第77話 休憩



 それから、お兄様とルーカスさんが、その場所に座ったのを確認してから、私は二人の対面に座る。


 そのタイミングで、ローラがテーブルの上にトレーを置き、人数分の紅茶と、お茶菓子であるクッキーが入ったお皿を順番に置いていってくれて、ローラが一礼して、部屋から出ていったのを見送って、私は、セオドアとアルに目配せをした。


 私の視線を受けて直ぐに、アルが私の左隣に座ってくれたものの、セオドアは護衛騎士として、さっきと同じように、私の後ろに立ってくれようとしていたんだけど。


 私は、セオドアに向かって『そんなのは気にしなくても良い』という視線を向ける。


 ……エリスとアルが来てくれるようになってから、私の寝室用として使っている部屋にある丸テーブルだと、一気に手狭てぜまになってしまい。


 人数が増えたことで、応接室であるこっちのソファーとテーブルを使って、従者のみんなと、アルと一緒にご飯を食べるようになったため、セオドアがこの部屋で『ソファーに座る』ということに慣れていない訳じゃないんだけど、遠慮してくれているんだと思う。


 きっと、お兄様とルーカスさんの手前、従者である自分が、私達の座っている椅子に一緒に座るのはあまり良くないと感じて、立っていようとしてくれているのだろう。


 だけど……、勿論、今ここで、ローラが用意してくれたアイスティーには、人数分がきちんと準備されていて、数を数えると『セオドアの分も含まれている』ことは、把握することが出来たから。


 私が、セオドアに……。


「セオドア、大丈夫だよ。いつもみたいに気にしないで……」


 と声をかければ、セオドアは私を見て、躊躇いながらも……。


「あぁ、分かった……」


 と、私の言葉に了承して、いつもの通り、私の右隣に座ってくれた。


「……うん? いつもみたい?」


 セオドアが私の隣に座ってくれたことに、満足してにこりと微笑めば、目の前に座っていたルーカスさんが首を傾げて、問いかけるように此方を見てくるのに気づいた。


「はい。いつもは、この応接室である私の部屋で、みんなにも、一緒にご飯を食べてもらっているんです」


 特別な意味合いなどは何もなく、ただ単純に、私自身が、みんなにそうしてもらっていることが既に当たり前になっているからこそ、ポン、と、その場で出てしまった発言だったのだけど。


 私の発言に驚いたような表情を見せたのは、ルーカスさんだけではなく、お兄様もだった。


「……えっと、お姫様……。自室で、従者と一緒に食事をしているの?」


 驚いたようにそう問いかけられて、こくりと頷いたあとで……、ハッと、気づく。


 皇族として、身分の違う従者と一緒にご飯を食べていることは、マナー的な面でも、あまり褒められたことではないだろう。


「あ、あのっ。勘違いしないでくださいね。

 ……私がお願いして食べてもらっているんです。

 一人で食べる食事が、美味しくないからって、みんなに我が儘を言って……」


 だからこそ、私は、慌てて『無理矢理、お願いを聞いてもらっているんですっ』ということを、あくまでも強調して二人に向かって声を出す。


 ――その言葉を聞いて、ルーカスさんもお兄様も、目の前で途端に黙り込んでしまった。


 私の発言で、一気に静まり返ってしまった室内に……。


(あぁ、これはなにか、色々と心配をかけてしまっているかもしれない)


 ということには、直ぐに気づくことが出来た。


 だって、二人の反応が、いつも、セオドアやアルやローラがしてくれる反応と、限りなく似通っているものだったから。


「あの……?」


 戸惑いつつも、問いかけるように声をあげれば、ルーカスさんが此方を見て。


「……いや、なんでもないよ。ちょっと、驚いただけ」


 と、笑顔を向けてくれる。


 そのことにホッと安堵しながらも、こういう時のルーカスさん対応は、暗くなりかけた雰囲気を一気に明るくしてくれるから、本当に有り難いなぁと内心で思う。


「それじゃあ、いつもここで?」


 そうして、ソファーに座ったまま、ルーカスさんがちょっとだけ上半身を前のめりにさせて、質問をするように声をかけてくれたことに、こくりと頷いた私は……。


「はい。……元々は、寝室用として使っている部屋で食事をしていたんですけど。

 そっちにあるテーブルだと、座れる人数に限りがあったので……。

 来客用にも使っていた此方の部屋で、今は、みんなで一緒に食べています」


 と、ルーカスさんの質問に答えるよう、声を出した。


 此方の応接室に関しては、主な家具が棚などであることを除けば、ローテーブルとソファー、それから、教養を学ぶ時に使用するグランドピアノが置かれているだけなので、来客用にも使える広々とした場所だ。


 元々は、マナー講師や家庭教師が、私に色々と教えに来てくれるのに利用していただけの部屋でしかなく。


 二つの部屋が、中で行き来できるように繋がってはいるものの、私自身も普段、この部屋を使うことは、殆どなかったんだけど。


 みんなで食事をするようになってからを除けば、あとは、度々、皇宮までやってきてくれるジェルメールのデザイナーさんが来てくれた時に、何度か使用したくらいだろうか。


 これから、ルーカスさんが来てくれたり、家庭教師の先生が、私の下へ再度来てくれるようなことになれば、当然、この部屋を使用する頻度も上がっていくだろう。


「……お姫様は、陛下とかと一緒に食事をするつもりはない、の?」


 戸惑ったようなルーカスさんに問いかけられて、私はこくりと頷きながら、にこりと笑みを溢した。


「はい……。

 必要以上に不和を招くようなことはしないつもりです。

 お父様とも、ウィリアムお兄様とも、こうして大分普通に話せるようになりましたけど。

 私が、前皇后だったお母様の娘である事実は変わる訳じゃないですし……。

 私が一緒に食事をするとなると、テレーゼ様も、ギゼルお兄様も、あまりいい顔はされないんじゃないかなと思うので」


 そうして、私は、私が家族として皇宮にあるダイニングルームに顔を出すことで、訪れるであろう懸念について、分かりきっていることを、はっきりとこの場で告げるように言葉を出す。


 もしかしたら、世間でも評判の高いテレーゼ様の方は、私が顔を出したとしても、表向きは歓迎の意を示してくれるかもしれないけど、ギゼルお兄様は絶対に嫌がるだろうし、お兄様と会ったら、喧嘩になってしまうことは分かりきっているから、私自身、あまり必要以上には顔を出したくない。


 それに、私の評判があまり良くないからこそ、お父様の目の前という手前、私に向かって失礼な態度を露骨に取ってきたりはしないものの、給仕に来てくれる侍女達もあまりいい顔をしないというのは分かりきっていることだし。


 嫌な思いをすると理解しているのに、わざわざ、毎日の食事をお父様達と一緒に摂るだなんて、苦痛を感じながら出向くことはしたくない。


 ウィリアムお兄様は、私の発言を少しだけ気にした様子で此方を見てきたけれど、この場で、敢えて明るく言うことで、誰にも気にされないように振る舞ったのを、多分、気づいてくれたのだろう。


 ――マナーに関しても、本当は出てきた方がいいと分かっているものではあるはずなのに、何も言わないでいてくれた。


 一方で、ルーカスさんもルーカスさんなりに、私の事情を汲んで……。


「そっか。

 ……でも、ここで食べるってのも、気兼ねなくて楽しそうでいいよねぇ。

 そういえば、昔の話なんだけど、俺は、従者しか食べることの出来ないまかなめしって奴に、一時期、強い憧れみたいなのがあってさぁっ。

 子供の頃、厨房に潜り込んで、無理矢理シェフに作ってくれって、ごねたことがあるよ」


 と、こうやって、明るく自分の話に変えてくれて、サラッと私の話を流してくれた。


「むぅっ!

 なんなのだ、それは……っ⁉

 聞いたことがないのだが、賄い飯とやらは、一体、普通のものと何が違うのだ?

 それより、そのご飯は美味いのか?」


「賄い……。この世の中に、そんな、ものが……?」


 食べ物の話に、思わず声をあげたアルと私の反応に、まるで、悪戯っ子のような表情を浮かべて、ルーカスさんが新鮮そうな顔つきになりながら、私とアルの方を見つつ、自分のことについて更に詳しく話してくれるのが聞こえてきた。


「あぁ、そうだよなっ。

 やっぱり、最初は馴染みがなくて、そんな反応になっちゃうよなっ!

 殿下に言った時も、滅茶苦茶、驚かれた記憶があるよ。……賄いっていうのはさ、俺等、主人に出してきた料理として使った食材の、余ったものを、鍋とかに全部放り込んで、一品料理にして、手早く食べる使用人のご飯のことなんだけど。

 パンなのか、米なのかとかで、日によって勿論、その日のメニューも違ったりはするんだけど、これが、シチューをアレンジしていたりすると、手間のかからないリゾットみたいな感じになったりで、俺からしても滅茶苦茶、美味そうだったんだよね」


 目の前で身振り手振りを使ってくれながら、その時のことを面白おかしく話してくれるルーカスさんの言葉を聞いているだけで、ごくりと、思わず唾を飲み込んでしまいそうになるくらい『美味しそう……』という感情が、私にも湧いてくる。


 そして、お腹がぐぅっと空いてきてしまって、ローラがさっき持ってきてくれたテーブルの上のクッキーを一つ摘まんだあと、私は話の続きを促すように、興味津々で、ルーカスさんに、問いかける。


「……それは、最終的に食べることが出来たんですか?」


「うん、勿論。

 ……ただ、母親には、思いっきり大目玉を食らっちゃったけどねぇ。

 家で働いている使用人を困らせて、仕事の邪魔をしちゃダメでしょ、って!」


「あぁ……、何となく、ルーカスさんの子供の頃が想像出来る気がします……っ」


 この前も、子供の頃の話をルーカスさんから聞いて感じたことだったけど、ウィリアムお兄様が怒られているというはあまり想像出来ないけど、ルーカスさんが怒られている画は何となく想像がついて……。


 ――わんぱくな子供だったのかな、とちょっとだけ微笑ましくなってくる。


「……コイツの傍にいると碌なことが起きないからな。お前も注意しておいた方がいい」


 そうして、補足するように降ってきたお兄様の言葉で、ルーカスさんが先導して、色々とお兄様を振り回す状況下で、呆れたような表情を浮かべたお兄様が仕方なく着いていくような姿が、容易に想像出来て。


 その言葉は、どこまでも、お兄様の実体験からくるものであるという説得力があった。


「……えー!

 殿下だって、俺が話した賄い飯には、ちょっとだけ興味をそそられていたくせにさァっ!」


「……そこで、お前みたいに、好奇心で後先を考えずに動いたりはしないんだよ、俺は」


「まぁね。殿下が、唯一乗り気だったのは、四つ葉のクローバー探しの時だけだったもんな」


「……っ⁉」


「……?? 四つ葉のクローバー探しって、この前、お二人が話してた?」


 私の問いかけに、ルーカスさんが同意するように、にこりと此方に向かって、微笑んでくれたのと対照的に、お兄様の表情は、どこか、苦いものへと変化していく。


「……オイ。

 それ以上、くだらないことをアリスに言うなよ。

 そもそもお前は今日、マナー講師としてここに来ているんだろうが?

 きちんと、出されている給料分の仕事くらいはしろ」


 その様子に、何か、話されたら不味いことでもあるのかな、と感じながらも、お茶菓子は遠慮したのか一切、手をつけなかったルーカスさんが、ローラが用意してくれたアイスティーを飲むために、グラスに口をつけたのが目に入ってきたあと。


「……はいはい、勿論、ちゃんと仕事はするつもりだよ。

 美味しいアイスティーもいただいて、こうして、一息、吐けたしね。

 ダンスは別としても、お姫様は他にマナーで不安なところとか、あったりする?

 次回までに、ちゃんと教えるところを考えておきたいんだけど……」


 と、私に向かってそう言ってくれたのに、きちんとした返事を返さないといけないと思いながら、私は、今の自分のマナーに関する知識や教養について、おずおずと白状するように口に出した。


「あ、えっと。……多分、他のマナーは、大丈夫なんじゃないかと思います。

 これでも、一生懸命、勉強したので、恥ずかしくない程度には、出来るか、と」


「……それで、出来損ないなんて言われたの……っ? 信じられないんだけど……っ」


 私の発言を聞いて、ルーカスさんが思いっきり低い声を出してきたのと同時に、お兄様の眉が、思いっきり不愉快そうに顰められたのを感じて。更に、言うのなら、私の両隣に座ってくれていたセオドアとアルも、怒ったような表情を浮かべたのが見えて……。


「あ、いえ……それは……」


 と、私自身、しどろもどろになってしまう。


(本当の私は十六歳まで過ごした経験があって、巻き戻し前の軸から時間を六年分巻き戻しているから出来ることなんです)


 とは、到底言えずに、咄嗟に上手い言葉が見つからず、押し黙ってしまった。


 そんな私の様子を見て、ルーカスさんもこれ以上は、問いかけない方がいいと思ってくれたんだと思う。


「……まァ、でも分かったよ。

 じゃあ、次に俺がマナー講師として来た時には、要所、要所、掻い摘まんで、テーブルマナーとか、挨拶のマナーとか。……テストみたいな感じで出してもいいかな?」


 と、声をかけてくれる。


 有り難いその申し出に、一も二もなく、こくりと頷いた私は……。


「じゃあ、今後の方針も決まったところだし。

 これから、お姫様が幾つか覚えているって言っていたダンスを見せてもらって……。それを元に、デビュタントで踊る用の曲だけパパッと決めて、今日はもう、終わりにしよっか」


 と次いで、ルーカスさんから提案してきてくれた、今日のこれからの予定について。


 マナー講師として、折角、ここまでこうして来てくれているのだから、その時間を無駄にしないように、『頑張ろう』と決意して、少しの間、休憩も兼ねて、こうしてローラが用意してくれた紅茶を飲んでいた時間に、ホッと一息吐きながらも、私は、再度、座っていたソファーから立ち上がった。