私の言葉を聞いて。
ぽかんと口を開けて、一瞬時が止まったかのように微動だにしないハーロックに。
「あ、あの、ハーロック、聞こえてますか?」
戸惑いながらも、気遣うように声を出せば、私の呼びかけに、ハッとしたような表情を浮かべたハーロックが、コホン、と、一つ、咳払いをして取り繕ったあとで……。
「お、お嬢さまっ、その……、私の聞き間違いでしょうか?
今、お嬢さまの口からスラム街っていう単語が出た気がしたのですが?」
と、此方に向かって問いかけてくる。
私はその言葉にふるりと首を横に振って。
「いいえ、ハーロックの聞き間違いではないです。……今はスラム街にいるんです」
もう一度。
ちゃんと、ジュエリーデザイナーが今いるであろう場所を明確に言葉に出した。
「も、申し訳ありませんが、お嬢さま。
スラム街を否定する訳ではありませんが、ああいった場所は貧困故にごろつきが多くあつまる場所です。
そんな場所に、本当にダイヤの原石のような存在が暮らしているのですか?」
「はい。
……私に教えてくれた行商人が言ってたので間違いはないと思います」
「元々は、代々跡を継いで城下でお店を経営していたそうなのですが。
彼の父親の代で経営を悪化させてしまって、最終的にはお店を手放さざるを得なかったそうで。
それに伴い、今は、貧困街で暮らすしかなくなってしまったみたいなんです」
巻き戻し前の軸で、行商人の人から聞きかじった知識をフル活用させながら。
ハーロックに、現在の状況をなるべく分かりやすいように説明する。
「ただ、お店に加工前の宝石が残っていたそうで。
本来はそれを売れば、当面の暮らしは保障されるのだと思いますが。
そうすることはせず、スラムで暮らしながらも今は限られた材料の中で、再起をかけてジュエリーのデザインを細々と手がけているみたいです」
お店を手放したことで、借金までは背負うことはなかったみたいだけど。
それでも手元に残った宝石を売り払うことまでせず、あくまでジュエリーデザイナーとしての自分の腕を信じて、装身具を作り続けたというのは。
私の説明に、少しだけ考え込んだあとで。
「……なるほど、話は分かりました。
しかしお嬢さまは、どうしてそのようなことまで詳しく?」
「行商人が来てくれた時に、これから絶対にこの人の商品は来るだろうと、熱く語ってくれていたので、その話が頭の中にもの凄く残ってたんです。
たとえ、一人であろうとも、目利きの行商人にそんなにも熱く語られる程の人ですし。
ちょっとの切っ掛けさえあれば、きっとブームが来ると思うんです」
無名で、スラムという場所に住んでいるというだけで。
どうしても、マイナスなイメージが浮かんでしまうのだろう。
もしかしたら、胡散臭いと思われてしまったのかもしれない。
私の話を聞いてから、ちょっとだけ。
どう対応したらいいものか、と、困ったような表情を浮かべたハーロックに。
内心で慌てながらも。
なるべく、プラスなイメージを持って貰おうと、一生懸命、今思いつくところから補足するように声をあげる。
「それに、皇族のパーティーで、お父様も招待客が多いと言っていましたし、披露する場所としてはこれ以上ないほどに最適だと思います。
何より、新しい物は、人の目を引きやすいですし」
「あぁ……、いや、これは失礼しました」
私の必死なプレゼンを聞きながら、ハーロックが私に対してにこりと笑みを向けてくる。
「お嬢さまが今、社交界で流行を作っているということは私の耳にも入ってきていますから……。
そのような分野に秀でているであろう、お嬢さまのその目を疑っている訳ではありません」
そうして、そう言われたことに内心でホッと安堵した。
無名で、何の実績もない人のことをプレゼンするのは本当に難しい。
正直、そこに関しては狡なので申し訳ない気持ちを抱きながらも、ジェルメールで、洋服を作って、ほんの少しでも自分の評判を高めておいて良かったと、心の中で思いつつ。
【じゃぁ、今……ハーロックが困ったような顔をしたのはなんでなんだろう?】
という、疑問が湧いてきて、私は首を傾げた。
「……あの、ハーロック。……何か、問題があります、か?」
私の問いかけに、ほんの少しだけ渋い顔をしたあとで。
「スラムでの人捜しというと、どれほど人員を割いていいものか。
……お嬢さま、そのジュエリーデザイナーの名前は分かりますか?」
と、問いかけられた。
「……あっ、はい、あの、名前は分かりますけど。
きっと、スラムでは本名で過ごしていないと思います……。
その、顔自体は、行商人の人に人物画を見せて貰ったことがあって、私は知っているのですがっ」
「……ふむ、お嬢さまに特徴を聞いて。
大規模な捜索を仕掛けてその人物を探したとしても、入り組んだスラムで見つかるかどうか。
何より、それほど大規模な捜索になると陛下から許可が下りるかどうかも、考えねば」
「……あぁ……、そっか、そう、ですよね」
ハーロックにそう言われて。
その懸念すら、頭に浮かばなかった自分が恥ずかしい。
【やっぱり、無茶な話だったのかな……?】
一気に手詰まりになったように思えて、項垂れる私の後ろから……。
「あー、話の最中、口挟むのも悪いんだが。
コイツは、もっと根本的な話、だ。
スラムでの捜索を王命で、大規模な捜索なんかやらかしたところで、そういう手合いは絶対に口なんか割らねぇぞ」
と、セオドアが声をかけてきてくれた。
「閉鎖的な世界で生きる奴らからすれば、情報ってのは何より大切な生命線だ。
アイツらにとっちゃ、明日生きられるかどうかも分からない世界の中で、物々しく帝国の紋章をつけた騎士が何人も出入りしてみろ。
“人捜し”だって、例え本当の名目を言ったとしても、そうとは信じねぇだろう。
まず、何があるんだって疑われんのが先だ」
『これから先、自分にとって良くないことが起こるんじゃねぇか。
自分の居場所がもしかしたら、奪われるかもしれねぇってな』
真剣な表情をして色々とスラムのことについて教えてくれるセオドアに、思わず聞き入ってしまう。
スラム街に住んでいる人達がどういう生活をしてきているのか。
恵まれた環境で過ごしている私がこんなことを考えるのは烏滸がましいかもしれないけど。
でも、これから先、自分にとって良くないことが起こるんじゃないか、って。
自分の居場所がもしかしたら、奪われてしまうんじゃないかって。
そう思って、疑心暗鬼になるような気持ちは、私にもほんの少しかもしれないけど理解出来る。
――ずっと、そうやって生きてきたから
「だから、こういう時は少人数で聞き込みするに限るし。
地位が高いなら高いほど、自分たちの身分を明かすなんてもってのほかだ。
人目につきにくいように“それなり”の格好して潜入して探るのが一番いい」
「それなり、というのは?」
「郷に
スラムじゃ、身なりのいい格好してんのは私に犯罪して下さいって主張して歩いてるカモだ」
「なるほど。
入っても馴染めるような格好をして出入りしろということですか。
ふむ、しかし、スラムに少人数で入っても並大抵なことじゃ問題がなくて、そういうのに精通している人間と言われると……」
セオドアの言葉を聞いて、少しだけ考え込んだあとで。
悩んだ表情を一転させて、不意に思い立ったようにハーロックが顔を上げた。
「……お嬢さま、適任者が今、私の目の前に……」
「……あー、ソイツは俺のことか……?」
ハーロックのその言葉に、セオドアは別段驚いた様子も見せず。
呆れたような口調で声をあげる。
もしかして、私とハーロックの話を聞いて、セオドアはこうなることを見越して言葉を出してくれていたのかもしれない。
「あ、あのっ……それだったら、私もセオドアと一緒に行きます」
二人の話を聞いて、いてもたってもいられなくて、自分で名乗りでれば。
「……いやいや、お嬢さまっ!
何を仰いますかっ! そんなことさせられる訳ないでしょうっ!」
と、ハーロックから、全力で否定されてしまった。
「でも、私しかまともに彼の顔を知らないでしょう?
……それに、彼の作品がどんなものなのかを知っている人間も私だけです。
彼の作る作品がどれほど素晴らしいものなのか、本人に、説得できるのも多分、私だけだと思います。
その、出来るだけ危ない真似はしないし、ずっとセオドアの傍にいるし……。
お荷物かもしれないけど、自分の身くらいは自分で守れるようには立ち回って、迷惑はなるべくかけないようにするので……」
ハーロックに否定されてショボンと落ち込みながらも、巻き戻し前の軸でその顔は覚えていたから。
私が行けば、一目見ただけで、ジュエリーデザイナーが分かるだろうと思って声をかける。
危険は勿論、承知の上だし、決して遊びに行くような感覚で言っている訳じゃない。
それに何より、セオドアが幾ら身体能力が高いからって、一人で行って無事な保障なんてどこにもない。
【私が、ついていく方がもしかしたお荷物かもしれない】
とは、頭を過ったけれど、それでも。
どこかのタイミングで、私の能力がもしかしたら生きることもあるかもしれない。
「あ、あのっ、少しでもリスクを減らすために男の子の格好をするのはどうかなって。
髪を結わえて、高い位置でくくって帽子を被れば男の子に見えなくもないかなって思ったんですけど……」
私の言葉に……。
「……そういう問題ではっ!
ただでさえ、お嬢さまはその髪色から、陛下からは外に出ること自体が許可されていないというのに、スラムだなんて危ない場所、陛下からは絶対に許可など下りるはずがありませんっ」
と、ハーロックが声をあげる。
「……許可が下りなきゃ、そもそもの話、皇帝に逐一話す必要性あるか? 黙ってればいいんじゃねぇの?」
「……っ! まさかあなた、お嬢さまの騎士でありながら、お嬢さまのことを危険に晒すおつもりです、か……?」
「いや、そうじゃねぇけど。
現状、確かにそのジュエリーデザイナーのことが分かんのは、姫さんだけだ。
んで、スラムで過ごしている人間ってのはさっきも言ったが用心深い連中が多い。
俺一人で行って、皇女様がお前のその腕に惚れ込んでるから一緒に来てくれ、って言われたら、アンタだったら従うか?」
セオドアのその発言に、ハーロックが深く考えこんだあとで。
「……いいえ。直ぐには、信じることは出来ないでしょうね」
と、絞り出す様な声をあげる。
「姫さんが皇女だっていう証は、姫さん自身にある。
この国で生きていりゃ、皇女の髪色は誰もが知っているだろう?
それもただの、赤みがかった色とか、そういうんじゃなくて、鮮やかに目をひくような赤だ」
「確かに、これほどの色合いを持っている人物はそうそういないでしょう。
それが、お嬢さまが皇女であると何よりも証明出来る証拠になると?」
「……少なくとも、俺一人で行くよりは信憑性が高いだろ?」
「……っ、それで、私に陛下に報告せず、黙って見過ごせ、と?」
「主人一人、守り切れもしねぇで何が騎士だ。……そう思わねぇか?
そもそもアンタの心配しているような事にならねぇなら、何も無かったのと一緒だろ?」
ほんの少し、セオドアとハーロックの視線が交わって、無言の時間が、流れていく。
セオドアが私の意思を尊重して、その上で色々と提案してくれているのが分かって、私からしたら凄く有り難かったけれど。
ハーロックからしたら、お父様に何も言わないでいるのは主人に対する裏切りみたいなものと同等だろう。
真面目なこの執事のことだから、認めてはくれないかもしれないと思ったけれど。
「お嬢さまの安全は本当に保障されるんですね?」
「この命にかえても」
「……ううん、それは絶対にダメだよっ」
「んじゃ、俺の命も含めて」
口角を吊り上げて、楽しげに笑うセオドアのその一言に。
ハーロックが長いため息を吐いたあとで……。
「決行は、明後日にしましょう。
その日、陛下は来客対応などがあり、特にお忙しいスケジュールをこなす予定ですから目を背けるには丁度いい。
……それにお嬢さまも、家庭教師もマナー教師の予定も入っていなかったのは把握しています。
お嬢さまとあなたが着る服などの必要な物の手配は此方でします。
約束事は一つだけ、必ず何事も無く戻ってきて下さい」
『いいですね?』
と、言ってもらえたことで、私はハーロックのその言葉にこくりと頷いた。