それからどれくらい時間が経っただろう。
セオドアが戻ってきて。
私たちからは距離が離れた場所にある円卓のテーブルを囲い、椅子に座った3人がわいわいと賑やかそうに何かを話しているのを確認したあと。
ダンスの練習をしている私たちの分までローラがわざわざ紅茶とお茶菓子を用意してくれたのを視界の端に入れながら。
それを飲んだり食べたりすることもなく。
集中的にルーカスさんとダンスの練習をしていた私は。
「うん。繰り返し、練習してる甲斐はありそうだね。
思ったよりも何倍も飲み込みが早いから。
これなら、反復練習で徐々に身体の動きを音楽と合わせていけるかも」
と、ルーカスさんに言われてホッと安堵した。
「……はっ、ぁ、良かった……っ、ありがとうございます」
何回も練習したことで。
息切れしている私とは対照的にルーカスさんはずっと涼しい顔をしたままだ。
うぅ、日頃の運動不足がこんな形で目に見えて現れるとはっ……。
「お姫様、大丈夫? 飲み物、飲む? ちょっと俺が無理させすぎちゃったかもしれない」
「ぁ、いえ、っ、ルーカスさんの所為では。……その、大丈夫です」
心配そうな顔をするルーカスさんにお礼を言って。
これくらいなら、大丈夫と声を出せば。
「丁度、キリもいいし。
あまり根詰めて踊るのも大変だろうから、そろそろ今日の練習は終わりにしよっか」
と、ルーカスさんが声をかけてくれて。
私はその言葉にこくりと、頷いた。
「はい。……あの、ルーカスさん。
今日一日、ダンスを教えて頂いて本当にありがとうございました。
ちょっとずつでも、踊れるようになっているのを自分でも体感出来て、凄く嬉しいです」
ふわりと微笑めば、ルーカスさんも私に対してにこりと笑顔を向けてくれる。
「うん。それなら良かった。
でも、俺がっていうよりは、これは、お姫様が頑張った成果そのものだからね?」
「あっ、ありがとうございます。
でも、ルーカスさんの教え方、凄く上手くて。
どこをどう直したらいいのかとかも、的確に教えて貰えるので本当に助かっています」
私の言葉に、ルーカスさんがほんの少しだけ困ったように苦笑して。
「……前の講師は、そういうの。ちゃんと、教えてくれなかった?」
と、聞いてくる。
「はい。あの、その……、私が悪かったのか、出来ないことを
どうして踊れないのか、何が悪いのか、一切教えて貰えなかった、ので。
どこをどう直したらいいのか分からなくて、これまで、上手く対処、出来なくて」
「……成る程なァ。
劣悪な環境にいたから、感覚が麻痺してんのか。……胸糞、悪いな」
「? ごめんなさい、よく、聞こえなかっ……。ルーカスさん、今、何て……?」
納得したように、頷いたあとで。
吐き捨てるようにルーカスさんが言った一言が、何なのか聞こえなくて首を傾げた私に。
「ううん、何でもない。
お姫様が気にすることじゃないから、大丈夫」
……と。
ルーカスさんがにこっと、いつもの優しい笑みを私に向けてくる。
「ダンスもそのうち覚えていければ、お姫様だったらちゃんと踊れるようになると思うから安心していいよ。
……それと、はい、これ」
「あ、ありがとうございます。……? クッキー、ですか?」
ポンポンと頭を撫でられた後で、個包装されたクッキーを手渡されて。
反射的に、それを受け取った私は。
渡されたタイミングがよく分からなくて、そのクッキーにどういう意味があるのか不思議に思いながら、ルーカスさんを見上げた。
「そう。今日一日よく頑張りました、のご褒美ね。
頑張った分だけご褒美があったら嬉しいでしょ?」
まるで何でも無いことのように。
笑顔のまま、私に向かって自然体でさらりとそう言ってくるルーカスさんに。
思わずふわり、と笑みを溢した私は。
「ルーカスさんって本当に女の子の扱いに手慣れてますよね?」
と、声を出す。
「……うん? そうかな?
女の子の扱いに手慣れてるって言われると……。
何て言うか、俺、滅茶苦茶、危険人物じゃない?
仮にも婚約者になるかもしれないっていう女の子から、そんな風に見られてるのは、ショックなんだけど」
「あ、あのっ、変な意味じゃないんです。
女の子の扱いっていうか、子供の扱いに手慣れているっていうか。
……その、教会で子供たちが、ルーカスさんの元に一目散に集まる理由が分かる気がするなぁ、って思って」
「あぁ、なんだ。……そういう意味か。
別に意図して好かれようとか思ってる訳じゃないんだけどさ。
行ったら、自然に集まってくるんだよなァ、アイツら」
教会の子達のことを思い出したのだろう。
私の一言に苦笑しながらも、ルーカスさんが困ったような、けれど決して嫌な訳ではなさそうな表情を此方に向けてくるのを見て。
「分かる気がします。
何て言うか、ルーカスさんって。
絵本とかでよく見る、面倒見のいいお兄ちゃん像、そのままな感じがするので」
と、声に出せば。
「そう? 嬉しいなァ!
お姫様にとって俺は、理想のお兄ちゃん像らしいよって、後で殿下に言ってやろっ!」
「……え?」
ルーカスさんから、思いもよらない言葉が返ってきて私は混乱してしまう。
「顔には出さないだろうけど、内心、滅茶苦茶傷つくだろうなァ、殿下は」
「あ、えっと、ちがっ。そういう意味で言った訳では……。
あのっ、そもそも、お兄様がそんなことで傷つくとは思えない、んですけ、ど。
……えっと、??」
そうして次いで、楽しげに降ってきたその言葉に。
そもそもお兄様とルーカスさんだと性格が違いすぎて。
どちらがいいとかそういうのではないような気がするし。
お兄様とルーカスさんを比べるつもりなんて欠片もなかったのにと、ますます混乱した私は。
どう言ったら誰も傷つけることもなく、上手に言葉を返せるだろう、と。
あたふたしながら、ルーカスさんに向かって声を上げた。
「ふっ、はははっ! ごめん、ごめんっ! 本当、素直で、真面目だよなァ、お姫様は」
そんな私の様子を見ながら、ルーカスさんから楽しそうな言葉が返ってきたことで。
そこで、初めて、からかわれている事に気付いた。
「あっ、……もしかして、今、からかいましたか?」
「とんでもない。素直で微笑ましくて、好感が持てるなって、褒めてるんだよ」
「褒められた気が全くしない、です……っ!」
にこにこと此方に向かって笑いかけながら、どこかあしらわれているような気がしてならなくて。
ルーカスさんに向かって抗議の声を出した私に。
「えー? そう? 俺は本気で思ってるよ、お姫様、可愛いなって」
と、ルーカスさんがさらりと私のことを褒めてくる。
「……ルーカスさんが褒めてくれる事は。
話半分で聞いた方がいいんだなっていうことがよく分かりました……っ」
その遣り取りで、段々と慣れてきてついてきた耐性に。
【もう、驚かない】
と……。
この短期間で軽く返事が出来るまでに成長した私を。
ルーカスさんがほんの少し目を細めて、微笑ましいものを見るような視線で見てくる。
その視線から、私の事を妹みたいに思っていると言っていたその言葉には、嘘はないんだろうなと思う。
これから先、婚約関係を結ぶとしたら、ちゃんと婚約者として振る舞えるかどうか不安で。
誰かに恋愛感情を抱いたことのない私にとっては、そういう瞳で見てくれる方が今は有り難い。
それと同時にいつまでも先延ばしにしてはいけないことがあること。
自分の事をしっかりと伝えておかなきゃいけないということは、改めて思うから。
「……あの、ルーカスさん、婚約の申し込みの件なんですけど」
「うん? どうかした?」
少しだけ真面目なトーンになった私の声を直ぐに察知して。
ルーカスさんもさっきまでの、私の事をからかうような瞳から一変、真面目な表情を私に向けてくる。
「後出しみたいになって、本当に申し訳ないんですけど。
私、ルーカスさんに言わなきゃいけないことがあるんです……」
早く、自分が魔女であることを伝えなきゃと、声を出そうとして、ルーカスさんを見上げた私は。
「……っ、」
真剣に私の言葉に耳を傾けようとしてくれているルーカスさんを見て。
声を出すことを躊躇ってしまう。
私の身の回りの人は私が魔女であることは知ってくれているし、受け入れてくれているけれど。
【ルーカスさんは、私が、魔女であることをどう思うだろう……】
赤色を持っている子を率先として保護したり、慈善活動をしていても。
将来、結婚するかもしれない相手が魔女となると話はまた変わってくる筈だ。
いざ、話そうとすると、言葉にならなくて……。
言いよどむ、私を見て。
「お姫様?」
『どうかした?』と、ルーカスさんが優しい声色で私に問いかけてくる。
一拍置いてから、自分の中で、深呼吸をひとつして、私は覚悟を決めた。
「あ、あの……。事前にお伝え出来ていれば良かったんですけど。
私、魔女、なんですっ……」
ルーカスさんの顔を見ることが出来ずに。
とりあえず、伝えられることは全部伝えてしまおうと。
「ルーカスさんが誠実でいてくれようとするのなら、私も誠実でいなきゃ、失礼だと思って。
さっき、セオドアがルーカスさんに。
この婚約の話自体が、ルーカスさんにとって利が少ないと言っていましたが。
私との婚約はもしかしたらエヴァンズ家にとってマイナスになるかもしれなくて……。
私の能力の発現を、お父様と私の傍にいてくれる皆は知ってくれてはいるんですけど。
その、騙すような感じになってしまって本当にごめんなさい……っ」
私は一息に自分の今の率直な思いを声に出した。