巻き戻し前の軸で、私は敢えてテレーゼ様を避けて過ごしてきた。
だから、あの方と過ごした思い出のようなものは、本当にどこにもなく。
あの方の人となりに関して、明確にこうだと言えるほどの自信は私にはない。
今も、昔も、テレーゼ様がどういう風に私のことを見ているのかは未だによく分からないままだ。
だけど、顔に出されないだけで。
今まで私のやってきたことや、お母様のことも考えると。
あまり良い感情は持たれてないんじゃないかな、と。
どうしても思ってしまう。
【あぁ……。だから、今ほんの少し不安になったのかもしれない】
自分の感情に、ある程度、そうなんじゃないかと結論づけたあとで。
あんな風に気にかけて貰ったのに、漠然とした不安感に襲われるのは失礼だよね、と内心で自分に言い聞かせてから。
さっき、テレーゼ様に言われたデビュタントのことを考える。
今まで悪目立ちばかりで、良い意味で私自身が人に注目されたりすることは無かったし。
“その日の主役”っていうことの意味をあまり深く考えてはいなかったけど。
ドレスのこともそうだけど、パーティーでの立ち振る舞いとかも。
周囲から見られるのは、当然のことなんだよね。
【自分の一挙一動が、そのまま皇族の評価になる、かぁ】
――改めてちゃんとしないといけないな
と、心に決めてから。
私は、テレーゼ様が去ったあと、その後ろ姿を見送っていたお兄様とルーカスさんの方へと視線を向けた。
「……ちょっと殿下、さっきの。もう少し言い方あったんじゃない?」
「何がだ?」
「テレーゼ様に対してだよ」
「別にいつもこんな感じだろう?
母上はいつまでも俺が子供のままだと思っているのかもしれないが、その感情をほんの少しでも……」
「殿下」
「……??」
お兄様の一言を
その発言の意味がよく分からなくて首を傾げた私に。
「……昔、俺の片目の件で、生きるか死ぬか瀬戸際の高熱を出したことがある。
自分では覚えていないくらい、小さい頃の話だが。
その所為もあるのか、母上の俺に対する心配は、いつまで経っても子供に向けるそれだ。
ルーカス、お前も分かっているだろう?」
お兄様が此方を見て、説明してくれた。
でも、それは、さっき言いかけた言葉の続きでは無くて。
あくまでテレーゼ様がお兄様に向ける視線についての、説明だったけれど。
「……そんな、高熱を……っ」
幼い頃にお兄様がそんな高熱を出していたことすら勿論、私は知らなくて。
その言葉を反復するように、声を出した私を置いて。
「……え、ごめん。ちょっと待って」
ルーカスさんがお兄様を見て驚いたように目を見開いているのが見えた。
「殿下、今、何て言った?」
「母上の心配はいつまで経っても子供に向ける、」
「違う、違う、そうじゃなくて。その前っ……」
「あぁ、片目のことか? 話した」
はっきりと、そう言うお兄様に。
珍しくルーカスさんが驚いた表情を更に困惑したような雰囲気に変えたあとで。
「昨日の今日だよ!? 一体何が、どうなって、そんなことにっ!?」
と、声を出してくる。
てっきり、今日のマナーの時間を遅くして貰っていたから。
昨日図書館から帰ったあと、お兄様が私と話してくれたことは、既にルーカスさんに伝わっていると思っていたのだけど……。
そうじゃなかったのだろうか?
「……色々、あったんだよ」
一から説明するのが面倒だったのか。
お兄様にしては、その説明がどこまでも投げやりだなぁと思ったけれど。
……あれ、そう言えば。
昨日お兄様が私の部屋の前でセオドアと話していたのって、結局なんでだったんだろう?
衝撃的な話のせいで、お兄様が私の所に来た理由については全く考えていなかった、な。
「図書館で、お前に八つ当たりしたのは悪かったと思っている」
「いや、本当に、青天の霹靂なんですけど。……お姫様は、じゃぁ……?」
私がそんなことを考えている間にも。
ルーカスさんとお兄様の会話は続いていて。
ルーカスさんに対して、少し罰の悪そうな顔をするお兄様に。
驚いた顔をしたままの、ルーカスさんに問われて私はこくりと頷いた。
「はい。……昨日、教えて貰いました」
「おにいさ、ん……は?」
「知ってる」
「アルフレッド、くん……」
「……むぅ。僕だけ除け者かっ!
お前達、酷いぞっ! 僕とは
「いつから、お前と俺と姫さんは幼なじみになったんだよ!」
ルーカスさんの問いかけに、1人だけ答えられなかったアルが頬を膨らませて。
此方に向かって思いっきり怒ってくるのを見て
「あぁ、知らない人がここに……っ」
と、ぽつりとルーカスさんが声をあげる。
「……アンタの目、片目だけ、赤色だったんだよな」
「あぁ、大まかに言えば間違いじゃない。
正確に言うと片目だけ、太陽の光に反射した時のみ赤色に見える金だがな」
「……ううむ。片目だけ太陽の光に反射した時のみ赤色に見える金、か。
また、
だが、その瞳、今は無いな? 取り除いてしまったのか。……残念だ」
私たちの会話を聞いて、ほんの少し目を細めたあとで。
アルがどこか遠い記憶を懐かしむような視線をお兄様に向ける。
そう言えば、アルは
【純粋な魂の輝きを持つ者は、精霊にとって格別なご馳走になる】
瞳を失ったお兄様からは、そういう波動のような物を感じないのだろうか。
元々、赤を持っている者に対して、精霊たちは、悪い感情を抱いていないから。
アルがこうして、残念がるのは私たちには理解出来る。
「……っ、アルフレッド君、今ので俺たちの話、理解したの?
取り除いたなんて、誰も、一言も言ってないのに」
だけど、アルのその発言に。
ルーカスさんが、驚いたような表情を見せたあとで、ほんの少し警戒するような色を瞳にのせるのが見えて……。
私がそれを慌てて、フォローしようと口を開きかけた瞬間。
「うむ。……違和感の正体に今気付いたという感じだがな。
その片目が、精巧に作り出された偽物というのならば頷ける」
と、アルが声をあげた。
「違和感の正体?」
「まぁ、僕はちょっと特殊な環境に身を置いていたのでな。
知識に偏りがあるが、知っていることに関しては詳しいし、
だから、案ずることはない。僕がほんの少しだけ違和感を感じたくらいだということは。
逆を言えば“ただの人間”にはその男の瞳の精巧さと乏しい表情のお陰で余程のことがない限り気付かれることはないだろう」
「なんていうか、滅茶苦茶、自信ありげに言ってるけど。
それって、自分は凡人じゃァ、ないって公言しているようなものじゃない……?
え、なにこれっ、俺が可笑しいのかな?」
「あ、あの、ルーカスさんは正常ですっ……! アルはそのっ、天才肌なのでっ」
段々と苦しくなってくる言い訳に、でもそれしか言えなくて私が声を出せば。
「お姫様、どうしよう……。俺は凡人の努力系人間だから。
多分、永遠にアルフレッド君に見えている世界は分からないかもしれない」
と、ルーカスさんが疲れたようにそう言ってくる。
【多分、誰にもアルの見えている世界は分からないと思います……】
だから、安心して下さい、と喉まで出かかった言葉は当然出せる訳もなく。
その代わりに……。
「あ、あの、でも。……安心して下さい。アルは秘密はきちんと守ってくれるので」
ルーカスさんの懸念を少しでも払拭出来ればと、私は声をあげる。
「うむ。……それが、絶対的に隠さねばならぬ秘密のものだというならば。
それをこれから先もずっと、口外することはしないと約束しよう」
私の言葉に、アルが笑みを溢しながら。
ルーカスさんとお兄様に約束するのが見えてホッとした。