第106話 ボーダーライン

 

セオドアがローラを呼びに行ってくれている間。


 お兄様とアルが二人きりで、円卓のテーブルの傍に置かれた椅子に座っているのがなんとも不思議な光景だった。


「……ふむ、人の手が入った擬似的な自然とはいえ、ここからは綺麗な景色が見られて良いな」


「自然が好きなのか?」


「あぁ、自然は好きだぞ。空気が澄んでいると心まで軽くなるであろう?」


「あぁ。そう言えば、そういう自然の知識に詳しいんだったか?」


「? 僕が自然に詳しいこと、何処かのタイミングでお前に伝えたことがあったか?」


「前にアリスがルーカスにお前の説明をしていただろう? 葉の効能などの知識に詳しいと」


「ふむ、そう言えばそんな話をしていたこともあったな」


「そうじゃなくても。

 匂いを嗅いだだけで直ぐに当てることが出来るほど毒の知識なんかにも精通しているくらいだ。

 嘘でも誇大している訳でもなく、事実としてお前が、膨大な知識をその身に秘めていることは想像に難くない。

 例えその知識に偏りがあろうとも、何かを詳しく語れる程、教養のある人間だというだけで尊敬に値するものだ」


「うむ。もっと敬ってくれてもいいのだぞ」


 暫くは、二人の会話を近くで聞きながら、内心であれこれ心配して。


 どこかで、フォローを入れるタイミングがあれば入れた方がいいかな? と思ったりもしたけれど……。


 全部、私の杞憂だったみたい。


 ぽつぽつと、ゆっくりだけど思ったことを口にするお兄様に、楽しそうに笑うアルの姿が見えてホッとする。


 元々アルは知識人だから、お兄様とはどこか波長が合って会話が弾むのかもしれない。


「……何て言うか、滅茶苦茶仲よさそうじゃない? ちょっと嫉妬するんだけど」


「え?」


 そんな二人の様子を見ながら、私の後ろから拗ねた口調でルーカスさんが声を出してきて。

 慌てて振り向けば。


「うん? どうしたの? お姫様」


 と、にこにこと此方に向かって笑みを溢すルーカスさんの姿が見えて。


「いえ、その……、ルーカスさんでも何かに嫉妬とかすることあるんだな、って。

 新鮮っていうか。……凄く、不思議に思ったので」


 私は今、自分が思ったことを率直に言葉に出した。


「そりゃぁねぇ。殿下とは長い付き合いだし。

 アルフレッド君とは殿下よりも俺の方が多分話してる回数多いのに、何て言うか二人とも結構楽しそうだなぁって思ったら。

 ……っていうか、お姫様は俺を何だと思ってるの?」


「あ、ごめんなさい。

 悪い意味ではなくて、ルーカスさんって誰に対しても。

 付かず離れずの一定の距離感を保って接しているイメージがあるので……。

 上手く言えないんですけど、ここまでは来てもいいけど、ここからは踏み込んでこないでね、ってボーダーラインを自発的に引いているというか」


「……っ! ……あぁ、うん。

 そっかァ、そんな風に見られちゃってんのかァ……。

 何て言うか、ばっちり俺のこと見られちゃってる上に、言い当てられてんの滅茶苦茶恥ずかしいんだけど」


「……え? あの、ごめんなさい。そんなつもりは」


 私の発言に、否定することも無く。


 苦笑しながら、私の方を向いたルーカスさんが


「いやいや。お姫様が気にすることじゃないから大丈夫だよ。

 ただ、安心して欲しいんだけど、俺はお姫様には誠実でありたいと思ってるからね?」


 そう言ってくれるのを聞いて


「あ、はい……。ありがとうございます」


 私はこくりと頷いた。


 今日のお兄様とルーカスさんの会話をとっても。


 私のことを考えてくれているのは伝わってくるし。


 婚約を結んだとしてもきっと……。


 ルーカスさんはこのままいつもの優しい感じを崩すこともせず、私に接してくれるのだろうな、というのは分かってる。


 多分、どこまでもスマートで。


 紳士的な、余裕がある大人の男性としての対応を。


【……でも、本当にそれでいいのかな?】


 私自身も、人に触れて欲しくないことや言いたくないことはあるから。


 これまで、何となく、その雰囲気から感じ取って。


 あまり、ルーカスさんに対して踏み込みすぎないようにしていたけど。


 このまま、ルーカスさんのことを表面的なことしか知らないまま。


 過ごすだけでいいんだろうか?


 本来なら、今日、こうして機会を設けて貰っているのにも親睦を深める意味合いがある筈で。


 もっと、距離を縮めた方がいいのかな、と思いながらも。

 どこか躊躇してしまうのは、私が人とあまり関わってこなかった弊害だろう。


 ……こういう時、どういう風に距離をつめていけばいいのか。


 どこまで踏み込んでいいものなのか、分からなくて戸惑う

ばかりだ。


「まっ、とりあえず。

 あの二人も問題なさそうだし、俺たちはダンスの練習を、本格的に始めよっか?」


 私が頭の中でそんなことを考えている間にも。


 にこっと、いつも通り、此方に向かって笑顔を向けてくれるその姿に私はこくりと頷き返した。


【頭の中で色々と。

 答えの出ない物を一生懸命考えるよりも、今は目の前のことを一つ一つ、こなしていくほうが大事だよね】


 これから、会う機会も増えれば。


 いつかはルーカスさんの本心みたいなものも聞ける日がくるかもしれない。


 今はまだ、一緒に過ごしたその時間がそこまで多い訳じゃ無いから。


 分からないことが沢山あって戸惑うことも多いだけだろう。


「徐々に早く動けるようになればいいから。

 とりあえず今は、頭で動作を思い出しながら踊るっていうのから脱却出来るようにがんばろっか?」


「はい、頑張ります」


 差し出されたその手を、自然な感じで手に取って、私はにこりとルーカスさんに笑いかけた。