それから、また、応接室の中の一角を使って、ルーカスさんに、私が覚えているダンスの振り付けの確認をしてもらいつつ、時折、ウィリアムお兄様の意見も仰いで、セオドアやアルにも一緒に協力してもらいながら、私がデビュタントで踊るダンスについては、月の雫よりも『もう少し難易度の高いワルツの曲』にすることが決定した。
「お姫様のマナーに関しては、次回、ちゃんと見て確認するとして。マナーの勉強が特に問題もなく大丈夫そうなら、お姫様のデビュタントまでは、重点的にダンスの練習をすることに時間を割こうかと思うけど、それで大丈夫かな?」
「はい。ありがとうございます」
「空いた時間があれば、婚約者候補として、一緒に、庭に出たりして親睦を深めるのもありなんだけどね。
……同じことの繰り返しで、ずっとダンスのレッスンをしていると疲れちゃうし、そっちも少しずつだけどやっていこうか?」
その上で、ルーカスさんから自然な感じで提案されたその一言に、私は、こくりと頷いて、その提案を受け入れることにした。
今は、マナー講師として、ここに来てくれているけれど、本来は婚約を結ぶかどうかのことも、しっかりと考えなきゃいけないことではあると思うから、寧ろ、そうやって、ゆっくりながらも、親睦を深めようとしてくれるのは、まだ、ルーカスさんの人となりが、今ひとつ掴み切れていない私にとっては有り難いことだった。
「……そういえば、
私とルーカスさんの話し合いが一段落ついたあと、さっきまで、私達のダンスについて意見を出してくれていたお兄様が、私に向かって問いかけてくる。
こうやって、お兄様と話すことにも、大分、苦手意識が薄れ、普通に話せるようになってきたから、そのことに、胸を撫で下ろしつつも『はい。……先生に会うのも久しぶりなので緊張します』と、私はお兄様に向かって微笑みながら声をかける。
家庭教師の先生は『マナー講師』とは違って、必要以上に、お兄様と私のことを比べたりするような人ではなかった記憶がある。
だからといって、私にとって優しかったか、と言われたら別にそうでもなくて……。
皇族だから、必要な知識を教えているといった感じの、可もなく、不可もなくという四十代くらいの男性の先生だった。
見た目が厳つい感じの熊みたいな人だったから、特によく覚えている。
そういえば、直接、聞いたことがなかったけど……。
「……お兄様も、私と同じ先生だったんでしょうか?」
私の問いかけに、お兄様が真面目な表情をしたまま、頷いてくれる。
「あぁ。……マナー講師も、家庭教師もな」
マナー講師は、本人が、お兄様と私を比べていたことからも、同じ人だというのは分かっていたことだったけど。
――家庭教師も同じ人だったのは、正直に言って、びっくりしてしまった。
巻き戻し前の軸の時も、今の軸でも、要領が悪くて、中々、勉強が覚えられなくて、お兄様と違って自分が不出来だったことは自覚しているし、それで『よく比べずにいてくれたなぁ……』と、今になって思う。
「あの男は、見た目があんな感じだから、取っ付きにくいが。
誰かを差別したりすることもなく、きちんと物を教えることの出来る人間だ。……お前も、安心していい」
それから、私に対して声を出してくれたお兄様の言葉で、今、お兄様が何を心配してくれているのか、読み取ることが出来て、凄く分かりにくいけど、表情にあまり変化がないだけで、私のことも考えてくれているんだなと理解して、私はお兄様に向かってふわりと笑顔を溢した。
「ありがとうございます」
誰に対しても、公正な判断が出来ると評判だったお兄様が言うのなら、本当にそうなのだろう。
(皇女様、質問はありますか?)
今、思えば、家庭教師の先生は、そうやって、ところどころで、私に分からないところなども聞いてくれていた気がするんだけど。
あまりにも、見た目が恐かったのと、先に私につくようになったマナー講師のことがあって、人というものが一切、信じることが出来ずに、聞いたら怒られるんじゃないかと碌に質問も出来なくて、勉強の内容も理解出来ずに迷惑ばかりかけてしまっていた気がする。
ウィリアムお兄様も、そう言ってくれていることだし。
明日、再度、私に勉強を教えに家庭教師の先生が来てくれた時は、分からないことは分からないって、ちゃんと聞いてみよう。
「それに……、どうせ、ルーカスがここに来る時は、必然的に俺も一緒に来ることになるしな。
ダンスや庭園を散歩するだけなら、時間も余るだろう?
お前が勉強で分からないことがあるなら、予習にも、復習にも付き合ってやる」
(お兄様が私に、勉強を……?)
「そのっ、お兄様がご迷惑でないのなら……。凄く嬉しいです……っ」
突然の、その提案に驚きながらも、嬉しさが抑えきれずに、はにかんで笑みを溢せば、お兄様が此方を見て……。
「……そんなことくらいで喜ぶな」
と、呆れたような声を出したのが聞こえてきた。
でも、実際、ウィリアムお兄様に『勉強』を教えてもらえるというだけでも、頼もしいことには間違いないだろう。
私と違って優秀で、勉強も、剣術とかも、何をしてもお兄様はいつも『凄い』のだと、周りの人達から絶賛の嵐で手放しに褒められているような人だったから。
お兄様のかけてくれた言葉は、今の私にとっては、凄く有り難いものだった。
「アリス、家庭教師が来たら、近隣諸国の情勢とかも学べるのだろう?」
そうして……。
丁度、私達の会話が途切れたタイミングで、スッと入ってきてくれたアルの問いかけに私はこくりと頷き返す。
今まで、古の森から殆ど出ることがなかったというアルも、実は、家庭教師が来ることを楽しみにしていた。
『世の情勢や常識とやらが、如何せん、僕の引きこもっていた昔とは違い過ぎるのでな。僕も機会があったら、積極的に学びたいと思っていたのだ……』
と、言っていたから……。
「うん、一緒に学ぼうね」
にこりと、表情を綻ばせて、笑顔を向ければ……。
「えっと、アルフレッド君も学ぶ気、なのっ?」
と、ルーカスさんが驚いたように、此方に向かって声をあげてくる。
「……?
アリスの傍にいるだけで、タダで学ぶ機会があるというのに、一体、どうしてその機会をみすみす、見逃すというのだ?」
それに対してアルが首を傾げて、『何を言っているのだ?』と言わんばかりにルーカスさんに問いかければ。
「なんていうか……、そんなことを言われたの、俺、初めてだよ。
まぁ、君の場合は自由に過ごすことが許されていそうだし、陛下が許しちゃうんだろうけどさァ。
それにしたって、俺が言うのもなんだけど、色々と逞しすぎない?
流石、イレギュラーっていうか、なんていうか、浮世離れしてるっていうかっ。
本当に、君って、存在自体が滅茶苦茶、謎だよなァ……っ」
と、ルーカスさんが此方を見て、そう言ってきたことに、思わず、心臓が跳ねるかのように一度高鳴ってドキっとしてしまった。
『浮世離れしている』というその言葉は、アルの本質をどこまでも突いていると思う。
けれど、アルは、いつものように、全く動じることもなく……。
「僕は、僕だ。それ以上の何者でもない」
と、毅然とした態度で、言葉を発してくる。
――こういうふうに言えるのが、アルらしいところだろうか。
私達のために、いつもは便宜上、精霊王であることを名乗ってくれているけれど『精霊』だって、元々は、人間が勝手に名付けたものだって言っていたから。
本当に、アルからしたら、自分は自分であり、それ以上の何者でもないのだろう。
アルのこういう
「あー。
なんていうか、煙に巻かれたような、一本取られたような、そんな気分がするのは、俺だけ……?」
私達の目の前で、ルーカスさんがそう言って苦笑するのが見えた。
その気持ちは私にも、痛いくらいに理解出来るものだったけど、アルの正体を言う訳にもいかない私は、その言葉に、にこりと微笑んでその場をやり過ごした。
これからお兄様とルーカスさんが頻繁に来てくれるようになったら『今日みたいに賑やかな毎日がこうして訪れるんだろうなぁ』と、ほんの少しだけ、ワクワクした気持ちを抱えながら……。