第91話【ウィリアムSide】

 目の前で、“俺と同じ赤を持つ男”が……。


 何て、声を出したらいいのか分からないように、驚いているのが見えた。


【まぁ、そうだろう、な。……それが普通の反応、だ】


 俺と同じ赤を持つのに、“俺とは違い”、それを捨てることもなく。


 ……今日、今、この瞬間まで、生きてきた男。


 ――ノクスの、民


【……俺と、相容れないのも、当然だ】


 過ごしてきた歳月が、物語るように。


 根っこの部分では、永遠にわかり合えないだろう。


 最初からこの男と俺は、“生き方そのもの”が、真逆なんだから……。


「今まで、世間を欺いて過ごしてきた、ねぇ……。

 まだ分からねぇことも多いが、アンタのその一言で、とりあえず、“今日の第二皇子の言動”にも、少し合点がいった。

 ……アンタの、その表情が“碌に変わらねぇ”、理由も、な」


 それから、暫くも経たないうちに。


 目の前の男は、俺が提示した情報だけで、俺の状況をほとんど察したらしい。


 俺の事を真っ直ぐに見てくる“その瞳”にはもう、動揺の色さえ、映っていない。


 それを確認してから俺は、手に持っていた自分の義眼を、元に戻した。


「……あぁ、お前の言う通りだ。義眼といっても、所詮は、偽物。

 “本物”と比べれば、目の動きにどうしても違和感が出る。……だから、」


「……だから、アンタは、


「……っ、あぁ、そう、だ」


 ――俺がこの世に生まれた時。


 父上はどうだったか分からないが、母上は、とても喜んだらしい。


 “金色の髪”に、“金色の瞳”を、持って生まれた俺は。


 父上の次期後継者として、一番近い存在になるだろう、と言われていた。


 だが、少し経ってから……。


 “室内にいた状態”では、分からなかった事が判明する。


 “”に、片目だけ、角度によっては赤色に輝いて見える瞳。


【完全なる金色と、金と赤の二色に見える色を持ったオッドアイ】


 当時の母上は、自分が先に子供を産んだことに対する前皇后様の呪いではないかと。


 酷く荒れていたらしい……。


 もしも、生まれて直ぐに。その事実に気付かれていたのなら、また状況も違ってきていただろう。


 だが、髪の色も、瞳の色も。


 父上譲りの“金”であることが世間に大々的に発表された後だったこともあって……。


 ――“俺の片目”は、秘密裏に、無かったことにされた。


 その当時、俺の目の秘密に気付いた、母に仕えていた、現、侍女長と。


 母と、医者以外には、誰にも知られないように、粛々と事が行われたと聞く。


 しばらくの間は、目の病気として、眼帯をして過ごし。

 そして、失った片目を補うよう、職人の手によって精巧な瞳を作り出されて以降は、俺は、それをはめて生活してきた。


【……ウィリアム。端正なその顔だちが台無しになる故、そなたは笑わぬ方がいい】

 

 物心がついた頃に言われた“母のその言葉の意味”が何なのかは直ぐに分かった。


 それからは、表情の一切をなるべく表に出さないように心がけて過ごしてきた。


 どんなに精巧に作られた瞳であろうとも。


 ――所詮は、偽物、だ。


 表情が変化したときに、人から映る自分の姿の“その違和感”は、どんなに頑張っても拭い去れるものではない。


 特に、笑顔を浮かべた時は、尚更……。


 “無表情の義眼”との落差が凄くて、もう片方の自分の本当の瞳との、ちぐはぐさがどうしても消えなかった。


「……俺が、一番最初に覚えたこと、だ」


 自分の感情をコントロールするのは、そう、難しいことではなかった。


 幼い頃からそうやって過ごしていれば、最早、それは、息をするのと同じだ。


 俺にとって、それは完全に身についてしまったことであり、今や自然になっている。


「……まぁ、分からなくもは、ねぇよ。

 第一皇子の瞳が片方義眼で、かつ、生まれた時は赤を持ってたから捨てました、なんて話、醜聞以外の何物でもねぇ、だろ?」


 はっきりと言われた一言に俺は苦笑する。


 ……相変わらず、言葉を濁すこともしない男、だ。


「アンタや、アンタの近しい人間がその事実を隠すのは、理解出来る。……だが、なんで今、それを俺に教えた?」


「……っ、」


 鋭い目をしたまま、俺に問いかける目の前の男に。


 俺は、咄嗟に言葉が出て来なかった。


【赤を持って生まれてきた】


 その宿命を、ずっと背負って過ごしてきた男と。


 それを捨てて隠し続けてきた、俺の、違い。――自分を偽ることもせず、暮らしてきた。


 ……目の前の男のことを、俺は。


 多分、どこかでずっと、羨ましいと思っていた。


 それと同時に浮かんでくる、アリスへの罪悪感。


 いつだって“世間”から、たったひとり、アイツだけが非難されて過ごしてきた。


 生まれながらに赤を持つことそのものが、どうしようもなく罪だというのなら。


 俺の存在もまた、罪だということに他ならない。


 ……それを、俺は。


 分かっていながら、アイツにだけ全て押しつけて今の今まで生きてきた。


 本来、俺が受ける筈だった、誹謗中傷の全てから逃れて。


 それどころか、“完璧な金”を持つ者だと、賞賛まで受けながら……。


「後悔、か? それとも、隠し続けてきたことへの、罪の意識みたいなものか?」


 問いかけるような言葉に俺は乾いた笑みを溢した。


「そんな、生易しいものじゃない」


 もっと、ドロドロとした感情からくるものだ、と。


 何も言わなくても、何となく察したのか、目の前の男は、俺の反応に『そうかよ』と、一言だけ、呟いただけだった。


 アイツが赤を持って生まれてきたことを知ったとき。


 俺は自分でも驚くほどに、内心で、ホッとしていた。


 皇族の中で、自分だけが赤を持って生まれてきた訳じゃ無かったのだと。


【ねぇ、殿下見てっ! ここにおっきな、穴、開いてるよ! あっ、あの子ってさ、もしかして、お姫様……?】


 ルーカスに連れられて、四つ葉のクローバー探しになんか行かなきゃ良かった。


 侍女に連れられて庭に出てきた小さな姿。


 俺と同じ、赤。


 髪の毛がふわふわと、風に揺れながら……。


 小さな、少女が……、たどたどしい動きで庭に出て、目の前の侍女に


【アリス様、こっちですよ……!】


 と、言われて。


 初めて庭に出た瞬間だったのか……。


 こわがって、びくびくしながらもひよこのように侍女についていく。


 その姿に、ただ、目が離せなかった。


【俺と同じ、色】


 アイツだけが、俺と、共有出来る感覚、感情。


 ……それらを捨てた俺に、アイツに全てを押しつけた俺に。


 アイツの傍で見守る資格なんて、ない。


 ……目を逸らし続けて、興味なんて一切ないフリをして……。


 ずっと、そうやって生きてきた。


 その、結果を。


 ――今になって、思い知る。


 アイツが過ごしてきた人生の、その一端を。


 俺と比べられて、マナー講師に“躾”という名の暴力を受け続けて。


 本来味方であるはずの、侍女や騎士なんかにも暴言を吐かれ続けて。


【誰にも、愛されずに育ってきた、と】


 言葉にしたら、たったそれだけの、数文字でしかない目の前の男の言葉に。


 どれほどの、重みが乗っているのかを、今さらになって、アリスの現状を調べてから理解した。


【……後悔すら、俺にはする権利がない】


 過ごしてきたその日々が、どれほど辛いものだったのか理解もせずに。


 少しずつ成長していくにつれ、『皇女様は我が儘が酷くなる一方』だという、侍女の言葉を鵜呑みにして、勝手に失望して、アイツの事を避けてきた俺には……。


「……このことは、アリスには言わないで欲しい」


 今さら、何を言っているのかと、思われるかもしれないが。


 “俺のこんなにも醜い部分”を、アイツにだけは知られたくなかった。


「……それ、俺に話しておいて、言う台詞かよ」


 目の前の男も、理解しているだろう。


「赤色を持ってたんなら、なおのことっ、アンタが姫さんの味方になってやれてれば……っ」


 一言だけ、そう言って、視線で、俺のことを責めるような表情をした男は。


 けれど、深いため息をついて……、その全てを押し殺したように言葉を出すのをやめた。


「……お前の、言う通り、だ」


 もしも、アイツに手を差し伸べることが出来る人間がいたのなら。


 それは、きっと……、俺だけだったろう……。


「俺は……」


 ノクスの民である目の前の男に言葉を続けようとした、瞬間。


 “かたっ”、と……。


 扉の奥から、小さな物音がしたのが聞こえて……。


 嫌な予感がした。


 目の前の男の方へ鋭い視線を向ければ。


「……俺は、嘘は言ってねぇし、アンタの言葉の通り、これから先も何も言うつもりはねぇよ」


 と、言葉が返ってくる。


 そうして……。


 ――ただし、本当に聞かれたくねぇ、話だったなら、こんな所でするんじゃなかったな?


 目の前の“犬”がポンと、俺の肩に手を置いたあと、“俺にだけ”聞こえるように耳元で小さく呟いてきて、全てを察して、諦めた俺は小さくため息を溢した……。


「……こんなところ、で、盗み聞きか、アリス」


 “この犬”と似た様な発言をすることになったのが、どうしようもなく癪に障ったが。


 扉を開ければ、俺の存在を視界に入れて、びくり、と身体を震わせた妹が。


「あ、あの……っ、ご、ごめんなさ、っ。

 眠りが浅かったのか、目が覚めてしまって、起きたら、さっきまでいてくれたセオドアがいなくなって、て……。

 扉から、微かに話し声が聞こえたのでっ……誰か、いるんだ、と思って……っ、そのっ、」


 と、たどたどしい言葉で、一生懸命此方に伝えてくる。


「……ほ、ほんとうに、聞くつもりじゃ、なかったん、ですっ」


 ……おろおろ、と。


 聞いてしまった事実に、戸惑いの色を見せるアリスを見れば。


 アリスに聞かれたことで、取り繕って隠すことが直ぐには出来なかった、一瞬の、此方の動揺などは一切悟られてはいないだろう。


 内心でそのことに、少しだけ、ホッとしながらも……。


「……落ち着け」


 と、声を出せば。


 びくり、と肩を震わせて、おそるおそる、窺うように、妹の瞳が俺のことを見上げてくるのが見えた。