、私に向けてふわっと笑顔を向けてくれた。
「アリス、さっき私が言ったことは私とお前の仲を周囲に知らしめる為だけではない。
泊まりに来るのも実家のように思ってもいいということも私の本心だからな? またお前に此方から手紙を出しても良いだろうか?」
そうして、お祖父さまにそう言われて、私はお父様とお祖父さまの遣り取りが分からないままながらも、その言葉に、こくりと頷き返した。
「はい、ありがとうございます。……お祖父さまからのお手紙、嬉しいです」
よく分からないけど、お祖父さまからお手紙を頂けることは素直に嬉しいことなので、ふわっと笑って返事をすれば。
お祖父さまは……。
「では、陛下、私はこれで失礼します。
折角のアリスのデビュタントに、あまり長居して、周囲の貴族の挨拶を遅らせるのも良くないことですので」
と、颯爽と言って、風の様に去ってしまった。
去ったといっても、私達の方に背を向けた途端、お祖父さまに声をかけてくるような貴族の人達は沢山いるのだけど。
私達の遣り取りを不思議に思ったのか……。
「陛下、公爵と随分親しい雰囲気でお話されていましたが、いつの間にそのようなことに?
普段、隠居したと言っては、陛下が主催するパーティーでさえ出て来ない御方なのに、アリスのデビュタントに出てくるとは、余程アリスのことを気にかけているのでしょうね?」
と、テレーゼ様がお父様に声をかけてきた。
私も気になって不思議に思っていたことだったので、テレーゼ様のその言葉を有り難いなぁと思っていたら……。
「あぁ、最近になって公爵と歩み寄るような切っ掛けがあってな。
……お前が気にするようなことではない」
と、お父様は口調を濁しながらも、私達に教えてくれた。
【あ、やっぱり手紙の遣り取りで何か2人の関係に変化があったのかな?】
私が内心でそう思っている間にも、お祖父さまがお父様に話しかけてきたことで。私のダンスは終わったから、次の予定だった貴族からの挨拶がスタートしたと見る人達もいっぱいいたのだろう。
私達に話しかけたそうにしていながらも、いつのタイミングで話しかけようかと、ちらちらと此方の様子を窺っている人達の姿が見えた。
これから私はお父様に同席し、挨拶にやってきた貴族の人達の紹介をお父様から聞くことになっている。
それは、私だけじゃ無くてテレーゼ様も、ウィリアムお兄さまも、ギゼルお兄さまも……。
基本的には、私達に挨拶をしてこない貴族の人達の相手などをしなければいけないので。
いつまでも皆でこの場所に固まっている訳にもいかないだろう。
私達と短い遣り取りを終えたあとで、テレーゼ様がお父様に向かってお辞儀をしたあとで、その場を辞したのが見えた。
きっと、これからテレーゼ様の派閥にいる貴族の人達から挨拶されるのに忙しいのだと思う。
【それなのに、私たちの話に最後まで付き合って貰って申し訳なかったかな……】
内心でそう思いながらも、やっと私は会場の雰囲気を落ち着いて見渡すことが出来て。
本当に今まで自分が参加してきた中では、皇族主催というだけあってトップクラスに華やかな会場になっていて……。
今まで見たこともないような、凄い美味しそうな食べ物も沢山出てるなぁと内心で思いつつ、お父様の方に来る貴族の人達を見ながら、自分の背筋をそっと伸ばした。