……そっか、それで、殿下と色々とあった訳だ。でも、この話、気をつけておいた方がいいよ?
俺が聞いた限りでは、あからさまに、お姫様側に不利になるような噂が流されてる。
俺に伝えてきた侍女が主犯だとは、どうも思えないから、誰かが皇宮内で意図して流してるってことだ」
「……あ、はい……そう、ですよね。
私が何かを言われるのはいつものことなので別に構わないのですが、セオドアにそんな噂が立っているのは……。
なんとか、しない、と」
「……あー。
いや、俺がこういうのもなんだけど、お姫様は、もっと自分のことをちゃんと大事にした方がいいよ?
自分より、従者の心配をしてどうするのさ」
それから、私に向かって、皇宮で私にとって不利な話を意図的に流している人間がいるのだということを、分からせるように教えてくれたルーカスさんの言葉に、真剣な表情を浮かべて、真面目に頷けば、困ったようなルーカスさんに、声をかけられて、私は首を傾げた。
――正直に言って、こんなのは日常茶飯事のことで。
自分の噂が碌でもないということも、今に始まったことじゃないから、なんとも思わなくなっているだけなんだけど……。
今回の件だって、何が正しいだとか、何が嘘だとかそういうことは一切、関係がなくて……。
噂を流してくる人が、私に対して差別的な感情を持っているのなら、自分達の都合の良いように話を捻じ曲げて、私のことを貶める目的で、必要以上に貶してくるというのも、ある程度、納得は出来る。
今までも、私がどんなに正しいことをしようとしても、それが、上まで伝わらず、大多数の人間に掻き消されてしまっていたように、今回のウィリアムお兄様との件は、あくまでも、私を貶めたいと思うような人間に良いように使われてしまっただけだろう。
そこに、真実が混じっているかどうかなんて、噂を流す人にとってはどうでも良いことだろうから。
だから、私自身はあまり気にしてなかったんだけど、セオドアのことを悪く言われるのは、やっぱり納得が出来ないし、私の落ち度だったな、と思う。
「……俺の噂が流れることで、姫さんの立場を不当に下げるような真似をしてる奴がいるってことが言いたいんだろ?」
そうして、私の傍で真剣な表情を浮かべながら、私のことを思ってそう言ってくれたセオドアの言葉に、ルーカスさんがにこりと笑顔を向けながら頷いたのが見えた。
「……うん、そういうことだね。
まぁ、別に、実害が出てないうちはいいのかもしれないけど、問題なのは、その噂に、真実が混じっているってことだ。
お兄さんが、殿下に剣の切っ先を向けたっていう事実がある以上、此方からは否定のしようもないでしょ?
俺みたいに、直接、事実が聞ける人間なんて、ほんの一握りしかいない訳だから、仮に、そこに行き着く前までの過程で、殿下に非があったとしても世間はそう取らない」
「……っ」
ルーカスさんにかけてもらった言葉に『確かに、それは、そうだな』と、納得しながらも、どうしたらいいのか、不安な表情を浮かべていたのが表に出てしまっていたのだろうか。
此方を見て、安心させるように、笑顔を見せてくれたルーカスさんが……。
「まァ、でも、良かったこともあるでしょ?
殿下に切っ先を向けて、こうしてここに生きて存在していること自体が、普通、あり得ないものだからね。
……よっぽど、ものを考えることが出来ない人間か、この噂を上手く活用しようとする腹黒な人間以外は、この噂自体、馬鹿馬鹿しいものだって受け取るはずだよ。俺も最初は、嘘だと思ってたくらいだし」
と、フォローするようにそう言ってくれて、内心で安堵する。
「悪い、姫さん……。俺のせいで」
「ううん、セオドアが悪い訳じゃないよ。
寧ろ、ごめんね。私がもうちょっとしっかりしていたら、この噂自体、防げたかもしれないのに」
セオドアが私のことを見て、本当に申し訳なさそうな表情をしてくることに胸が痛くなって、ふるりと首を横に振って、セオドアの謝罪を否定する。
セオドアは、「そんなことは、ねぇよ」って言ってくれるけど……。
でもやっぱり……。
ちょっとのことでも、直ぐに噂になってしまったり、悪い状況に落ちていくことが、私にとっては日常茶飯事のことだと、知っていたはずなのに……。
――上手く立ち回れなかったのは、自分のせいだ……。
「ルーカスさん、教えてくれて本当にありがとうございました」
ルーカスさんが、このことを教えてくれなかったら、きっと気づかないままだったろう。
私の従者であるセオドアやローラの耳に、そのことが入ったとは、到底思えないから……。
ぺこり、と頭を下げて、改めて、お礼を口にすれば……。
「……いや、全然!
ちょっとでも、役に立ったなら良かったよ。
ダンスの話をしていたはずなのに、脱線しちゃって此方こそごめんね」
と、ルーカスさんが、私に向かって謝ってくれる。
「それと、誰と踊るかは、まだギリギリまで考えなくてもいいにしても。お姫様が踊るダンスの曲は陛下に聞かなくても、今ここで、決めたらいいと思うよ」
「……え?」
そうして、脱線した話を元に戻しつつ、にこりと私に向かって笑いかけてくれたあと、そう提案してくれるルーカスさんに戸惑いながら、それがどういう意味なのか聞き返せば……。
「陛下は多分、お姫様が決めた曲なら、どんな曲でも断らないと思うからね。先にこっちで決めちゃって、当日までに練習しておけば、問題ないと思うよ」
と、ルーカスさんにそう言われて、驚いてしまった。
……今まで、お父様の希望に沿ったものじゃないと、絶対にダメなんだと勝手に思い込んでしまっていたけれど。
(……そっか。
私のデビュタントのパーティーで、私自身がどんな曲を踊るか、自分で決めてもいいんだ)
私の傍には、自分が決めたことで、これから、こんなことがやってみたい、と。
――周りを見渡せば、こんなにもちゃんと相談できる人達がいる。
この場に、私のことを心配してくれながら傍にいてくれるセオドアやアルだけじゃなくて、クッキーの件で、私のことを信じられずに申し訳なかったと謝ってくれたウィリアムお兄様も、それからきっと、この感じだと、ルーカスさんも相談に乗ってくれるつもりではいるのだろうと感じるから……。
巻き戻し前の時みたいに、一人で悩んで、抱え込まなくてもいいのだと……。
ルーカスさんの言葉は、まさに、目から鱗が落ちるような思いだった。
「……あの、月の雫だと、あまりにも初心者向けすぎますか?」
「そうだねぇ。
普通の貴族の令嬢のデビュタントで踊るには、確かに、あまりにも初心者向けすぎるし、そもそも、パーティーで流れないようなこともあるけど……。
お姫様の年齢で月の雫だったら別に違和感もないと思うよ。
……他に、覚えて、踊れそうなダンスの曲はある?」
「あ……。えっと、何曲かはしっかりと覚えています。
どれもやっぱり、テンポがちょっと遅れちゃってるんだと、思うんですけど……」
「分かった。じゃあ、その何曲かを俺に教えて。
踊ってみて一番良さそうなものにしたらいいと思うよ。
会場の雰囲気がどんなものになるのかは、殿下や
「……ありがとうございます……っ」
ルーカスさんの言葉で、一気に光明が見えた気がして、ふわり、と自然に表情が綻べば……。
何故か……。
ルーカスさんがこの場で、私の頭の上に手を持っていきかけて、触る寸前のところで、ハッとしたような表情を浮かべたのが見えた。
「……? ルーカスさん?」
そのことを疑問に感じながら、不思議に思って、上を見上げて首を傾げれば……。
「いや、ごめんね、何となく、無意識で……。お姫様、何だか、妹みたいだなって思ってさ」
と、どこまでも苦い笑みを溢しながら、本当に無意識だったのだと言わんばかりに、ルーカスさんが戸惑ったような声を出すのが聞こえてきた。
「オイ……。人の妹を捕まえて、何を言ってるんだお前はっ?」
その姿を見て、思わずといった感じで、突っ込みを入れるようにお兄様が出した呆れたような一言に。
「妹みたいで可愛いなってことでしょ? 褒めてるんだから許してよ」
と、多分、本気では怒っていないのだろうけど、ムスッとした表情を一瞬だけ浮かべて、声を上げたルーカスさんは、次いで、もう、私達に、いつも通りに笑顔を向けてきていた。
「……お話中、失礼します、アリス様。あまり根詰めて話されていると疲れてしまいますよ? ここら辺で一度、休憩されては如何でしょう?」
そのタイミングで、応接室の扉を開けてくれて、部屋の中に入ってきたローラが此方に向かって声をかけてくれた。
わざわざ、私達のために用意してくれたのだろう。
……その手に持っているトレーに人数分のアイスティーが乗っているのが見える。
それを見て、一度だけソファーに座ったものの、結局、私がマナーの中で『ダンスが出来ない』と伝えたことで、ここに来てからずっと、ダンスを踊ったり、みんなで立ちっぱなしで話していたことに気づいた私は……。
「ずっと喋っていて、気づかなくてごめんなさい。喉渇いちゃいましたよね?」
と、室内にあるローテーブルを囲んだソファーに、改めて、ルーカスさんとお兄様が座れるよう促した。