第165話 お役立ち魔法

 ……どこからか、チュンチュンという鳥の鳴き声が聞こえてきて、開放的な窓から、朝の日差しが差し込んでくる。


 そこで、パチッと目が覚めて、ハッとした。


 思いの他、勉強が捗って昨日ノートに資料を見ながら絶対に覚えなきゃいけない人の名前とプロフィールの主に政治部分を書き写している内に、眠くなってしまって。


 でも、キリの良い所まではどうしても終わらせておきたくて、眠さと格闘しながらノートにペンを走らせていたところまでは記憶にある。


 慌てて机を見れば、何も片付けもされておらず、そのままの状態で残っているのが見えて……。


 多分、昨日、そのまま、寝てしまったのだと思う……んだけど。


【どうして、私、ベッドの中にいるんだろう……?】


 ベッドの中でちゃんとシーツに包まれているこの状況に、驚きながら首を傾げた私は、頭の中で、色々な可能性を考えて、最終的に……。


【もしかして私が机に突っ伏しながら眠っているのを見つけたセオドアが私をベッドに運んでくれたのでは?】


 という考えに行き着いた。


 恐る恐る、ベッドから降りて、裸足のままぺたぺたと歩きながら、扉を開けると。


 いつものように扉の外にセオドアが立ってくれていて……。


「おはよう、姫さん。

 ……どうした? まだ侍女さんも来てねぇのに、珍しいな?」


「セオドア、おはよう。

 ……うん、あのね、もしかして昨日、私をベッドまで運んでくれた?」


 私を見つけて、直ぐにローラのことを話してくれるセオドアに対し、昨日のことを問いかければ……。


「あぁ、俺が運んだ。

 ……昨日、食事のあとデビュタントの資料を見るって言ってただろ?

 あまり長いこと勉強するようなら、侍女さんに何か飲み物でも運んで来て貰おうかと思ってドアをノックしたんだが……。

 姫さんからの応答がなかったから、一度声をかけた後で、勝手に入らせて貰ったんだ」


 と、セオドアから返事が戻ってきた。


「あぁ、やっぱりそうだったんだね。

 本当にありがとう。

 ……気付いたら、眠っちゃってたみたいで」


「だろうな。

 ……机の上に頑張った痕跡がかなり残ってたもんな。

 その際にちらっと見えたけど、あの資料、姫さんが見る用に作られたとは思えないくらい小難しく書いてあって大変だっただろう?」


 その言葉に、やっぱりセオドアが私のことを運んでくれてたんだなぁと思いながら、お礼を伝えれば、セオドアから苦笑しながらそう言葉が返ってきた。


【……やっぱり、あの資料、ちょっと難しいよね】


 私だけじゃ無くて、セオドアもそう思うっていうことは、私の感覚がおかしかった訳じゃ無いのだと、ちょっとだけ安堵する。


「……うん、心配してくれて、ありがとう。

 確かに私には凄く大変な資料であることは間違いないんだけど、多分、ウィリアムお兄さまが基準になっているんじゃないかな?

 ああいうのを出されてもウィリアムお兄さまなら完璧に頭に入れることが出来そうだし」


 私が少しだけ困った様に声を出せば、セオドアも私の言葉に納得したように頷いてくれる。


「まぁ、確かにあの男ならそれくらい簡単に覚えられそうだな。

 ……それで全てがあの男の基準に統一されてんのは納得がいかねぇが」


「……うん、?」


「いや、なんでもねぇよ。

 ……それで、姫さんはあの資料、覚えられそうか?」

「ううん、……多分私には、全部覚えるのは無理だと思う。

 だから効率的にお父様と貴族の人とで話題にあがりそうな話を今から予測して、そこを重点的にノートに書いて覚えようと思って」


「あぁ、それで昨日、姫さんの机周りがあんな風になってた訳か……。

 デビュタントまであまり時間がないから、短期集中で資料を見て覚えなきゃいけないのは勿論分かってるけど、あまり根詰めないようにな?」


「うん。でも、大丈夫だよ。

 セオドアがベッドまで運んでくれたお蔭で、こうしてちゃんと睡眠も取れたから」


 セオドアの配慮にふわっと笑みを溢せば。


 なぜか凄く微妙そうな表情を浮かべているのが見えて、私は首を傾げてセオドアを見上げた。


「セオドア?」


「……よし分かった。

 無理の許容範囲が広すぎるから、そもそも、こっちでルールを決めておけばいいんだな。

 とりあえず、勉強する日は侍女さんに伝えておくのと、何時までするかをちゃんと決めて、それ以降は例え何があろうと必ずベッドに入ること、オーケイ?」


「お、おーけい、……?」


「言質取ったからな? 約束だぞ?」


「えっ!?

 いつの間に約束を……っ!?

 今の約束、だったの……? わ、わかったっ! 気をつけるね」


 セオドアの一言にあわあわしながら声を出せば、よしよしと頭を撫でられる。


 なんだか、上手いこと誘導されて、約束させられてしまったような気がするんだけど。


 心配してくれてそう言ってくれているのは分かっているので、私は大人しく従うことにした。


 それにしても何も言われないって言うことはノート自体を捲って見られた訳じゃ無いんだよね。


 そのことに内心で、安堵する。


 確か最後にノートに書いていた貴族のプロフィールはお父様と懇意にしていた貴族だった筈だから、ノートを捲らない限りはセオドアにはその貴族のプロフィールがパッと目に入った筈。


 その前のページには、これから先気をつけなきゃいけなさそうな貴族のリストみたいなものを、名前だけとりあえずリストアップして、ずらっと書いていただけに一瞬だけ焦ってしまった。


 ――6年後の未来までの要注意人物。


 とか書いていたから、もしも見られていたら何のことなのかと、質問されていただろう。


【……もっと、気をつけておかなきゃいけないな】


 それこそ、今あるノートに全部書くんじゃ無くて、6年後の未来までの要注意人物に関しては、ノートを別に分けて専用の物を作って机の中でも鍵付きの所に保管出来るようにしておいた方がいいだろう。


 セオドアやアルやローラが勝手に私の私物を触ることはまずあり得ないけど、念には念を入れておいた方がいいのかもしれない。


 アルは私が時間を巻き戻したことを知っているけど。


 私が6年も時間を巻き戻したことをもしも知れば、セオドアもローラも、ロイも、私の身体についてみんなに余計な心配をかけてしまうだけだろうし。


 ……巻き戻したことも含めて、6年後の未来の事情についてもみんなに話すつもりはない。


【ギゼルお兄さまのことや、未来で“誰か”が私を殺すことに深く関わっているかもしれない可能性も】


 もしかしたら今回の軸では回避することも出来るかもしれないし、いつも私のことを気にかけてくれるみんなのことを思うと……。


 極力、自分だけで解決出来るなら、誰も巻き込まず、自分だけで解決したいと思うから。


 セオドアに頭を撫でられながら、心の中で改めてそう決めて、これから先の未来についても、じっくり今後考えなきゃなぁと思っていたら。


 丁度、隣の部屋で扉を開けたアルと、私が外に出ているのを見つけて、長い廊下をパタパタと小走りで走ってくるローラが見えた。


「お前達、朝から何をやっているのだ?

 もしやっ、もふもふ強化期間中なのか?」


「あぁ。今月は、姫さんを甘やかそう月間だ」


「むう、なんだそれはっ!

 狡いぞセオドア、僕もアリスのことをモフりたい!」


「アル、私、ペットじゃないよ……?」


【撫でることを、モフるって言わないで欲しい……っ!】


 アルとセオドアの遣り取りで、一体2人からどう思われているんだろうと若干不安になりながらも、そう答えていたら……。


 私達の元へやってきてくれたローラが、此方に向かって申し訳なさそうな表情を浮かべてくるのが見えた。


「アリス様、遅くなって申し訳ありません、直ぐに御支度をっ!」


「ううん、急がなくていいよ、ローラ。1人なのに色々と任せっきりでごめんね?

 手伝えることは私もちゃんと手伝うからね」


「ええ、ありがとうございます。

 ですが、アルフレッド様がお役立ち魔法のかかった高性能な機械を付けてくれたお蔭で色々なことが本当にスムーズで!」


「お役立ち魔法……?」


 ローラから聞き慣れない単語が降ってきたことを不思議に思いながら問いかければ。


「そうなんですっ。

 本当に城に連れて帰りたいくらい万能でっ!」


 と、ローラから言われて、更に首を傾げた私の前に、ファンタジーでしか見たことがないような、小っちゃな岩の塊みたいなゴーレムがホウキを両手に持って廊下を掃き掃除しながら……。


『ローラ、サン、ローラ、サンっ! 

 コノ、フロアデ、掃キ掃除、終ワリマス。

 次ハ、何ヲスレバ、イイデスカ?』


 と片言の機械音のようなものを呟きながら、此方にやってくるのが見えた。


「何あれ、可愛い……っ!

 凄いっ、掃き掃除してるっ!」


「そうなんです、アルフレッド様が魔法で作って下さって!」


「うむ、ローラが困っていたから、僕の魔法で生活全般の助けになるゴーレムを作ってみたのだ。

 掃き掃除をしているように見えるが、あれは実際にはあのホウキに浄化魔法がかけられていてな。

 ……掃いたところからまるで新品のように綺麗になっていっているであろう?」


 私が岩の塊に愛嬌のある目と口が付いている存在に目を奪われ、可愛いと声に出せば、アルから補足のように説明が飛んで来た。


 確かにアルの言うとおり、ゴーレムがその場所を通った後は、普通は掃き掃除だけでは取れることのない、くすんだ汚れなどもみるみる内に白へと変わっていっているのが見てとれた。


「城では僕の魔法を大っぴらに出す訳にはいかぬが、此処にはお前達しかいないからな。

 料理や掃除など、ローラに侍女の仕事について詳しく聞いて作ったから、お前達人間の仕事もかなり万能にこなすことの出来るお手伝いゴーレムだぞ」


「本当に、一家に一台、導入して欲しいくらい素敵ですっ!」


 ローラのその言葉には、凄く熱がこもっていた。


 確かに、このゴーレムがあれば、生活はより豊かな物になるだろう。


「ローラ、いつも本当にありがとう」


 アルが魔法で作ってくれたこのゴーレムが、元々はローラの仕事を基礎にして作られているのだということは……。


 それだけ、ローラが1人で何でも万能に仕事をいつもこなしてくれていることの何よりの証明だし、本当にその有り難みが身に沁みる。


 最近エリスが入ってくれたから、少しは負担が軽減されているかもしれないけど。


【でも、やっぱり随分負担を強いてしまっているよね……】


 内心でそう思いながら、お礼を伝えれば、ローラは私に向かって。


「アリス様の身の回りのことは、私が好きでしてるから良いんです!」


 と、言ってくれる。


「それにしてもアリス様、珍しいですね。……寝間着のまま、外に出られているなんて」


「……あっ、そ、そうだった……っ。

 昨日、セオドアがベッドまで運んでくれたこと、確認しようと思って、つい……」


……という、と……アリス、様?」


 ローラの問いかけに何気なく答えた私に、ローラが『うん? 今の話、聞き捨てならないぞ?』という無言の圧力で此方を見てくるのが見えて、私は、内心であわあわしながら……。


「あの、違うのっ、そのっ……倒れたりした訳じゃなくて、気付いたら、机の上で寝ちゃってただけでっ!」


 と、声を出す。


「へぇ、成る程。……そうですかぁ。

 ……昨日は、気付いたら机の上で寝てしまうほど勉強を……?」


「えっと……」


「アリス、諦めろ。

 ……どう考えても今のお前、詰んでるぞ?」


「姫さんにはとりあえず、勉強する日は侍女さんに伝えておくのと、何時までするかをちゃんと決めて、それ以降は例え何があろうと必ずベッドに入ることはルールにして明確に約束させておいた」


 アルの言葉と、ローラの迫力にどうしたらいいのか分からず、困り果てていたら、セオドアからの天の恵みとも呼べる一言が降ってきて。


 私が無理をしていたんじゃないかというローラの心配からくる物が、ちょっとだけしぼんでくれてホッとする。


「セオドアさんと約束したなら大丈夫ですねっ!

 次回からはちゃんと何時まで勉強するかも私にしっかり教えて下さいね!」


 その台詞だけ切り取れば、何て言うかちょっとだけ恋愛小説とか恋愛物の劇とかによく出てくる、恋人のことを縛る彼氏とか彼女みたいな台詞だなぁ、と内心で思いながら、私は……。


【もう二度と勉強中に寝ない】


【眠くなったら自主的にベッドに行く】


 ということを固く決意して、ローラの言葉にこくこくと、頷き返した。