そろり、と顔を上げてルーカスさんの表情を窺えば。
私が、魔女であることを。
ルーカスさんは、目を見開いて、動揺し、驚いたような表情で私のことを見てきた。
――無理もないと思う
自分の身近に魔女がいるなんて、そんなこと滅多に起こらないことだろう。
しかも、これから、婚約するかもしれないその相手が魔女、だなんて。
「……差し支えなかったら聞いてもいい? お姫様の能力、は?」
だけど、次に声を出したその時にはもう。
ルーカスさんは、通常通りの声に戻っていた。
私は、ふるり、と彼の問いかけに首を横にふる。
「ごめんなさい、能力までは。……お父様から、なるべく秘密にするように言われてるんです」
能力に関しては、それこそお父様に言っていいかどうか確認してからじゃないとダメだろう。
自分のことなのに、言えないことがある今の状況に本当に申し訳なくて、そう謝罪すれば。
ルーカスさんは。
「そっか……。まァ、当然の配慮だよなァ」
と小さく声を上げたあと。
「イエスかノーか、言える範囲でいいんだけど、一個だけ聞かせて欲しい。
……お姫様の能力は、誰かを治癒出来るようなものだったりする?」
どこか真剣な表情になって、私にそう問いかけてくる。
まさか、そんな質問をされるとは予想もしていなかったため。
思わぬ質問に驚きながらも、私はふるりと首を横に振った。
「いえ。そのっ、……私の能力は、誰かを治療出来るようなものではありません」
「……そっか、分かった。
陛下から止められているんだろうし、そうでなくても言いづらいことなのに、答えて貰ってごめんね?」
「あ、あのっ、ルーカスさん。もしかして、誰か身近に病気の方がいる、とか?」
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと聞いてみただけだから。お姫様は心配しないで」
私の問いかけにルーカスさんがふわりと笑みを浮かべてくる。
【あ、まただ……】
――これ以上は聞かないで。
って、明確に今、線引きされたことに気付いて。
私はそれ以上言葉を出すのを躊躇ってしまう。
話して貰えたら、何か自分でも役に立てることがあるかもしれないけど。
すっかりと、いつものように笑顔を私に向けてくるルーカスさんからはもう、多分何も聞けないだろう。
【このまま、いつもみたいに気付かないふりをして。
違う話題を振ればルーカスさんも何でも無いことのように振る舞ってくれるだろう】
――それでも。
「……あの、っ」
何となく、それじゃ、ダメな気がして。
「私じゃ、頼りないかもしれませんが……。
話してくれたら、何かお役に立てることもあるかもしれない、ですし。
そのっ、私の事が迷惑じゃなければ、ルーカスさん自身のことももっと、話して貰えたら、嬉しいです」
意を決して話しかけた私に。
ルーカスさんが驚いたような表情をしたあとで……。
「あぁ……、本当にっ。……、」
いつも笑顔のルーカスさんにしたら珍しく。
その顔をくしゃり、と歪めてから。
私の頬をそっと、親指で撫でて
「……もしも、君が、飛べない小鳥のままでいてくれたなら、」
……ぽつり、と。
本当に、ぽつり、と、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声量で出された。
その言葉の意味が私には分からなくて首を傾げた。
「とべない、ことり、……?」
その言葉をなぞるように、声を出した私に。
ハッとしたように、一瞬だけ動揺したような表情を見せたあとで。
直ぐにふわり、と微笑んでから……。
「お姫様、ちょっと、ごめんね」
「……ひぁっ、!」
いきなり、ルーカスさんが私に謝ってきたかと思ったら、次いでぎゅっと抱きしめられて。
驚きで肩が跳ねた私は、内心でプチパニック状態に陥ってしまう。
「!? ……あ、あのっ、るーかすさ、んっ!? え、?」
オロオロしながら、抱きしめられたことに戸惑っていたら。
遠くで休憩しながら、お兄様とアルと話していたセオドアが私たちの方を見て慌ててコッチに駆け寄ってくるのが見えた。
私が、セオドアを視界に入れた、その瞬間。
「……大事な話だから、落ち着いて聞いて」
耳元で、ルーカスさんが小さく、くぐもった低い声をあげる。
「……っ、」
普段出すことがない、珍しいその声色に思わず、びくり、と身体が揺れた私は。
何が起きているのか分からないまま、それでも、ルーカスさんのその短い言葉に、こく、こく、と頷き返した。
「これから先、何があろうとも、自分が“魔女”だってこと他には誰にも伝えないで。
……いい? 身の回りにいる人間に伝えているのは仕方がないにしても。
これから先、君に近づいてくるであろう宮で働く人間は勿論……。
お姫様の家族には陛下以外、誰にも教えちゃダメだよ。例え、それが、“殿下”で、あろうとも……」
『それだけ、俺と、約束してくれる?』
手短にパッと、それだけ言ったあと……。
驚きの表情のまま、固まった私の身体が、そっと離される。
それから、数秒経ったあとで……。
私の身体はふわり、と浮いて、駆けつけてくれたセオドアに引き寄せられていた。
その後ろから眉間に皺を寄せて険しい顔をしたお兄様と、呆れたような表情を浮かべたアルも駆け足でこっちにやってきているのが見えた。
「……オイ、テメェ。健全なお付き合いをするんじゃなかったのかよ?
それの何処が、健全な付き合いだ? アァ!?」
「やだなァ。心狭いよ、お兄さん。
もうすぐ、婚約者になるかもしれないんだからさ。……お別れのハグくらい、許してくれたっていいんじゃない?」
「巫山戯るのも大概にしろよ、ルーカス。お前は本当に一体、何を考えているんだ?」
「いやいや。こうして、お姫様とスキンシップして、愛情を深め合おうかな、って」
駆けつけてくれたセオドアや、お兄様に対して、にこにこと笑顔を見せるルーカスさんは、本当にいつも通りで。
さっきの、緊迫したような声色は、もうどこにもなかった。
でも……。
【……どうし、て……?】
私が真剣になって、ルーカスさんのことをもっと知りたいと言ったことが上手く誤魔化されてしまったのは感じていたし。
そうでは、無かったとしても。
お兄様に、私が魔女であることを伝えないで、と言われたのも良く分からないけれど。
セオドアに引き寄せられるその寸前に、一瞬だけ浮かんだ、表情、が。
どうしても気になってしまった……。
――だって、まるで
【泣きたいのに、泣けないみたい、な】
そんな、顔をしていたから……。
「……姫さん?」
「……っ、!」
セオドアに、声をかけられて、私は弾かれたように顔をあげた。
「あ、っ……そ、その、ごめんなさい。
そういうの、私、本当に不慣れで、上手い対応も出来なくて……。
今度からは出来れば、事前に言ってくれたら嬉しいです」
咄嗟にルーカスさんに謝る形をとって誤魔化したつもりだったのだけど。
……内心では凄くドキドキしていた。
出した言葉は紛れもなく嘘では無く、本心からの言葉ではあったものの。
――お兄様も、セオドアも、勘が鋭い方だから。
強ばった私の表情を、一瞬でも見抜かれてしまったら終わりだと、はらはらしてしまったのだけど。
「姫さんが謝ることじゃねぇだろ」
「……ああ、別にお前は謝る必要なんてない。
突然、抱きつくとかいう意味の分からない言動をしたコイツが全部悪い」
と、何とか、誰にも……。
ルーカスさんが私にだけ伝えた言葉は聞こえなかったのだろうと。
ホッと、胸を撫で下ろした。
「……あーあ、残念。ってことは、もう同じ手口は二度と通用しないか……」
『折角、お姫様と親愛度を深めるための良い機会だったのになァ……』
そうして、残念そうにそう言うルーカスさんは、今度は私ににこりと笑いかけて。
「“ありがと”ね、今日は。本当に楽しかったよ」
と、声をかけてくれる。
その、ありがとうの言葉が、その後に言われた“今日”という単語にかかっていないということは、直ぐに分かった。
多分、そのありがとうの言葉は、さっき、私の耳元で小さくルーカスさんが『約束してくれる?』という形で言ってきた言葉を。
……誰にも言わないでいてくれて。
ということなんだと思う。
未だ、動揺したままの私とは正反対に、涼しい顔をしているルーカスさんは。
本当にいつもの通り、変わらないままで。
「ねぇ、お姫様。……誰にでも誠実に優しくいようとしていたら。
俺みたいな悪い男にも、その素直で可愛い所を利用されちゃうよ?」
そうして、言われたその一言の意味が分からなくて首を傾げることしか出来ない私を置いてけぼりにして。
「自分の事がよく分かってるみたいだな、ルーカス」
「手癖が悪いって自己紹介してくれてんなら、話は早いよな? その腕、必要ねぇだろ」
「ちょっ、殿下、お兄さん、待って! 一回、俺と話しあおっ!
殿下、ねぇっ! 痛い、痛いっ! ギブアップ! ごめんってば。
もうむやみにお姫様を抱きしめたりしないからっ」
私のことを心配してくれたのか、急に物騒なことを言うセオドアと。
セオドアの言葉を聞いたあと、無表情のままルーカスさんの腕を淡々と捻り上げるお兄様に。
流石にやり過ぎではないかと、慌てて、間に入って止めようとすれば。
「アリス、あれはただの
あの男にはあれくらいが良い薬になるだろう。
お前が止めに入ることでもないから、好きにさせておくがいい。
それより、侍女が持ってきてくれたお前への紅茶がそのままになっているぞ。
折角、茶菓子もつけてくれているのだから食べぬのは勿体ないだろう?」
と、あたふたとする私に、呆れたような口調でそう言って。
アルが私の手を引いてくれる。
「今日の茶菓子は、シフォンケーキとやらだったぞ。
侍女がいつも持ってくる茶菓子は美味いものが多いが、今日のは特に格別だったから。
アレが落ち着くまでの間、僕と一緒にあっちで、休憩していよう」
まるで、3人のことを全く意にも介さないようなアルの口ぶりで。
本当に、3人のことを気にかけないでも大丈夫なのかなと、少し不安に思う私に。
「案ずるな。……そう大した言い合いでもない。
ほら、見て見ろ、アリス。僕がお前の手を引いた瞬間、戯れ合いをやめて、全員がこっちを見てきたぞ?
お前が関心を持たぬことが、このいざこざを止める一番の方法であろう?」
心配する必要はないと、自信満々で太鼓判を押してくれるアルの言葉通り。
さっきまで、ルーカスさんに対してあんなに賑やかに色々と言っていたのに。
みんなの視線は、すっかり私とアルの方を向いていた。