「それじゃ、ちょっと予定がずれこんだけど。
今から、ワルツの練習をしようか。お姫様、お手をどうぞ」
それから、少し経ってから。
さっきまでの会話を全て切り替えたように、ルーカスさんが私に向かって、声をかけてくれる。
「えっ、あの、ここで、練習するんですか?」
その提案に、驚いて、慌てて問いかけた私に。
「うん、たまには気分を変えることも大事だよ。
王宮の庭だから開放感もあるし、部屋で練習するよりも雰囲気が変わって、丁度いいかなって思ってさ」
にこりと笑いながら、すっと、ルーカスさんが私に向かって手を差し出してくる。
「とりあえず、“お姫様に合わす”から、一回お姫様のテンポで一から通しで踊ってみよう。
……ダンスの振り付けは覚えてるよね?」
「……あ、はい。……ありがとうございます」
王宮の庭で踊ることになったのは、驚いたけど。
でも確かに、ここだと広いし、邪魔になりそうなものも何もない。
この前、ルーカスさんと一緒に話し合ってパーティーで踊ると決めたワルツを思い出し。
私は、おずおずと、ルーカスさんに差し出されたその手を取った。
「曲を口頭で流してもいいんだけど、それじゃ、テンポがどうしても合わなくてお姫様がこんがらがりそうだし。
ゆっくりでいいから、動作の確認からしていこっか?」
「はい」
そうして、どこまでも私に配慮してくれるルーカスさんの、その有り難い言葉に救われながら。
私は、ワルツの出だしから、自分の頭の中にある、ダンスの振り付けを思い出して。
ぎくしゃくと、それを、こなしていく。
「……っ、うん、いいよ。上手に踊れてる」
【そんな、訳ないのに……、滅茶苦茶、気を遣って貰ってるっ】
ルーカスさんは、その間、私のことを要所要所で褒めてくれながら踊りにくいだろうと思うのに。
私のテンポにさらっと合わせてくれた。
曲を無視しているという状況があるものの。
ルーカスさんが私に合わせてくれたそのテンポで、目の前のパートナーの足を一度も踏むことなく、通しで一回全てを踊りきることが出来た私は。
こんなことは、初めてすぎて、本気で感動していた。
【勿論、ルーカスさんが合わせてくれている現状がある訳で……。
決して自分がダンスが上手くなった訳じゃないのだけど】
「……あ、あのっ、ルーカスさんありがとうございます。
私でも、ワルツをきちんと踊れるんだって、錯覚することが出来ました」
「いやいや。錯覚じゃなく、お姫様はテンポがゆっくりなだけで、基礎はちゃんと踊れてるからね?
踊れない人は足の動きや手の動きを瞬間的にどこに出したらいいのか分からない人もいるし。
そう考えたら、全然、大丈夫。
お姫様は、もっと自分に対して自信を持ったっていいんだよ」
「? 自信、ですか?」
「うん。これだけしか出来ないじゃなくて。
これだけ出来たんだから、自分は偉いし凄いんだって、もっと堂々と思っていいからね?
殿下を見てごらんよ! 憎らしいくらい、何に対しても自信満々だよ?」
「オイ、俺の悪口をさらっと挟むな」
ルーカスさんの言葉に、お兄様が突っ込みを入れるよう。
呆れたような声色で、ルーカスさんに向かって声を上げるのが見えた。
「……殿下のこと、周囲にいる人間はみんな、何でも出来て凄いって思うかもしれないけどさ。
殿下だって、四つ葉のクローバーが何なのか、俺に聞くまで知らなかったり。
俺たちが普通に生活していたら自然に知っていくはずの、当たり前の常識を知らないっていう、ポンコツな一面だってある訳だよ」
「……オイ、ルーカス」
「なのに、こんなにも、“俺に出来ないことはない”、みたいな堂々とした面構えしてるじゃん?
とてもじゃないけど、四つ葉のクローバーのこと知らなかった人とは思えない、面構えだよ」
「堂々、とした、つらがまえ……っ、」
「いい加減にしろよ、お前!」
「ふっ、ふふっ……っ、」
ルーカスさんの言い回しに
お兄様に視線を向ければ、ハァっ……と疲れたようなため息を溢しながら、
ルーカスさんの言葉に怒ったような表情を向けていたのだけど、私が、声を出して笑ってしまったから。
瞬間、お兄様のなんとも言えない視線が、私の方を向いたのが見えて。
お兄様が意図して、自分に出来ないことはないなんて思っているなんてことは絶対にないだろうって私もちゃんと解ってる。
これが、ルーカスさんが場を和ますために言ってくれた冗談なんだってことも。
だから、ルーカスさんの表現の仕方が面白かっただけで。
決してお兄様に対して悪い感情を抱いた訳ではなかったけど……。
よくよく考えたら、笑っちゃったの、失礼だったよね、と急に申し訳なくなった私は。
お兄様に対して……。
「あ、そのっ、笑っちゃって、ごめんなさい」
と、素直に謝罪する。
もしかしたら、怒られるかなと思ったけれど、そんな私のことを、怒ることもせず。
「お前は別に悪くない」
と、言いながらお兄様の視線は私から外れて。
「散々、好き勝手に人の事を馬鹿にしやがって。一つ貸しだぞ、ルーカス」
ルーカスさんへと向けられる。
「勿論ですとも、殿下。
いやぁ、お姫様が間に入ってくれると、必要以上に怒られないから、普段言えない言葉がすらっと滑って出てくるなァ!」
「おい、あまり調子に乗るなよ? 俺はお前の発言を許した訳じゃないからな?」
「やだなァ、お姫様の今の笑顔で全部帳消しにしてくれたっていいじゃんっ!」
にこにこと、ルーカスさんが言葉を出せば。
お兄様の呆れたような視線がルーカスさんの方へと向いていく。
「一緒にするな。アリスは、アリス。お前はお前で、全く別物だ」
「あーあ、上手く丸め込めると思ったのに、流石にそんな簡単にはいかないか。
ところでさァ、俺とお姫様がダンスしている間、殿下も含めてだけどお兄さん達、暇じゃない?」
「いや、別に。
アンタと姫さんが喋ってて、俺らが話してなかったりするのはいつものことだろう? それを苦に思ったことはねぇよ」
「うん、お兄さんは何となくそう言うと思ってた。
まぁ、別にそれならいいけどね……。ちょっとここから真剣に練習するつもりだから、退屈しないかなって思っただけで」
「あ、でしたらこの先に庭園を観賞出来る、円卓のテーブルが置かれている場所があったはずですよね?
そこで、休憩しながら待ってて貰ったらどうでしょう?
私のダンスに、ずっと立ちっぱなしで、みんなを付き合わすのも、申し訳ないですし……」
「あぁ、成る程。確かにあそこなら丁度良いかもしれない。
……広いスペースを確保するのに、ダンスを踊る俺たちとはちょっと離れるけど。
殿下達から俺等のことが、見えない距離じゃァ、ないし。
その辺りでみんなには休憩して貰いながら、俺たちは、ダンスの練習をすることにしよっか?」
ルーカスさんの一言に、王宮内の庭園には確か、一番良い場所で。
植えられた季節の花々を一望出来るようにと、休憩用も兼ねた円卓テーブルが置かれていることを思い出した私は。
みんなに向かって、そう提案する。
本来は、優雅にそこで御茶会を開いたりして、庭園の花を眺めることを楽しむためのものだったりするけれど。
別にそこで休憩しちゃいけない訳ではないし、何よりこの先まだ、ダンスの練習をするのに。
みんなのことを巻き込んで、ずっと立ったまま、私たちの様子を眺めて貰うだけなのは申し訳なさすぎる。
私たちが、庭園にいることもあって、宮で働く人間は、私たちに配慮して誰も庭園自体に近づこうともしない。
さっき、テレーゼ様が何人か連れていた侍女が、私が今日見た最後の侍女の姿だった。
だからこそ、気兼ねなくこうして明け透けに色々と話せるのだけど、みんなが休憩するのなら、紅茶とお茶菓子は持ってきて貰った方がいいよね?
「私、ローラに紅茶を持ってきて貰えるよう、お願いしに行ってきます」
「あぁ、姫さん。……大丈夫だ。
侍女さんが姫さんの部屋で仕事してるとは限らねぇし、俺が行ってくる」
「あ、ごめんね、セオドア、ありがとう」
みんなに声をかけたタイミングで、セオドアが私の代わりにローラを探しに行ってくれると伝えてくれたことに、申し訳なくて声をあげれば。
ルーカスさんと、お兄様が此方を見て、驚いたような表情をするのが見えた。
「いや、お姫様……。
セルフで侍女のこと、わざわざ自分で探しに行く必要ある?
お兄さんもだけど、その辺で仕事をしている侍女に言伝を頼めば、それでいいんじゃ……」
はっきりと、言われた一言に。
そ、そんな方法があったのかっ、とびっくりした私は。
「……考えつきもしませんでした。
今まで、自分のことはある程度自分でやるのが当たり前だったので、その……」
と、しどろもどろに声をあげる。
「姫さんの味方かどうか、分からねぇ人間に頼ること自体、あまりしたくねぇんだよ。
それに、俺なら大体、侍女さんの行きそうな場所は読めてるしな。
俺が動くのが一番最短で、きちんとした情報を伝えられるんなら、それに越したことはねぇだろ?」
そうして、私の、フォローをするように。
セオドアが二人に向かってそう言ってくれて……。
セオドアの言葉に、どこか、険しい表情になるお兄様とルーカスさんに、私が不思議に思うよりも先に。
「そっか。まぁ、それなら別にこれ以上、俺から何かを言うつもりはないかな。
どちらにせよ、助かるよ、ありがとう、お兄さん」
と、ルーカスさんがにこりと、笑みを溢した。