騒がしい喧噪の中で、セオドアが何を聞き取ったのかまでは私にはよく分からない。
私にとっては色々な音が混ざって、雑音にしか聞こえないそれを。
セオドアは聞き分けることが出来たんだろうか?
こういう時のセオドアは本当に頼りになるなぁ、とぼんやり頭の中で考えながら、迷いなく動き始めたセオドアの後ろを再度ついていこうとして……。
「……っ、」
歩き始めたセオドアが突然、足を止めたことにより、私は止まりきれずセオドアの背中にコツンとぶつかってしまった。
「あ、ごめっ、お兄ちゃん、大丈夫だった?」
そろりと窺う様にセオドアの方を見ながら声を上げれば。
「オイオイ、そこの兄ちゃん、見ねぇ顔だな?
スラムは初めてかァ?
こぶ付きでスラムに来てんなら、丁度良い。
2人分だ。……ここに住むんなら、前金が必要だぜ?
悪いことは言わねぇからよォ、有り金、全部ここに置いていけっ」
前方から、悪そうな3人組のリーダー格の男の人が、セオドアに向かって突っかかってきたのが見えた。
【……わぁっ、こんなコテコテな人達っ、小説の中でしかみたことがないっ!】
巻き戻し前の軸で見た冒険活劇を思い出した私は、こっちに向かって、今にも『オラオラ』言いだしそうな人達を見て、驚きに目を見開いた。
「……はぁっ、……チっ、……ンドクセー、な」
「ハァ!? オイ、テメェ今、舌打ちしなかったか!?
状況見て、舌打ちしてんだろうな? こっちは3人いるんだぞ?」
「……状況が全く見えてねぇのはテメェ等の方だろうが」
「あんだと!?」
セオドアが面倒くさそうに声をあげるのを聞いて
「テメェ、こっちが下手に出てりゃいい気になりやがっ……ぐぁっ!」
こっちに向かって大ぶりに腕を振り上げて、殴りかかってきたその人よりも早く、セオドアが思いっきりその人のお腹に拳を叩き込む。
「なっ! お前っ、何しやがんだよっ!」
ドシャっという派手な音を立てて、後ろに飛ばされて倒れたその人を見て。
残った二人の瞳が怒りに吊り上がり……。
二人目の人が此方に向かってくるのを、その腕を掴んで引っ張り、いなした後。
その後ろから僅かに遅れてやってきた三人目に、セオドアが利き手じゃない方の手でその顔面に拳を叩きこんだ。
「……っ! ……ぐっ、!」
そうして、あまりの痛さにか、セオドアの攻撃に顔を手で押さえながら。
ふらり、とよろけて、立っていられなかったのか、そのまましゃがみ込んでしまったその人を置いてけぼりにして。
その後で、未だ掴んだままだった二人目のその手を背中側に持っていって思いっきり捻りあげるのが見えた。
【……すごいっ……。素手で、全員やっつけちゃった……】
僅か数秒足らずのあっという間の出来事に。
私は目をぱちくりとさせながら、事の成り行きをただ、セオドアの後ろで見ていることしか出来なかった。
「あだだだっ、す、すんませんっ。
お兄さんっ、なんていうかほら、ほんの、冗談ですってば。
離して……っ、お願いっ、お願いしますっ!」
セオドアに腕を無理な方向に捻り上げられていたその人が。
観念したように、情けない声を上げるのを見届けて……。
ようやく、その人の腕を離したセオドアは……。
「……喧嘩売るんなら、相手見て喧嘩売れよ。
敵の力量もまともに把握出来ねぇで、誰彼構わず喧嘩売んのは、テメェの命、無駄に縮めるだけだぜ?
なぁ、ほら、死にたくねぇよなァ?」
と、ぺちぺち、倒れた一人目の頬を手の甲で軽く叩きながら。
悪魔のように口の端を吊り上げて、微笑んで。
「丁度良かったんだけど、テメェ等そこそこ、このスラムに詳しいな?
俺ら今、人捜しで情報屋探してんだけど、この貧困街に長く住んでる色々と訳知りな奴の居場所教えてくんねぇ?」
と、声に出す。
「……いやっ、……そんなの、今日来たばかりの新参者に教えられる訳っ」
「よぉし、分かった。……仲間の腕、一本じゃ足りねぇか?」
「……お、教えるっ! 直ぐに教えるからっ、だから、悪かったって、もう勘弁してくれっ!」
【一体、どっちが、悪者なのか分からない状態になってる……っ!】
情けない声を出しながら眉を八の字に寄せ。
今にも泣き出しそうになっているリーダー格っぽい男の人が、吠えるように声をあげるのが聞こえてきて。
倒れている三人はぐったりしているのに、セオドアは息一つ乱していないその対比に、色々と心配になって、私は声をかけた。
「……あ、あの、お兄ちゃんっ。その人達、だいじょう、ぶっ?」
「ああ、大丈夫だ、この通りピンピンしてるだろ?
滅茶苦茶、手加減したからなっ!
だから、ひめ、っ、弟のお前が心配する必要はこれっぽちもねぇよ」
ふわりとこっちに向かって微笑んでくれるセオドアの顔は、私のいつもの見慣れたような笑顔だった。
安心出来るような、そんな表情に私もホッと胸を撫で下ろす。
「……いや、兄さんよォ……?
コイツの腕、折れてはないにしても変な捻り方してんだから、軽く捻挫くらいはイってるだろ……」
「アァ、っ!? テメェらみたいな分際が俺の弟の心配を受けるなんざ許されねぇんだよっ!」
「ひぃぃっ、!
今、なんで怒られたんだ、俺っ!?
兄さん、理不尽すぎんだろっ!」
セオドアの圧に耐えきれずに、顔を背けるその人たちが、目に見えて怯えているのが、なんだか可哀想に思えてきて。
私はハーロックに持たされた平民用の鞄をぱかりと開けた。
【いいですか、お嬢さま。
これは何かあった時のために持っておいて下さい】
と、念押しされて、馬車に乗り込む前に渡されたものだ。
馬車の中で一応確認はしたけれど、万が一のことがあったときの為に役立つ救急セットが色々と入っていた。
「あの、腕……、痛みますか?
そ、その、ごめんなさい……。
わた、ぼ、僕のお兄ちゃん、ちょっとだけ心配性なところがあって。
きっと今も僕のことを必要以上に守ってくれようとしただけなんです。
……もし良かったら、これ使って下さい」
【捻挫の時って本当は冷やしたりした方がいいんだっけ?】
今は手持ちにそういうのは無いなぁ、と。
鞄の中を見て、私は、あ、これだったらもしかしたら使えるかな?
と包帯を手に取ってセオドアに腕を捻られた人に声をかける。
【これで固定してあげたらちょっとは痛みが和らぐかもしれない】
そんなことを思いつつ。
人の手当てなんて初めてするし、こういうのに慣れてないから、たどたどしい動きで、巻き戻し前の軸のお医者さんの処置を見よう見まねで、四苦八苦しつつ……。
かなりの量使っちゃったけど、キュッと強めに固定するように肘を巻いてあげたら。
びっくりされた後で、此方をまじまじと見られて。
……その反応に、どうしたらいいのか分からなくて。
困った私はとりあえず、にこっと、笑顔を向けた。
「そんなっ、俺のために、天使かよっ。……あぁっ、ありがとうございます」
「お、男の子、だよな? ……可愛い。天使、だ」
「クソ、1番目に殴りかかるんじゃなかった。……2番目に怪我していれば俺がっ」
「オイ、コラ、俺の弟を見るな、近寄るな、どさくさに紛れて触ろうとしてんじゃねぇよ。
もっぺん、まとめて地獄にたたき落とすぞ?」
とりあえず、落ち着いたのか。
セオドアのその一言に一気に大人しくなって。
ずっと地面に座っている訳にもいかないと思ったのだろう、立ち上がった3人を見て。
ため息を一つ吐いたセオドアが。
「んで? 右からA、B、Cって呼べばいいか?」
と、声に出す。
「そんなっ、流石にあんまりですっ!
右から、デルタ、エプシロン、ゼータっす」
「……似た様なもんじゃねぇか」
「仕方が無いっすよ、俺等生粋の孤児だから」
粗暴な喋り方のリーダー格の茶色の髪の人がデルタ。
【1番目にセオドアにやられた人】
今喋ってるちょっとくだけた敬語の、くすんだ緑色の髪の人がエプシロン。
【腕を捻挫しちゃった人】
グレーっぽい髪の人がゼータ。
【3番目の人で、あまり喋らない……、片言っぽい……?】
わいわいと一気に騒がしくなった人達を見ながら、一人一人の名前を内心で反復させながら、それぞれの特徴と合わせて必死に名前を覚える私を置いて。
彼らに向かって。
『分かった、分かった』と、軽くあしらうように声をあげたセオドアが。
「んで?
ここの情報に詳しい奴の居場所、教えてくれんだよな?
と、声をあげる。
セオドアのその一言で、さっきまで賑やかに話していた三人が、まるで時が止まったかのようにその動きを止めたあと。
「……ちょっ、ちょっと、お兄さんたち。
こっちに来て下さいっ!」
と、慌てたように、腕を捻挫したエプシロンが私たちを隅の方まで、手招きして誘導する。
【急にどうしたんだろう?】
と思ったら……。
喧嘩をしたせいか、私たちは想像以上に周囲の注目を集めていた。
私とセオドアが移動したのを見届けたあとで。
リーダー格のデルタが、そんな周囲の目を気にしながら。
……こそこそっと、此方に向かって声をあげる。
「……オイ、兄さん、その名前は表立ってここで言うの、禁止なんだよ。
っていうか、今日スラムに来たばかりだよな? ツヴァイの爺さんのことなんで知ってんだっ?」
「いや、直接会ったことはねぇよ。
……ただ、まぁ、ちょっと小耳に挟んで知ってただけだ。
その爺さんのことを頼りたい。金で動いてくれる奴なら一番楽なんだが……」
「いや、ツヴァイの爺さんは金じゃ、動かねぇ……っ」
「……なんだ、信頼か? それとも、興味、か……?」
「興味だ」
「あぁ、ソイツはやべぇな……。
一番面倒くさいパターン、引き当てちまったか」
セオドアが心底面倒くさそうに声を上げるのを見て。
よく分からなくて、話についていけない私は、彼らの遣り取りをただ黙って見守るしか出来ない。
「会いたくねぇ奴には、
「……だろうな。何となくそんな予感は、してた」
「しかも会って貰ったからって、話を聞いて直ぐに情報を教えてくれるとは限らねぇんだ。
あるときは、スラム内のいざこざを解決しろとか、無茶とも思える頼み事を聞かなきゃ教えてくれなかったり。
また、あるときはソイツの持ち物を欲しがったり。
一番ヤベぇなって思ったエピソードは、お前の大切なものは何だ? って聞いたあと、それを躊躇なく儂に差し出せって言ってきたり、な。
とにかく、会ったからといってまともに話を聞いてくれるとは限らねぇってことは分かってくれ」
ちょっとだけ疲れたような顔をするリーダー格のデルタに。
話を聞いてから、セオドアが……。
「……ま、最初から人捜しがすんなりと事を運ぶとはこっちも思ってねぇよ。
案内するだけ案内してくれ。後のことはこっちで考える」
と、声をかけるのが見えた。
何とか、二人のその遣り取りで、私でも話の大筋は把握出来た。
これから私たちが会う、情報屋のツヴァイさんは、どうやら一筋縄ではいかない人らしい。
セオドアの言葉を聞いて、三人が目配せしあって頷いたあと。
「マジでどうなっても、俺等は知らねぇっすよ」
と、捻挫したエプシロンが声をかけてきて、私は彼のその言葉にこくりと頷いたあと。
案内するように歩き始めた三人の後ろをセオドアと一緒についていく。
「……あ、ねぇ、セオ、お兄ちゃん。
さっきの、ツヴァイさん? のこと、その人が情報屋だってなんで分かったの?」
前を歩く三人には聞こえないようにこそっと、セオドアに問いかければ、セオドアが私の方を向いてふわりと微笑んでくる。
「あぁ、偶然、雑音に紛れて聞こえてきたんだよ。
ツヴァイの爺さん、ってな。……ソイツが情報屋なのかどうかは賭けだったが。
爺さんってことは年長者だろ? スラムに長く生活して生きてるってだけで自然に此処の事には、詳しくなるだろうから、それだけで会ってみる価値はある。……んで、鎌をかけて聞いてみただけだ」
『情報屋のことを教えるって言いながら、コイツらが本当にちゃんとした情報屋に案内してくれるとは限らなかったしな』
私にだけ聞こえるように、耳元でセオドアにそう言われて……。
【……本当に、色々なことを考えて動いてくれてるんだな】
と、私はただ驚きに目を見開いた。