それから、ハーロックとより詳しく当日の段取りについては話しあって、別れたあと。
その日はあっという間にやってきた。
色々と此方で手配はしておくと言ってくれた通り、昨日一日を使ってあれこれと準備をしてくれたのだろう。
一日でかなりやつれたような雰囲気になっていたことからも、急ピッチで準備をしてくれたのが手に取るように理解できた。
お母様の馬車などを使用すると私が王宮外に出てしまったことが直ぐにバレてしまうので、信用のおける彼の
ハーロックが個人で使っている馬車に積み荷と一緒に乗り込んで、王宮を出たあとでスラム街近くの人目のつきにくい場所に降ろしてもらう。
時間のリミッターは18時頃までで、降ろしてもらった同じ場所にその頃に迎えの馬車を寄越してくれるらしい。
時間が限られているため、一分も無駄には出来ないと、今日の私は太陽がまだ昇る前の明け方から、早起きしていた。
【ちなみに昨日のうちに、アルや、ローラ、エリスには事情を説明済みだ】
事情を話すと、特にローラからもの凄く心配されてしまったけれど。
セオドアも一緒についてきてくれることや危険な真似は絶対にしないことを説明すれば、みんなある程度、納得してくれた。
「お嬢さま、此方が、用意しておいた服です」
ハーロックが早い時間帯から来てくれて、私にそっと袋を手渡してくれる。
袋の中身を見れば、平民が着るような洋服が入っていた。
私の要望通りの、男の子の格好、だ。
「ありがとう」
一つ、お礼を言ってから一度、従者のみんなが退室してくれたあとで洋服に袖を通す。
簡単に用意された洋服に着替え終わると、ローラが私の髪を結わえてくれたあと。
なるべく違和感がないように男の子っぽい髪型になるよう調整してくれた。
そこで、ハーロックが用意してくれた帽子を被れば一応完成だ。
いつもはドレスを着ているし、短パンを履き慣れていないせいもあって何となく心許ない感じを覚えながら……。
「……どうかな、?」
と、声を出せば。
「うむ、そうしてると、まるで僕みたいだな、アリス」
と、アルが私をまじまじと見ながら、言葉をかけてくれる。
こんなにも朝早い時間帯だというのに、みんな起きて私の準備に手伝ってくれていた。
「……あぁ、姫さん、っと、悪い。……弟よ、そのなんつうか、行儀が良すぎるぜ?
それじゃぁ、平民っていうよりどこかの商人とか、ある程度、教養を覚えさせられた坊ちゃんだ」
「あ、えっと……セオ、……お兄ちゃん。
ごめんね、一応、これでもなるべく頑張って違和感がないようにしてるつもり、なんだけど……、そのっ、難しい、な」
「付け焼き刃で長年染みついているであろう、礼儀作法は直ぐには消せぬものです。
……お嬢さまも問題ですが、あなたもその、なんていうか、逆に馴染みすぎでは?」
「……まぁ、それについては否定はしねぇけど」
黒一色に身を包んだセオドアが私に向かって声をかけてくれる。
自分がノクスの民であることが、傍からみて直ぐにはそうと判別出来ないように『無いよりはマシ』と、フード付きのコートを羽織ってるセオドアは、なんていうか凄く似合っていた。
スラムに入るために今日一日だけ、私はセオドアの弟という設定になっている。
当然呼び方も、いつもセオドアが私を呼んでくれる『姫さん』も、私からセオドアを『セオドア』と何も付けずに呼び捨てすることも可笑しいので。
私は今日、セオドアのことを『お兄ちゃん』と呼ぶことになっていた。
因みに、セオドアには今日一日、私のことをアリスと呼んでもらおうかといった案も出たのだけど。
男の子の名前でアリスってどう考えても可笑しいし。
かといって、対になる名前を考えても難しいので、『お前』とか、『弟』とか。
臨機応変にその場に合わせて呼んで貰うことにした。
お互いにぎこちない呼び合いになっているのも。
【なるべく早く慣れないといけないな】
と、頭の中で考える。
「いいですか?
きちんと何事も無く帰って来られることが第一です。
最悪、今日、お嬢さまの言うジュエリーデザイナーに出逢えなかったとしても。
まだ今なら装身具の件は無理を押し通せば、此方で手配出来るギリギリの期限が残っていますから。
あくまでも、最善を考えて今日一日、お嬢さまが外に出ることを見過ごしているだけなので、危険な真似だけは絶対にしないで下さいね」
言い聞かせるようなハーロックのその言葉に私はこくりと頷き返した。
「んじゃ、そろそろ
……できるだけ人目につきにくいように早朝を選んでるからな」
「うん、そうだね」
「むう、僕の服も用意されていれば、出来れば僕もお前達の安全のためについていきたい所だったのだがな。
まぁ、その代わり此方に関しては僕に任せるがいい。
お前達、気をつけるのだぞ」
セオドアの言葉を聞いたあと、気を引き締めながら、扉を開けて。
自室から出る間際、アルが私たちに声をかけてくれた。
はっきりとそう言ってくれるアルの頼もしいその声かけに……。
私は、お礼を口にして、今度こそ自分の自室から出た。
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ハーロックが用意してくれた馬車にセオドアと一緒に乗り込んで何事も無く王宮から出た後。
何分くらい経っただろう……。
それまで、ガタゴトと揺れていた馬車が静かに停車したのが分かった。
視線をあげて、セオドアと目配せしたあとで、セオドアがカモフラージュ用の積み荷をそっと避けてくれて、私たちは外へと出た。
「……それでは手筈通りに、18時頃また此方までお迎えにあがります」
どこかぎこちなく声をかけてくれる馭者の人にお礼を言う。
この人もまさか自分がこんなことに巻き込まれるとは思っていなかっただろう。
バレてしまったらそれこそ、お父様から大目玉を食らってしまうのは間違いない。
それでも、ハーロックが用意してくれただけあって、余計なことも何一つ言わず。
そのまま、何事もなかったかのように馬車を走らせて、私たちの前からそっと離れてくれた。
「……そういえば、セオ、お兄ちゃんはスラム街に来たことあるの?」
「ん? いや、この国のスラムは初めてだな。
けど、大体こういった場所は複雑に入り組んでいて初見じゃ分かりにくいように思えても、どこも似たり寄ったりだ。
危ない場所ってのは、混沌としていて、一見秩序なんて欠片もねぇように思えるが、それでも危ない場所には危ない場所なりの、ルールってもんがある」
「危ない場所なりのルール?」
「あぁ、こういう場所は確かに犯罪者も多いけど。
それら、全てを放置していたら、あっという間に無法地帯と化すからな。
そんなことが許されるなら、街自体が、とっくに無くなっちまってるよ。
……それでも一応貧困街として街が成り立ってんだ。
どっかにある程度を取り仕切ってる元締めがいる筈だ」
「……そ、そうなんだ……っ」
私の知らないことがいっぱいあるなぁ、と思いながら。
セオドアに、『多分、こっちだな』と、案内されて、私は大人しくセオドアについていく。
セオドアの足は迷いが無くて……。
本当に今日初めてスラム街に来た人とは思えないほど。
入り組んだ路地裏の中をスイスイと進んでいく。
「……ひめさ、……っあー、そのなんだ。
もうすぐ、人の感じが変わるから。その覚悟だけはしておいてくれ。
それと、俺との約束はちゃんと覚えてるな?」
そのセオドアの足が急にピタリと動きをとめて。
私もつられるように足を止めれば、前を歩いてくれていたセオドアが私の方を振り返って声をかけてくれた。
「うん、覚えてるよ。
絶対にセオドアの傍から離れないこと。
危なくなったらセオドアの後ろに必ずいること。
なるべく、能力は使わない、こと……」
「よし、上出来だ」
【行くなとは言わないし、姫さんが行くのが一番効率が良いのは分かってるから。
あの執事にはああいう提案をしたが、これだけは絶対に約束してくれ】
と、セオドアに言われて、交わした約束を口にすれば。
口の端を吊り上げてセオドアが私を褒めてくれたあと、頭をポンポンと撫でてくれる。
それから、また歩くのを再開させれば、暫く経ってから、セオドアが私に、人の感じが変わるから覚悟だけはしておいてくれと話してくれたその言葉の意味がよく分かった。
一歩、足を踏み入れれば、さっきまでは、人が一人もいない状態だったのに、ポツポツと人の影が見え始めた。
【ここが、スラム……、貧困街】
ハーロックが用意してくれた服は平民が着る用の服で、別に特別、可笑しなものではないと思う。
でも、私たちのことを放っておいてはくれないようなそんなピリピリとした緊張感のようなものが一斉に、私たちに降りかかってきた。
表立って誰かに声をかけられた訳じゃない。
【でも、ずっと遠巻きに私たちのことを見られている】
それはすれ違う人もそうだったし。
古いタオルのようなものを地面にひいて、そこで暮らしているのだろうか?
まだ、私とあまり変わらないような子供が、座ったまま、私たちの方をじっと見つめてくるのが見えた。
それら全てを、意にも介さずに。
セオドアの足取りは私の歩幅を考えてくれているようなものながら、迷い無く、ただ前へと進んでいく。
「あの、お兄ちゃん……」
「あぁ、大丈夫だ。……奴らの見知った顔じゃねぇから、新参者かと思われてんだろ。
こういうのは、堂々としてりゃ、大抵は問題ない」
「……うん、分かった」
後ろから、小声で聞けば、セオドアが苦笑しながら、私に向かって言葉をかけてくれる。
セオドアに倣って、なるべく周囲に視線を向けることなく、セオドアの後ろをついていけば。
暫く入り組んだスラムの中を歩きまわったあとで、人の多い賑やかな場所に出た。
さっきまでの静けさがまるで嘘かのように、そこに人が住んで暮らしているのだろう、生活音が聞こえてくる。
そうして、誰かの怒号や、物音の激しい喧噪の中、暫くセオドアがその場に止まって、物音に耳を傾けてから。
やがて、私の方を振り向いて。
「……大体、分かった。まずは、情報屋からだな。
大抵、こういう場所で暮らす連中について詳しい奴がどこかにいる筈だから、ソイツに話を聞きに行こう」
と、声をかけてくれた。